1/1
前へ
/9ページ
次へ

「佐田店長!」 会議が終わり、駐車場に向かう佐田に背後から龍崎が呼びかけてきた。佐田が振り向くと走って龍崎が近づいてきた。 「…何?」 はあはあ、と息を切らしながら龍崎は佐田ににこにこしながら話しかける。 「昼飯行きません?僕、一人なんでこの辺りわかんなくて!」 「途中で食べれば?お前ここから帰るの遠いだろ、近いところで食べた方が」 「えー!一緒に食べましょうよ!!」 ぐい、と背広を掴む龍崎。まるで子犬のようだ。初対面の人間にすり寄ってくる。 反論するのもめんどくさくて、佐田は小さなため息をついて、頷いた。 本社近くに確か、喫茶店があったなと佐田が記憶を捻り出しそこで昼食をとることとなった。 少しクラシックな装飾の店内に、コーヒーの香りが充満している。佐田はサンドイッチを、龍崎はスパゲティーを頼んだ。 「佐田店長、少食なんですね!だから痩せてらっしゃるんだ!」 何がそんなに嬉しいのか、龍崎の高いテンションに佐田は完全に振り回されている。 「…お前元気だな。会議緊張しなかったのか?」 「しましたよぉ。今回、初めてでしたし」 その割にはこの元気さ。呆気にとられながら、佐田はサンドイッチを口に運んだ。 食事を終えて、コーヒーで一息つく。喫茶店のオーナーの趣味だろうか、アンティーク調のカップとソーサがどこか懐かしく感じる。 「佐田店長、**大学出身ですよね?」 突然、佐田の卒業した大学を当てられて佐田は驚く。あやうくコーヒーを吹き出すところだった。 「何で知ってんの」 「僕も同じ大学でたんで。佐田さんのこと知ってました。美術専攻してて入賞されましたよね」 キラキラした目で龍崎が佐田を見る。佐田の方はと言うと苦々しい顔をしていた。確かに大学生の時に何度か入賞したことがある。将来は美術の道に進みべきだと言われたこともあったが、選んだ道は今の職場だ。 車を売ることに夢中で美術なんて忘れていた。 「僕、佐田さんの空の絵が大好きなんです!」 「…そりゃどうも。でも今はご覧の通りのしがない店長さ。売り上げも低くて店の雰囲気も最悪。これじゃお客さんだってこねぇよな」 自嘲しながら、コーヒーを飲む。お前はいまからだろうが、こっちはもう上がれねぇよと付け加えた。 突如投げやりな態度になった佐田を見て、龍崎は少し驚いたようだ。空になったコーヒーカップを置き、佐田は立ち上がった。伝票を手に取ると鞄を持つ。 「あの…」 「お前さんは俺みたいにならねぇだろうけどな。ま、頑張れよ」 それだけ言うとレジへ向かい、清算して喫茶店を出て行った。 その日の夜。佐田は夢を見た。 場所は大学のアトリエだ。大学生の自分がクラスメイトと談笑している、手には筆を持って。 (ああ、楽しそうだなあ) 夢の中で、その光景を見ながらもう一人の自分が呟く。 イーゼルに乗った大きなキャンバスに向かって絵を描こうとしているが、前方には何もなく何を描こうとしているのか分からなかったが… 『佐田さーん』 奥から龍崎がやってきて、佐田の前に立つ。いつの間にかクラスメートたちは消えていた。 二人きりとなった途端、龍崎がこう言った。 『水臭いなあ、モデルなら僕がやるよ!』 はあ?!と佐田が声を出した瞬間… 「いってえ!」 ベッドから体が落ちてしまい目が覚める。携帯のアラームが鳴らなかったので、慌てて携帯の時間を見ると、アラームの鳴る時間よりまだ早いことに気づいた。のっそりと立ち上がりカーテンを開けると朝日が眩しい。 (変な夢…見たな) 大学生のころの夢なんて、社会人になって初めて見た。これも、喫茶店で龍崎が大学の話を持ち出してきたせいだ。 懐かしいな、と思う反面いまの自分の環境を思うと情けなくなる。これから未来のある龍崎にはこの気持ちは分からないだろう。 毎朝飲むカフェオレを入れながら、パンをトースターで焼く。夜はコーヒーを飲むのだが、朝は少し甘いカフェオレを飲むのが習慣になっていた。 ふと、喫茶店での出来事を思い出す。龍崎に卑屈な言葉を投げつけて、逃げるようにして帰った自分のことを。 (あんな態度したからもう、じゃれてこないだろ) きっと龍崎は呆れただろうし話しかけてもこないはずだ。 カフェオレを飲みながら、佐田はボンヤリとそう思った。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

117人が本棚に入れています
本棚に追加