有本菫

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 夢を見ていた。  帽子屋の部屋で眠っていた私達を、誰かが呼ぶ夢。  どこか現実感がなくて、フワフワしていて。  だって現実では、私達を呼ぶ人なんていないから。  その誰かの声に(いざな)われて、私達は真夜中の道路に降り立つ。  月明かりが照らすアスファルトの上に、二人の青年が立っていた。  一人は白い髪。  もう一人は薄茶の髪。 「貴女の名前は?」  手を差し伸べ、茶の彼が紳士的に問うてくる。 「有本(ありもと) (すみれ)で──いいえ、アリスです」  本名を名乗りかけて、私は故意に言い直した。  なぜか、そう言わなければいけない気がして。 「帽子屋です」 「クイーンよ」 「チェシャだよ」  振り返ると、見慣れた彼らがめいめいに名乗る。  茶の彼は楽しげに笑った。 「いい名前だね。とても好きだ」 「さあ行きますよ、あまり時間がないですから」 「はいはい」 「わわっ」  白の彼が急かし、茶の彼に優しく手を引かれ走り出す。  夜の住宅街を突っ切って行く。  茶の彼は跳ねながら、軽やかに私の手を引く。 「ちょ、ちょっと、どこに行くんですか?」 「分からない? 新しいものを作りに行くんだ」 「それはどういう……」 「来てみれば分かります」  前方で白の彼が言うが、私は途中で足を止めた。 「アリスさん?」 「嫌です。私は行きません」  きっぱり言うと、茶の彼は困ったように微笑む。 「どうしたんだい?」 「だって、嫌です……!」  分別のない子供のように、私は語る。 「私と帽子屋先輩と、クイーン部長とチェシャがいて。ホワイトも三月もヤマネ先輩も皆同じ場所にいられるのに」  泣きそうな声で、ポツリ、ポツリと、思いを吐き出していく。 「行ってしまったら、夢が覚めてしまうような気がするんです。夢が覚めてしまったら、全て終わってしまうような気がするんです!」  これは私の、心の叫びだ。  夢は必ず覚めるもの。  楽しい夢も、悲しい夢も、全て。  それはまるで、卒業と共に終わる中学時代のようで。  この楽しい時間が、永遠に続く訳がない。  だから少しでも多く楽しみたくて。  もがいて、突っ走って、生きてきた。 「我儘だって分かっています」  止めた足は動かないまま。 「でも、終わってしまうのが怖いんです」  頬を、熱い滴が伝っていく。 「私は、大人になるのが、怖いんです……」  言ってから気付く。  私は幼い。  私は欲張り。  私は、ずっと楽しく暮らしていたい子供なのだ。  泣きじゃくって俯いて、地面に足をへばりつける。  そんな私の目の前に、影ができる。 「生き急ぐことが、良いこととは限らないですよ」  私の前に立ち、白の彼が優しく語りかける。  続いて私の頬に触れたのは、茶の彼だった。 「え……?」  目が合うと、彼は満面の笑みを見せる。 「大人になるのを怖がらない子供なんていない。今はいっぱい『今』を謳歌すれば良いんだよ。そうしたら、自然に覚悟が決まるから」 「覚悟、ですか?」 「そう、」  大切なものから、卒業する覚悟がね。  私は目を見開く。  茶の彼は微笑むと、再び私の手を引いた。 「行こう」 「わ、あの」 「もう大丈夫でしょう? 急ぎますよ、遅れてしまいます」  神経質そうに懐中時計を眺め、白の彼が私を急かす。    釣られて駆け出した足。  私はそれを、次第に自分の力で踏み締めていく。  後ろに続く仲間達と、住宅街を駆け抜ける。  そうして。  ある場所に着き、そこに置いてある物を見て。    私達は、飛び上がって喜んだのだった。
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