満喫の宵宮 1

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満喫の宵宮 1

 祭りの喧騒の中、ゆっくりと歩を進めるのはアムルとその妻レギーナ。  そうと知らない傍から見れば、2人は年頃の仲睦まじいカップルに見える。  もっとも、不釣り合いな……と言う言葉が続くのだが。 「あ、あれを見て下さい、あなた。あれは、今まで見た事の無いものでは?」 「んん……? おおっ! 本当だっ! 珍しいな、これはっ!」  長い黒髪の似合う上品なお嬢様然としたレギーナと、何処にでもいるパッとしない青年アムル。2人を評するなら、恐らくはこんな所だろうか。  それでもアムルとレギーナは、普段王宮では見せないような仲睦まじさを周囲に見せつけていた。  レギーナはアムルの腕を取りぴったりと離れず、その表情は非常に楽しそうであり嬉しそうである。  それを受けるアムルもまた極自然体であり、特に気負ったり緊張している様な素振りはない。  そう……2人の様子は、この様に並んで歩くことが当然と言った風情なのだ。 「こうして2人して静かに街を歩くというのも、随分と久しぶりですね」  一頻り子供のように燥いだ後、レギーナはウットリとした表情でアムルに寄り掛かり、周囲の様子に目を向けながら呟く様にそう口にした。 「……確かに」  2人が結婚したのは、僅かに4年前。  当時、婚姻契約における王妃順位第1位であったあったのはレギーナであった。  因みに婚姻契約とは、人界における見合いと婚約の複合の様なものであり、レギーナはアムルの許嫁であったという事だ。  共に18歳の時に結婚し、レギーナはその後すぐに第一子のアミラを懐妊した。  魔王に着任したばかりのアムルは毎日忙しく、甘やかな新婚生活など1年と満たなかったのだ。  2人は仲睦まじく、結婚生活は幸せそのものであった。  その事に、アムルもレギーナとて不満など僅かばかりも抱いていない。  家族で過ごす時間も、楽しいと感じる事はあれど負担に感じる事など皆無だった。  だがそんな2人に、今年はアミラ達の事を考えずに過ごせる時間が訪れた。  2人きりの時間と言うのは、それはそれで楽しいというものである。  アムルとレギーナは、期せずして得た子供たちの事を考えなくて良いこの時間を、まるで新婚生活当初に戻った時の様に楽しんでいたのだった。  それでも、その様な時間が永遠に続く訳もなく。 「……おい、あれは……レギーナ様じゃないか?」 「馬鹿言え。なんで王妃様がここに……って、うおおっ!?」  目立たない街着を羽織っていても尚、レギーナの美しい容姿は目立ってしまう。  ましてやこれ見よがしにイチャついていれば、周囲の目を引いて然りである。 「あらあらまぁまぁ。どうやら、ここまでの様ですわねぇ」  遠巻きに多くの町人がアムルたちを見やっている。  こうなっては、今更人々の目を避けて行動する事など不可能だ。  そして、アムルとレギーナはこの街ではいや……この魔界では、超が付くほどの有名人だった。  特にレギーナは才色兼備した女性であり、この世界の所謂アイドル的な存在であった。  非常に残念な話ではあるが、その知名度は魔王であるアムルよりも上であり。  少なくとも、その容姿を知らぬ者はここレークスにはいない程であるのだ。  ―――……魔王である、アムルの顔は知らなくとも。  そんなレギーナの顔を、少なくない数の町人に見止められたのだ。どう考えても、先程までの緩やかな時間を過ごせる訳はない。 「さぁ、アムル。あなたは、アミラ達を……他の娘達を探して下さい。私は、先に戻っております故」  にこやかな笑顔をアムルに向け、レギーナは優雅な表情でそう告げた。  それは、彼女はこの場よりアムルと別行動を採るという意思表示であった。 「皆さん、御機嫌よう。祭りは如何ですか? 楽しんでおりますか?」  そして彼の返事を聞く前に、レギーナは一人仮王宮への道を歩き出したのだった。  彼女の問い掛けに周囲の者達は大歓声で答え、小さく振る手には体全体を使って応えていた。  その騒ぎに気付いた治安警備の兵士が急遽レギーナの身辺警護を行い、その群衆はレギーナの歩みと共に遠ざかって行ったのだった。  ただ一人、この場にアムルを残して……。  アムルはレギーナの人気を再確認して嘆息と共に笑みを浮かべると、彼女とは逆の方向へと歩み出したのだった。  暫く歩くと、アムルの耳に聞き覚えのある子どもの声が飛び込んで来た。  言うまでも無くそれは、彼の娘であるアミラと、その弟ケビンの姉弟であった。  