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紺碧の決着
アムルの周囲に、そしてアムルだけに作用する様コントロールされた、カレンによる、カレンだけにしか使えない「真の」重力を用いた精霊魔法。
それが証拠に、アムルに圧し掛かる超重圧に反して、彼の足元が陥没するとか崩れ去るという事は無かった。
言うまでも無く、ここ魔王の間は魔王城の最上階にあたり、下方には下階と言う幾つもの空間が存在している。
重力による荷重の限界を超えれば、その足元は崩れて階下へと落とされてしまうだろう。
それでもそうならないのは、偏にカレンによるコントロールのなせる業であることは明白であった。
無論、その様な調整を行っているからと言って、アムルに向けられている攻撃に加減がされていると言う訳では無い。
「こ……この。ま……まだ!」
より力を籠めるカレンだが、それでもその意図は達成されずにいた。
足止めはおろか、アムルをその場で圧し潰さんとする攻撃であるにも関わらず、彼はその歩をゆっくりと進め、止まる素振りさえ見せないのだ。
「……んのやろぅ」
滝のように汗を流し、その重圧によるダメージなのか、口からは一筋の血を流している。
濃密で重厚な魔力に守られたアムルでさえ、カレンの攻撃を往なす事など出来ずにいたのだ。
それでも、アムルはカレンの元へと進み続けた。
魔法戦では分が悪い……どころか、太刀打ち出来ない。
精霊を支配している……その権限を与えられている今のカレンにとって、その現象だけを真似て作り出された魔法など、正しく児戯に等しいのだ。
今のアムルがどれほどの魔法を使ったとしても、それは効果を与えられないだけでなく、自身の魔力を無駄に消耗するだけとなるのは明らかだった。
そうと言って、このまま耐え続けるというのも分が悪い。
アムルにとって、今の状態を……魔神化した姿を維持するには、己の中に内在する全ての魔力を消費する行為に等しいのだ。
正確には、信じられないほどの早さでその魔力が消費されてゆくという事なのだが。
ともかく、アムルにはカレンとの耐久レースに付き合える余裕など無いのだ。
そしてそれは、カレンとて同じこと。
「と……止まれ! ひざまずき……なさい!」
カレンもまた多量の汗を額に浮かべ、その形相は先ほど彼と話した時の面影を感じさせないほどに凄烈なものだった。
そこから伺える事は、彼女の思考にはアムルに対して手心など微塵も加えられていないという事だ。
そして、それほどの力を行使するのだから、カレンとて僅かな消耗で済むという筈がなかった。
使う程に……使い続けるほどに、精霊王の元へと引き寄せられてしまう代償。
そしてそれとは別に、自身の中にある精霊力を大きく消耗していったのだ。
常人とは比べ物にならないほどの精霊力保有量。
そんな彼女をもってしても、今のこの術をコントロールし維持し続ける事は、多大な疲労を伴う作業だった。
カレンの元へと、その全ての力を使い歩み続けるアムルと。
そんな彼を、その場で縫い付け屈服させようと全力を尽くすカレン。
激しい動きはないものの、2人の攻防はこれまでの戦いのどんな場面より、厳烈であった。
だが、2人の距離はそれほど離れていた訳では無い。
1歩ずつ、ゆっくりとだが歩みを止めないアムルは、間違いなくカレンを追い詰めていたのだ。
「……どうして」
ついにはカレンは、思いもよらずそう口にしていたのだった。
彼女の術を、アムルは完全に中和出来てはいない。
それどころか、多くをその身に受けて、その肉体をもって堪えているに過ぎない状態だ。
本当ならばアムルは、その場で両ひざをつき動けない筈だった。
そしていずれは、そのまま圧し潰されて絶命する筈だったのだ。
それだけの力を込めているし、彼女の意思もそう望んでいた。
それにも拘らず、カレンはアムルを止める事が出来ないでいたのだ。
「俺が……負けられない……からだよっ!」
苦し気に、絶え絶えに。
アムルは、カレンの呟きに対してそう答えていた。
「わ……私だってっ!」
そんなアムルの言葉に、カレンは心の底から絞り出した声を発していた。
アムルは、この魔界を統べる魔王である。
