七転八倒

7/8
前へ
/53ページ
次へ
「お疲れー」  チェシャは早速、教室に残っていた男女のグループに声をかけた。 「あれ? お前がまだ教室にいるなんて珍しいな」 「ていうか、午後またサボってたよね!? 先生呆れてたよー?」 「マジ? そろそろ内申ヤバいかも」  笑いに包まれながら迎えられるチェシャ。  問題児だが威圧感のない彼は、ヤンキー枠というよりは変わり者枠として捉えられている。 「でさー、知ってる? 校舎裏にあるうさぎ小屋が潰される話」  軽いノリで、チェシャが話を切り出した。 「えっ、うちの中学、うさぎ小屋なんてあったのかよ」 「潰すの? えー何それ、初耳なんですけど」 「うちは部活の先輩からちょっと聞いたかも。それがどうしたの?」  クラスメイト達の反応はまちまちだ。  チェシャはふんふんとしばらく耳を傾けた後、真剣な顔になった。 「オレさー、学校の先生はキライだけど、うさぎは結構好きなんだよね。見ていて癒されるし、懸命に生きてる感じがいいっていうか」  少し寂しげな彼の声に、場がシンと静まりかえる。  チェシャは誤魔化すように小さく笑って、手に持っていたバインダーを披露した。 「あのさ、あんまり教室にいないオレがお願いするのもおこがましいと思うんだけど。オレ、うさぎが追いやられるのをただ見てるのは嫌なんだ」  そう言うと、チェシャはきっちりと頭を下げた。  クラスメイトのみならず、アリスにも動揺が走る。  意図が分かっているつもりのアリスの耳にも、チェシャの言葉が本気であるように聞こえて。 「でもオレの言うことなんか、先生は聞いてくれない。だから、うさぎ小屋の取り壊しに反対してくれる人を探してたんだ。……駄目かな?」 「あの! 私も、うさぎを守りたくて……! 署名に協力してくれませんか?」  チェシャの言葉を繋ぐように、アリスはずいとバインダーを差し出した。  クラスメイト達は、困ったように顔を見合わせる。  しかしすぐに笑顔になり、ボールペンを手に取ってくれた。 「なんだよ、水臭い言い方しなくてもいいだろー? お前からの頼み事なんてレアだし」 「ていうか、こんなに真面目な姿自体レアだよねー。ここに名前書けばいいの?」 「ありがとう。本当に助かる」  バインダーが人から人の手へ渡り、その場の全員がすらすらとサインをしていく。  チェシャと共に礼を言うと、頑張って、と肩をポンと叩かれた。  教室に残っていた生徒達全員の署名を受け取ると、アリスはポニーテールが荒ぶるほど深くお辞儀をして、廊下に出た。  見ると、チェシャも柔らかい微笑みを浮かべている。 「チェシャのあれは、本心ですか? 演技ですか?」  こそっと耳打ちすると、チェシャはべ、と舌を出した。 「オレ、作戦を立てるのは好きだけど、演劇は得意じゃないんだよね」  そう言うと彼は、さっさと次の教室へ足を運んだ。  茶髪の下に見えた、赤い耳を隠すように。  『不良がたまにイイコトするとなぜか株が上がる』作戦と言っていたが、彼の真剣さが相手を動かしたのは紛れもない事実なのだ。  照れ隠しも上手くない自称策士を追うアリスの足音は、ステップでも踏んでいるかのように軽快だった。
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加