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第4話『クルルのやくそく』
おんぼろアパートの一室で、ひとりの妖精の男の子が、ある決意を胸に冒険をはじめようとしていました。妖精の名前はクルル。
クルルはこれから、『まっ白で退屈な自分』にさよならをして、あかねに元気と勇気を与えるために【色さがしの旅】に出ます。最初は黄色。三日月のデ・アールからもらった髪の色です。
「ねえ、デ・アールさん。困っているひとを助けるのはわかったけど、その困っているひとっていったいどこにいるんだろう?」
クルルにそう聞かれて、デ・アールは顔をしかめました。
「むぅ。どこに…であるか…」
どうすればよいか、考えてくれているようです。すると、クルルからみて左側、部屋の入り口あたりから声がしました。
「それなら、次はわたしのお願いを聞いてくれないかしら!」
クルルとデ・アールは声の主を探しました。
声が聞こえたのは、ドアの左側に飾られた絵の中。そこにいたのは、赤いドレスを着た美しい少女でした。頭にはティアラを乗せ、ゆるやかに波うつ長い髪は、朝陽が照らす海のように黄金色に輝いて見えます。どうやらお姫様のようです。
クルルはもっと近くでその姿を見ようと、椅子を伝って机から下り、絵の近くまでいくことにしました。途中、さっき外したお月様の写真を綺麗に丸めて近くの壁に立てかけることも忘れません。
「ごめんね」
そして、絵の真下までやってきました。
(わあ。きれいな人だなあ…)
お姫様は遠慮がちにクルルに言いました。
「わたしはセーラ、ずいぶんと長い間この絵の中にいるのだけれど、いい加減に退屈しているの。どこかへ行くというのなら、一緒に連れて行ってもらえないかしら」
セーラ姫の急なお願いにクルルが驚いていると、その横で二人の話を聞いていた青年が声をあげました。
「なにを言っているんだ!」
長くスラリと伸びた手足に栗色の短髪。腰には剣をさげ、金の刺繍が入った青い服の上から赤いマントを羽織っています。お姫様と違って、こちらは宝石をちりばめた、なんとも豪華な冠をかぶっていました。今度は王子様のようです。
王子はセーラ姫に言いました。
「退屈だなんて馬鹿なことを言うんじゃない。このラーシュが命がけであなたの身を守ってあげているおかげで、こうして安全でいられるというのに!」
ラーシュ王子はそういうと、腰にさげた剣を勢いよく抜き、少し離れた草っ原で昼寝をしている白いドラゴンへと向き直りました。そして数歩だけ前へ進むと、まるで舞台役者のように芝居がかった言い方で声をかけました。
「さあ来いドラゴン!今日こそ退治してくれる。姫には指一本触れさせんぞ!」
ドラゴンは片目をパチリとあけて王子にちらっと目を向けると、大きな口を開けてあくびをしました。それを見た王子は「ひぃ…」と小さな悲鳴を漏らし、後ずさりしました。ドラゴンはそんな様子にはおかまいなしに、ゆったりと口を閉じ、「ふんっ…」と鼻で笑うと、またさっきのように丸くなって昼寝を再開しました。
「ふ、ふん…私の気迫に恐れをなしたようだな」
王子はそう言うと剣を納め、やれやれと言わんばかりに手を広げセーラ姫の元へ戻ってきました。セーラ姫の大きなため息に気づかないのか、王子は姫へ向かってうやうやしくお辞儀をしてから、クルルに向き直りこう言いました。
「ご覧のとおり、男子たるものは勇敢でなければならぬ。また、強くなければならぬ。君も男なら、私もそうしたように冒険に出るといい。グロー山脈を越えハージ海を渡り、かの魔王アモソーを打ち倒した私のように」
セーラ姫の様子も気にはなりましたが、それ以上にクルルはラーシュ王子の言った冒険の話に興味津々です。絵から飛びだしたばかりのクルルからしてみれば、王子のそうした冒険譚はとても心踊るものだったからです。
「ねえ王子さま!その冒険って、ぜんぶ一人で行ってきたの!?」
「え?ああ…うむ。その通りだ。ハージ海を渡るときなどは嵐にみまわれてな。たまたま漂着した地で、長きに渡り民を苦しめていた魔王の手先をこらしめたことだって……ある」
王子はそう言うと、鼻の下を人差し指でこすりました。すっかり得意げです。
「すごいや!王子様!」
クルルは目を輝かせました。それに引替え、デ・アールの反応はクルルとは正反対のもので、疑わしげに目を細めて二人のやり取りを聞いていました。
「そ、そうだろう。だから、君もこんなところでじっとしていないで、大いなる冒険へ繰り出すといい。外の世界へ飛び出すのさ」
「うん。そうしてみるよ!」
「それに、君がいつまでもここにいると、どうやら我が愛しの姫君まで冒険したいなどとたわごと…おっと、世迷いごと…いや、危険なことに首をつっこみたがるのでな。私は彼女を守らなければ。なぜなら、国へ彼女を連れ帰り、私の妃にせねばならん。だから…冒険には坊やひとりで行くといい。そういうことでよろしいかな?セーラ姫」
王子にそう問われたセーラ姫は小さく「はい…」というと、唇をぎゅっと噛んで、うつむきました。王子は満足げに頷くと、クルルに言いました。
「そういうわけだ。君も早く行きたまえ」
そう言ってクルルを追い払うように、王子は手を振りました。クルルはその隣でうなだれるセーラ姫をなんだかかわいそうに思いましたが、なんと声をかけていいかもわからず、ひとまずは冒険に出ることに決めました。
さて、そうと決まれば出発です。
