鬱屈とした乙女たちに

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鬱屈とした乙女たちに

 魔王アムルと勇者カレンが、魔王城最上階「魔王の間」で雌雄を決してから、すでに2カ月の時が経過している。  大きく破損した魔王城を修理している間、流石に魔王の間を含めた執務機関は使用が制限された状態であった。  そしてその間、魔王アムルはここ魔王都レークスに以前から設置されている仮王宮を拠点として、以前よりあった様々な案件を熟しつつ、新たに問題となった人界への対応と魔王城の修理に対しての指示も行っていかねばならなかったのだった。  平和を維持してゆくには、様々なコストが掛かる。  それは実質的な金銭に留まらず、人的な労働力、そしてそれを計画し立案してゆく事務作業も含まれる。  如何にこれまで平和であった魔界とはいえ、それは何もせずに維持し続けられていたものではないのだ。  そこに齎された勇者到来は、カレンたち人界の者達が、この魔界に新たな問題を持ち込んだと言える。  そしてそれは即ち、アムルの仕事量が大きく上積みされたことになる。  戦いが終わっても、支配者にはそれで一段落……と言う事は無い。  勝っても負けても、魔王に仕事は山積みであり、アムルは今日まで、その対処に四苦八苦していたのが実状だった。 「うわ―――っ! 今日は本当に、賑やかだね―――っ!」  高台に設けられた仮王宮を出れば、その眼下には魔界の首都、魔王都レークスの全貌が伺える。  視界いっぱいに広がる街並みと大小様々な通りには、煌びやかな飾り付けが溢れんばかりに装飾され、その中を多くの人々が行きかっていた。  それを一目見て、カレンは心躍ると言った表情でそう声を上げていた。 「ほんとね―――。これほどのお祭りって、ちょっと見た記憶がないわ―――……」 「本当に―――……。村の収穫祭なら、何度か参加しましたが―――……」  そして、その感想はマーニャとエレーナも同じとするところであった。  勿論、声に出して感想を述べてはいないが、同じ人界からやって来たブラハムもまた、彼女たちと心情は同様である。  それもそのはずで、魔界の首都であるほどの巨大な街全体が参加し盛り上がっている祭りを、彼女たちは人界で見たことがなかったのだった。  人界では疫病が蔓延し、何処へ行っても飢餓が付きまとい、そして戦による血と噴煙の臭いが付いて回っていた。  長きに亘るその状態に、民草は疲労の色を隠せずに俯き、そして徴兵と重税の苦しみに喘いでいたのが現実だった。  完全な貧富の差が存在し、貴族階級はいつまでも我が世の春を謳歌し、毎晩と錯覚するほど頻繁にパーティを開いていた。  それとは正反対に、平民は質素倹約を強いられ、ほとんどの農民に至っては明日の食事にも困る程なのだ。  それだけを考えても、今カレンたちの目の前で開催されようとしている祭りの規模を見れば、それがどれだけ素晴らしい事なのか知る事が出来る。 「これほどの規模となれば、戦勝祝賀の慶典かご世継ぎ誕生の祝い、戴冠の儀か……。どれも王家や軍事の関わる催事ばかりだなぁ」  ブラハムは、自身がそれまで人界王家に仕える騎士であったという経緯もあり、これまでに参加したことのある大規模な催しを幾つか口にし、そして最後にはがっかりしていた。  鼓舞激励するため、戦意高揚の為に、そして自信の勢威を見せつけるために王家や軍部が主催で行う祭典はあっても、市民が自ら行う祭りでこれほどの賑わいを見せるものに心当たりがなかったからだ。  無論、人界にもささやかだが、平民が主導して行う祭りと言うものはあった。  収穫祭や年越し祭りがそれにあたるだろうか。  しかしそのどれもが本当にささやかで、この街に満ちているほどの賑わいなど程遠いというのが実際だったのだ。 「まぁ、街の者達が主催と言っても、こちら側(・・・・)からも少しばかりは提供があるからな。