異界の侵入者に攻め込まれて膝を屈したとあっては、この魔界の存亡にも関わることなのだ。
彼の肩書だけを見ても、アムルが負けられないと語った事に偽りはない。
ただしそれとは別の想いが、彼の歩みを止めようとはしなかったのだが。
アムルの背を押しているのは、愛する者達を護りたいという、単純かつ純粋な気持ちであった。
もしも彼が魔王でなかったとしても、これほどの意地と頑張りを見せていたことに疑いなど無い。
そしてそれは、カレンとて同じであった。
彼女は、人界の期待を一身に背負った、「勇者の中の勇者」であるところの「神色の勇者」、その筆頭である。
そんな彼女が、魔界で、その魔界を統べる悪の魔王に頭を垂れることなど出来ようはずなど無かった。
そして何よりもカレンは、これまでの旅に同行し、この魔界まで共にやって来た仲間たちを助け出さなければならない……護らなければならないと強く想っている。
アムルの言葉では、もしかすれば仲間たちはすでに殺されているかもしれない。
いや……この魔界で散り散りになるという事は、それはそのまま死を意味していると言っても過言ではなかった。
それでも彼女は、仲間が生きていると信じていた。
どのような姿であっても生きていてくれれば、カレンはそれだけでうれしく感じている。
そしてその為には、一刻も早く彼女たちの元へと戻らなければならないのだ。
だからカレンには、如何に心を通わせた相手であるアムルであろうとも、手を抜くという発想には至らなかったのだ。
今、2人の間には、能力の優劣を見極めようとする気持ちなど微塵もない。
ただ互いに抱く想い、それは。
―――負けられないっ!
それだけに尽きていた。
双方の願う想いの強さは、恐らくは同等。
ならば、それでもアムルが歩を進める事が出来ているのは、ただ単に意地が勝っていただけなのかもしれない。
そしてとうとう、アムルはカレンに手の届く位置まで辿り着いた。
アムルは不敵な笑みをカレンへと向け、それを受けたカレンもまた、驚きと称賛が入り混じった顔で口端を吊り上げる。
2人とも、暫時見つめ合う。
それはまるで、その場で会話を取り交わしているような、そんな姿でもあった。
それでもやはり、その様な時間が長に続く訳も無し。
「……はぁ―――っ!」
もはや間合いにいるアムルに向け、カレンは腰の鞘に戻していた剣の柄を掴むと、電光石火の動きで切りかかったのだ。
強力な術中であるというのに、それでもその疲労を一切感じさせず、カレンらしい流れる様な動きは寸分違う事なく彼の首元を狙って繰り出されていた。
もしもアムルがそのまま棒立ちであったなら、その首は彼女の足元に転がっていただろう、そんな乾坤一擲の一撃だった。
「ぐふっ!」
だが、彼女の剣先がアムルへと到達する前に、彼の拳がカレンへ到達していた。
おおよそ手加減しているとは思えないアムルの一撃は彼女の頬を捉え、そのまま振りぬかれたのだ。
アムルの放つ痛恨の一撃を受け、カレンはそのままその場に留まる事が出来ず、大きく吹き飛ばされて床へと投げ出された。
それと同時に彼女の使用していた術は解け、漸くアムルに自由が与えられたのだった。
「……ふぅ」
上から強力に抑えつけられているような、足元から強く引かれる感覚がなくなり、アムルは一つ、そして大きく嘆息した。
吹き飛ばされたカレンは気を失っているのだろう、ピクリとも動きを見せない。
いや、今のアムルに殴打されれば、もしかすれば命すら失いかねないのだが。
「……気を失われているだけでございます」
素早く現れたバトラキールが彼女の容態を確認し、そうアムルに告げたのだった。
それを聞いたアムルは、彼に対して一つ頷き返した。
そしてそのまま、その視線を上げる。
今や、随分と見晴らしの良くなった魔王の間からは、全周囲を遮るものもなく、美しい紺碧の青空が伺える。
「……終わったな」
魔神化を解きながらアムルは、この戦いが集結したことを口にした。
そうして有史以来、初めてとなった魔王と勇者による戦いは、ここに幕を下ろしたのだった。
……ひとまずは……だが。
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