クルルは部屋から出ようとあらためてドアを見上げました。困ったことに、ドアノブの高さはクルルのふたり分はあり、これでは手が届きません。しかし、なにごとかひらめいたクルルは机の方へ走っていったかと思うと、立てかけてあったハタキを手に戻ってきました。その様子を、デ・アールたちの目が追いかけます。そして、ハタキの柄についたかけひもの輪っかをドアノブに器用にひっかけ、下へと引っ張りました。
「よいっ…しょ!」
木製のドアはキシキシと音を立てて、ゆっくりと廊下側へと開きました。
「やるじゃあないか!」デ・アールが感心して言いました。
クルルはハタキを外して近くの壁に立てかけると、後ろを振り返りました。
「じゃあ、行くね!デ・アールさん。ほんとうにいろいろありがとう!またね!」
そう言って手を振るクルルに向かって、デ・アールは大きく頷きました。
「うむ!行ってきたまえ。旅の無事を祈る!」
クルルも頷いて返すと、今度はセーラ姫たちがいる絵に声をかけました。
「お姫様!帰ったら外がどんなだったかお話しするからね。約束するよ!」
セーラ姫からの返事はありませんでしたが、クルルはそれでもかまいませんでした。なぜなら、自分が無事に帰ることで、外の世界は安全だと王子に証明できれば、次こそはセーラ姫を連れて外へ出ることを王子も許してくれるだろうと、そう考えたからです。
デ・アールたちが見守る中、クルルは部屋の入り口から廊下へ顔を出して、外の様子を確かめると、そっと部屋を出てドアをパタンと閉めました。
クルルが見えなくなったのをみはからって、ラーシュ王子はセーラ姫へ話しかけました。
「まさか玄関から出ていこうとするとは、愚かなやつだ。向かいの部屋の窓からなら非常階段で下まで行けたろうに。わざわざあの『バカ犬』のいる玄関へ向かうとは。まあ、ただではすまんだろうな」
王子がそう言うと、セーラ姫は血相を変えました。そして王子に詰め寄りました。
「バカ犬って…どういうことなの!」
王子はさもおかしそうに言いました。
「絵が描きかけで、君はまだいなかったから知らないのも無理はない。いつだったか、ずいぶん前にこの部屋へ犬が入ってきたことがあってね。あかねの留守中に部屋の中をめちゃくちゃにしたのさ」
「ああ…なんてこと…」
「あれはとんだ災難だった。絵もそれを描く道具もズタボロにしたもんだから、この部屋にだけはドアが付けられたのさ」
「なんであの坊やに言ってあげなかったの!」
「そんなの当たり前だろう。冒険なんだ!これくらいでなくては」
「あなたという人は!」
あわてふためくセーラ姫へ、デ・アールが声をかけました。
「お嬢さん、そう心配することはない。あの子を信じて待つのである。ああ見えてあの子はたくましい。そのうえ嘘もつかぬし勇敢である。誰かとは違ってね」
デ・アールの最後の言葉で、王子は頬から耳まで真っ赤になりました。
さて、そのころクルルはというと、あたりをキョロキョロ見渡しながら廊下を歩いていました。遠慮がちに他の部屋を覗いて中の様子を眺めてみたりもしました。はじめての冒険に、すっかり胸を弾ませながら。
そして、もう少し廊下を進んだ突きあたりに、さっきのドアより少しだけ立派な扉がありました。ここが玄関のようです。玄関の靴棚の周りには、紙箱に入れっぱなしの靴が数箱積まれていたり、コート掛けから落ちてそのままになってしまっている上着などがありました。
また、玄関のドアノブはさっきと違って丸いものでした。これではさっきの方法で開くことはできません。どうしたものかとクルルが考えていると、近くにあった上着やマフラーの山がモゾモゾと動きました。不思議に思ったクルルが近づくと、山の中から一匹のブルドックが現れました。
「誰だお前!こんなとこでなにしてる!ここはご主人とこのおれ、トルシェマ様の家だぞ!」
「わあ!びっくりしたあ!」
驚くクルルにはおかまいなしに、トルシェマは低く唸り声をあげながら、クルルとの距離を縮めていきます。どうやら怒っているらしいことに気がついたクルルは、なるべく相手を刺激しないように気をつけながら声をかけました。
「えっと…そうだ!ぼくの名前はクルル…い、い、色を探して…」
「出てけ!」
クルルが話し終えるのを待たずに、トルシェマがクルルへ向かって飛びかかりました。クルルは仰け反るようにそれをかわすと、廊下をやって来たほうへ駆け出しました。それをトルシェマも追いかけます。
そして、トルシェマが噛みつこうとして飛びかかるのを、右へ左へとかわしているうちに、クルルはいよいよ廊下の突きあたりに追い詰められました。そこには窓と、花瓶を乗せた小さなチェストがありました。取手に足をかけて上に登ったクルルは、花瓶の影に体の半分だけ隠れると、チェストに前足をかけてほえ立てるトルシェマに言いました。
「ちょっと待ってよ!話を聞いてって…わっ!」
トルシェマがあまりに勢いよく飛びかかるせいで、チェストがぐらぐらと揺れ、花瓶が落ちてしまいました。
《ガシャン!》
「ああ!あかねの花瓶を…よくも!」
それを見たトルシェマはますます怒ってしまったようで、より激しくチェストを揺らします。これでは、話を聞いてもらうどころではありません。絶体絶命。困り果てたクルルは、後ろの窓から外へ逃げれやしないかと振り返りましたが、そこから見えるのはずっと下にある地面と街灯だけでした。どうやらクルルに残された逃げ道は、一つしか無いようです。それはとても危険な方法でした。しかし、迷っている時間もありません。
意を決したクルルは、街灯の支柱へ向かって空中に飛び出しました。
しかし、あともう少しのところで手が届かず、クルルはそのまま地面へ向かって落ちていきました。
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