祭りで出品される食べ物や飲み物は、全部無料なんだ」  人界の事を思い出してだろうか、どことなく暗くなっているカレンたちを慮ってか、アムルが殊更に明るい口調でそう補足したのだが。 「無料なんだって……えぇっ!? それじゃあ、食べ放題飲み放題って事なのっ!?」  それまでの雰囲気をあっさりと吹き飛ばして、カレンが嬉々とした声を上げた。  そしてそれには、マーニャやエレーナ、ブラハムも、声には出さないが驚きの顔を浮かべている。 「まあなぁ。もっとも、この時期は財務が一層……おっと」  カレンの疑問に答えようとして、アムルは思わず途中で口を噤んでしまった。  このまま話し続ければ、財政の話に発展する事は容易に想像でき、そしてその話は今この時にそぐわないと判断したのだ。  それが功を奏したのか、カレンたちは再びキラキラした瞳を街の方へと向けて見つめている。  もっとも、ここでその様子を眺めているだけでは、本当に祭りを楽しむという事にはならない。 「せっかく着替えてきたんだから、カレンたちも日ごろの疲れを解消するつもりで楽しむと良いよ」  そんな彼女たちにアムルがそう声をかけると、カレンたちの雰囲気はパーッと明るくなった。 「そ……そうよね! 今日くらいは、羽を伸ばしても良いわよね!?」 「まぁ、確かに―――? こんな日に楽しまないのは、嘘って話よねぇ?」 「はい―――。お祭りは、心から楽しんでこそです―――」  アムルの言葉に便乗して、カレンたちの心はますます祭りへと傾倒していた。  彼の言った通り、今の彼女たちは普段の王宮での生活で着用している様な小奇麗な服装をしておらず、一目見ただけなら町人と見分けがつかない格好をしている。  これは変装と言う側面もあるのだが、余計な注目を引かないための処置であった。  もっとも、カレンたちが今の日常で身に付けている衣服の方が、どちらかと言えば「着せられている」感が拭えないのだが。  そして彼女たちがこれまで、鬱屈した毎日を過ごしていたことも事実だった。 「ほんっと。今日くらいは、伸び伸び楽しんでいいよね!」  ワクワクが止まらないカレンは、今にも飛び跳ねて駆け出していきそうな風情だった。  勇者カレンは、魔王アムルに敗北した。  それでも彼女たちはアムルの恩寵により、この魔界で、然して拘束されることも無く過ごす事が出来ていた。  いや……事実は、恩恵などではないのだが。  カレンたちの立場や人界での処遇を考えれば、アムルの提案は千載一遇と言って良いこれ以上ないという申し出であり、彼女たちには他に選択肢もない提議であった。  そして当然、カレンたちがこれを断る理由など無かった。  それから彼女たちの、未知なる世界での生活が始まる事となるのだが。  それまでの文化や風俗が異なるどころか、種族さえ違う世界での生活と言うのは、ただ過ごすだけでも覚える事が多くある。  いらぬ摩擦を起こさぬために、カレンたちには徹底的にこの魔界を知ってもらう為の勉強をしてもらう必要があったのだ。  さて、いつの時代、いつの世でも、勉強と言うものは精神的に負荷の掛かる事である。  しかもカレンたちは、ただ魔界で暮らせればよいという訳では無い。  今後もまた、長きにわたり(・・・・・・)王宮での暮らしが(・・・・・・・・)望まれている(・・・・・・)のだ。……魔王アムルによって(・・・・・・・・・)。  魔界での日常生活における注意点は勿論、風土や慣例に至るまで、彼女たちはみっちり徹底的に教え込まれる毎日を過ごしてきたのだった。  如何にこの地で過ごす事を選んだ彼女達とは言え、やはり教育を受ける毎日は楽しいものばかりではなく。  そんなカレンたちにしてみれば、今日の前夜祭はまさしく良い気分転換と言って良かったのだ。
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