アミラは今年3歳。そしてケビンは今年で2歳となる。  姉のアミラは、子供としては随分としっかりして来たとは言えるのだが、それでもまだまだ大人の保護が必要な幼児である事に変わりはない。  ましてやケビンは、まだ言葉も覚束ない年齢だ。  そんな2人が、如何に危険が無いとはいえこの様な喧騒の中で、何の不安もなく過ごせる訳はない。 「おじちゃん、あれ―――」 「ちゃん、れ―――」  アミラが綿菓子の出店を指さすと、弟のケビンもそれに釣られて同じ場所を指さした。  そして。 「あいよ。……すまんが、綿菓子を2つ」  その要望に応えて、ブラハムが店員に注文を掛けていた。  いつの間にかアミラ達の面倒はブラハムが見ており、子供たちもその事に異を唱えている様子は無かったのだった。  意外と思われそうだが、実はブラハムは、子供のあしらいに非常に長けていた。  それもそのはずで、彼には人界に家族がいる。  すでに結婚もしており、子供もいるのだ。  そして更に意外感が増すのは、彼が部類の子煩悩だという事であった。  一目見れば浅黒い肌に彫りの深い顔立ちは、ともすれば厳めしいと表現しても良いだろう。  そんなブラハムに、子供たちが怯えこそすれ懐くとは誰が思うだろうか。  しかし蓋を開けてみればアミラ達は怖がるどころか、どこか彼の存在で安心している節さえあったのだ。 「……あっ! おとうさん!」 「とう! とう!」  そこへ現れたアムルにアミラとケビンが気付くと、2人は彼の元まで駆け寄りその膝に抱き付いた。 「ブラハム、ご苦労さん」  2人の頭を撫でながら、アムルはブラハムに労いの言葉を掛ける。  そんなアムルに対して、ブラハムは小さく頭を下げてそれに応えた。  一応、今のアムルはお忍びで行動しているのだ。仰々しい態度が余計な目を引く事を、ブラハムも分かっていた。 「子供達の相手をさせて悪いな」  そんなブラハムに、アムルは申し訳なさそうな顔をしてそう謝意を示した。  もっとも、その様な必要は全くなく。 「いやぁ、俺も楽しめましたよ。それに、子供の相手は嫌いじゃあないんで」  頭を掻きながら、彼はどこか照れた様な表情で明後日の方向に目をやりそう返答する。  そんなブラハムの態度には、アムルに気を使ったという様子は伺えない。 「……そうか」  だからアムルも、それ以上の言葉を掛けなかったのだが。 「それに……」  ブラハムの話は、ここで終わりと言う訳では無かった。 「こうやって子供と一緒にこの街を歩いていると、ここが本当に平和で豊かなんだって実感させられますしねぇ。人界じゃあ、こんなに笑顔の溢れている場所なんて無かった」  周囲に目をやり、ブラハムはゆっくりとそう感想を述べたのだ。  その表情は穏やかであり、細めている目はまるで眩しいものでも見ている様であった。  いや……人界の現状を知っているブラハムにしてみれば、この街の人々の生活が、本当に眩しく映っているのかもしれない。 「まぁ、ここの奴らは元気が取り柄だからな。祭りには敏感だし、ちょっとした事でもすぐに大騒ぎして楽しみやがるんだ」  思いも依らないブラハムのべた褒めを聞いて、アムルはどこか気恥ずかしくなりお道化た様にそう口にした。  実際にここレークスの住人は、とにかく祭り好きの騒ぎ好きと言う少し困った特徴を持っている。  なんでも賑やかに楽しくする事は良いのだが、それも時折度を超す事を考えれば統治者であるアムルとしては諸手を上げて喜んでばかりはいられない。 「いやぁ、ここの人達は確かに陽気で活気があるがよ。それは、そんな生活を維持する為に、陰で努力している人がいるからだと俺は思いますけどねぇ」  そして今度は、ニンマリとした表情となったブラハムがアムルの方に半眼を向けた。  不意に目の前の厳めしい男に褒められ、アムルは顔を真っ赤にしてその視線から逃れる様にそっぽを向くしか出来なかった。 「はっはは。とにかく俺は、もう暫くこの子達の相手をしてから、王宮に連れて帰りますよ。あなたはもう少し、自由にして頂いて結構です」  そう笑いながらブラハムは、アミラとケビンの手を取ると。 「ほら、あっちに美味しそうなお菓子が売ってるぞ。買いに行くか?」  そう子供たちを促した。 「うん! それじゃあ、おとうさん。またあとでね―――!」 「ばいばい」  父親の存在も、お菓子の魅力には敵わない様で。  ブラハムに連れられた娘たちは、アムルをその場に取り残して去っていったのだった。
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