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『…あのような事件は、二度と起こってはならない。これからの警察には犯罪の捜査だけではなく、もっと抑止の面が求められるでしょう。』 若松町にある居酒屋、ダイニングあずさ。カウンターに置かれた薄いテレビに映っている男は、当時の事件の際に刑事一課長をしていた。老いを感じさせない、黒いオールバックにスーツの姿が目を惹く銀幕の演者みたいに堂々とし、言葉を並べている。 (本当、酷い事件だ。商店街では絶対に起きてほしくない。) ちょうど3年前。県の最北端に位置する鳴間市で建設されたタワーマンション、その完成見学会の場で23人が殺害された事件。犯行のすぐに駆け付けた警察官により犯人が射殺された事で幕を終えたこの事件は、立島事件と呼ばれ県警にとっては絶対に忘れてはならない事件の1つとなっていた。 午後6時、開店から数分。ここの店主の娘である馬場梓(ばばあずさ)は休日の退屈しのぎに店番をしているにも関わらず客が来ない状況をテレビでし凌ぐ。 艶やかな花を思わせるような切れ長気味の目に、長い黒髪をアップで団子にしている。大和撫子という言葉がふさわしいくらいに、彼女は商店街で大人になった。 『犯罪の抑止ですか。』 『警察法2条はご存じでしょうか?個人の生命、身体および財産の保護、その次に犯罪の予防、鎮圧及び捜査です。』 画面で繰り広げられる熱弁に、ガラガラと引き戸の音が割って入る。 「いらっしゃいませー」 スーツ姿の男が1人。黒い上下に青のカッターシャツ、茶色みのある無造作な髪形をした彼は、促されるままにカウンター席に座った。お通しにタケノコの土佐煮、グラスに注いだお冷を置き注文を待つ。 『警察学校に入れば、誰もが復唱し退職まで頭に刷り込まれる条文です。…当たり前であったのに、私は長い警察人生でそれを忘れていた。』 ぶっきらぼうな顔をした客の男は、メニューを手に取らずテレビに視線を向ける。梓にはそれが単にテレビで人が喋っている様子を眺めているようには見えないくらい険しい様子。 少なくとも、凄惨な事件に驚く一般人の様子では無い。 『凄惨な事件というのは被害者だけでなく、それを知った人、果ては事件に関わった警察官にも大きな傷を残します。防犯は市民だけでは無い、自分の心身を守る事にも繋がるのです。』 少しの間沈黙したまま、警察官だった男の熱弁を眺めていた。客の男はようやくお冷を口にし、メニュー表に手を伸ばし眺め始める。
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