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すべての怒りを大胆な行動力に昇華させ、あたしはATMの前に立つ。
預金残高を全額引き出してやろうと思っていた。この胸の痛みを思えば、それでも足りないくらいだ。
暗証番号なら心当たりがある。
あんまり物覚えのよくない彼女は、安直にも「こういうの、自分か大切なひとの誕生日とかじゃないと忘れちゃう」とよく言っていた。
ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。彼女の誕生日の数字を入力する。
――あれっ。エラーか。
それなら、彼の誕生日だ。いまや誰の恋人かわからなくなったあいつの。
ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。
嘘、違う?
そこでようやく冷静になった。こめかみに、じわりと脂汗が浮かんでいる。
何やってるんだ、あたし。血迷いすぎ。
たしかATMって、3回間違えたら音が鳴って係のひとが飛んでくるんじゃなかったっけ――
「八重ちゃん!」
背後でりらちゃんの声がした。
長い栗色の髪を振り乱して走ってくる、美しいあたしの親友。
「りらちゃ……」
「いいよ、引き出していいよ」
たっぷりと人目を引きながらりらちゃんは走り寄ってきて、ぜいぜいと荒い呼吸をしながら言った。
「暗証番号、八重ちゃんの誕生日だから」
あたしは驚いて言葉をなくす。
「0729だよ。間違えずに押して。そんで、全額持ってっていいから。許さなくていいから」
彼女の震える肩越しに、細い雨が降りだしているのが見えた。
【完】
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