第2部:洞窟の戦い 第5章:洞窟中層その2

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第2部:洞窟の戦い 第5章:洞窟中層その2

 アラードは言葉にならぬわめき声をあげながら、からみついた触手をめちゃくちゃに斬り裂いた。勢い余って自らの体に何度も刃を立てたことさえまったく気がつかぬまま。  やっとリアの側に駆け寄ったときには、ゴルツが血溜りの横に膝まずき身をかがめていた。  まだ息はあったが意識はなかった。脇腹が大きくえぐられた、助かりようのない傷だった。  身を投げ出して角にかかった? 自分を助けるために?  自分がリアを助けるためにきたはずなのに?  受け入れられなかった。  自分が化け物を踏んで、自分が動けなくなって……。  なぜ死にかけているのがリアなんだ!  どうしても受け入れられなかった。 「……そなたの高き魂こそ守られなければならぬ」  そうだ、そのとおりだ。失われてはいけないんだ。  だが、声は喉に貼りつき出なかった。 「今こそ誓いの刻」  ……なにをいっている? 「そなたの望みどおり、その魂、神の御元へ還す」  違うだろおぉっ! 「この世での苦痛と転化の呪いから解き放たれよ……」  殺すつもりだ! なんのためらいもなく!  ゴルツが輝く錫杖をゆっくりと掲げた。  死なせてなるもんかっ!!  鈍い音が聞こえた。  気がつくと、大きな石を手に持っていた。  足下にゴルツが倒れていた。  殴り倒した? 大司教閣下を?  血の気が引き、手から石が落ちた。  リアを見た。弱く、浅い、苦しげな息をしていた。  だから閣下は殺そうとしたんだ、楽にさせるために。  そう、する、しかない……んだ。  刃をリアに向けた。だが、 “かなりの傷をおって死んでも甦ることになろう”  そんなゴルツの言葉が脳裏に浮かんだ。  甦らないようにするには、どうすれば……。  ゴルツはおそらく亡骸を焼くつもりだったに違いない。自分にできる技ではない。  首を刎ねるしかないのか? 刃を少女の細い首に向けた。  だが手は震え、取り落とした剣が音をたてた。そのときリアが弱々しく喘ぎ、開いた口元に細い牙がのぞいた。  アラードの目が釘付けになった。  このままではからっぽのまま甦る。魂を失くした肉体だけが、ガモフみたいな動く死体になりはてて……。  その恐怖に抗うように、追い立てられるように、内なる思いが声をあげた。  魂を失わせてなるものか。どんなことをしてでも!  すると思念がこだまを返してきた。  ……この世に留める? 魂を? どんなことをしてでも?  あの牙を見ろ。もう手遅れだ。やがてガモフのように甦って、おまえの血を吸おうとするのだ。  では、甦る前に、死ぬ前に与えれば?  ……魂は失われないんじゃ……?  異様な悪寒が背を走った。だが一度思いついた考えは、もはや消せなかった。そしてリアの息がさらに弱く、浅くなった。もう時間がない!  右手で剣を逆手に持ち、左の掌を刃に当てた。震える掌はたちまち裂け、鮮血が刃身を伝い流れた。  牙の伸びた口元に刃先をあてがい、紅の流れを含ませた。  喉が小さく動いた。息が止まり、大きく吸われた。  まぶたが震え、ゆっくり開かれた。  青い目が、空色の瞳がアラードの顔に焦点を結んだ。 「アラード……?」  リアが身を起こした。だが脇腹の傷が癒着した瞬間、その目が驚愕に見開かれた。 「これはなに? 流れが見える、血の巡りが見えるわ!」  見開かれた目が傷の消えた脇腹に向けられ、両手がおずおずと口元をなぞった。開いた掌に赤い染みが付いていた。  再びアラードに向けられた視線が血に濡れた刃を認めた。 「まさか、アラード! なんてこと……っ」  いいかけた言葉が突然とぎれ、細い顔が中空を仰ぎ見た。 「誰? 誰なの? 私を笑うのは」  瞳が虚空を見据えていた。 「あなたなの? 私を牙にかけた!」  敵を視ている? アラードは思わず数歩近づいた。 「きてはだめ! 近づかないでっ!」  その動きに気づいたリアが大きく跳び退いた。人間離れした跳躍だった。 「転化してしまった、人間じゃなくなった……」  後じさりしながら、華奢な少女は呻いた。 「血の流れが見えてしまった。もう一緒にいられないわ!」  たちまち身を翻し、そのまま闇の彼方へ走り去った。  呆然と立ち尽くす若者の、やがて背後で呻き声がした。 「アラード。そなた、なにを……っ」  ゴルツが頭を振りつつ、半身を起こしていた。 「リアはどこじゃ……? なぜおらぬ?」  血染めの剣を認めた緑の目が、リアと同じく見開かれた。 「そなた、リアにその血を飲ませたのか!」  ゴルツは跳ね起き、アラードに詰め寄った。 「ばかものっ! リアを転化させたのか、生きたまま!」  錫杖の一撃が赤毛の若者を叩き伏せた。 「自分が何をしたのかわからぬのかっ! 吸血鬼の肉体に人間の魂を閉じ込めたのだぞ。毒蜘蛛の背に胡蝶を無残に縫い付けたのだぞ。どれだけ魂が苦しみ歪むか考えもせなんだかっ!」  ゴルツはアラードに背を向け数歩進んで足を止めた。 「火口は右の枝道を入ってすぐじゃ。ついてこい! そこにおるものも人の心を残して転化したもの、その末路の姿じゃ。初めて探知の術を使った時にわしには視えた。そなたもその目で見るがいい!」
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