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第6話『パシストンのおたから』
低い木の柵で周りを囲まれたその家は、青い屋根に白い壁のどこにでもありそうな一軒家でした。柵の内側にはそれほど広くはない庭があり、その入り口にひっそりと佇む赤いポストのあたりからクルルたちが中をのぞき込むと、薪割り台や掃き集めた落ち葉の山が見えました。その少し手前には家と同じ青い屋根の犬小屋があって、そばの杭からのびた鎖が中へと続いています。
「小屋の中かな……?」そっと囁くようにクルルが聞くと、同じくらい小さな声で「みたいだな……」とノーブルが返事をしました。
「準備はいいか、クルル。さっき言った手はずどおりにやるんだ」ノーブルはクルルの肩へ羽先を置いて言いました。
「おれがパシストンをおびき出す。クルルは外から犬小屋の裏へ回って、柵が腐ってできた穴から庭へ入って……」
「気づかれないように犬小屋の中から『キラキラ』を取ってくる。だよね?ノーブル」
「ああ、上出来だ。頼んだぜ」
そう言ったノーブルにクルルは、口をきゅっと結んで頷きます。
さあ、作戦開始です。
クルルは今しがたやってきた道を引き返し、青い屋根の家とその隣の家の間にある小路へ入りました。そして、柵の付け根あたりを注意深く観察しながら先へと進みます。すると、ありました。ノーブルの言っていた庭への抜け穴です。クルルならどうにか通れるだろうとの言葉どおり、それほど大きなものではありませんでしたが。
「見つけたぞ」そう言ってクルルは両ひざを、続けて両手を地面について四つんばいになりました。
柔らかな芝生がその小さな手のひらを優しく押し返すと、そのくすぐったさにクルルは思わず声をあげそうになりました。地面からは湿った土の匂いと爽やかな草の香りがします。
(わあー……)
あかねの絵を見たときにいつも想像していたあの気持ち。クルルはなんだか胸がいっぱいになりました。その顔からは、自然と笑みがこぼれます。
少しの間それらの感触を確かめたあと、庭の様子をうかがいながらクルルは柵にあいた穴をくぐり抜けました。そこにはちょうどいい高さの庭木があり、しゃがんで息をひそめるクルルはうまく隠れることができました。パシストンの小屋からは少し距離があります。
空の上で旋回しながらクルルの登場を待っていたノーブルは、その姿を確認すると、滑るように空からおりてポストの上に着地しました。その足には、さっきクルルと一緒にいたときには無かったあるものが握られていました。
ノーブルは犬小屋の方へ向き直ってすうっと短く息を吸い込むと、大きな声で言いました。
「おーい、パシストン!お前さんときたら、まあだ夢ん中かよ。お天道様はとっくに昇ってるぜー?」
ノーブルの声がカーカーとあたりに響きました。やまびことなったその声はしばらくあたりにこだましましたが、肝心のパシストンが小屋から出てくる気配がありません。ノーブルは小さくため息をつきました。そして、もう一度やってみようとさっきと同じように息を吸い込みました。しかし、それをすぐに「ふうっ」と吐き出しました。パシストンが寝ぐらから出てきたのです。
「せっかくオレっちが気持ちよく寝ているというのに……それを起こすのはどこのどいつだ!」
そう言って犬小屋から現れたのは一匹の白いブルテリアでした。左眼のまわりとおしりのあたりに黒いぶち模様があります。
ブルテリアは「うぅー」と低くうなり声をあげながら、ノーブルのいるポストへ向かいました。そして、鎖が伸びきる少し手前あたりで、その大きな口をぱっくり開けて言いました。
「お前か、オレっちを起こしたのは?見ねえ顔だが、なんだ……くちばしの黄色いひよっ子カラスかよ」パシストンは「ふんっ!」と馬鹿にしたように鼻で笑いました。
「ずいぶんな口のきき方じゃねえか、パシストン。おれはあんたの大事なだあいじな《落としもの》をわざわさ届けにきてやったんだぜ」パシストンの態度は気にもとめず、ノーブルは言いました。
「落としものだぁ?」パシストンがすっとんきょうな声をあげます。
クルルは庭木の陰から、そのやり取りをなんとか耳だけで追いかけていました。枝の隙間を覗いてみましたが、そこからでは満足にノーブルたちを見ることができません。そんなクルルをよそに、ノーブルは話を続けました。
「これ、なあんだ?」ノーブルは右足に握ったあるものをパシストンへ向かって突き出しました。
白っぽくて細長く、両端が少し膨らんでいて…どうやら骨のようです。ノーブルはそれをうまくつかみ直し、先っぽを持ってヒラヒラさせると、ニヤリと笑いました。それがなにか理解したパシストンの顔は、怒りでみるみる歪んでいきました。
「オレっちお気に入りの骨をなんでお前が持ってるんだ!確かに小屋のそばに埋めたはず…」パシストンは慌てて後ろを振り返ります。
様子をうかがおうと庭木の端から少しだけ顔を覗かせていたクルルでしたが、こちらも慌てて元の場所へ戻りました。幸い、思いがけない状況に取り乱すパシストンは、クルルの存在に気付きません。小屋のそばの地面には、ついさっき掘り返したような跡がありました。
「悪い悪い。お気に入りっていうわりに、土ん中じゃああんまりだと思ってよう。さっき掘り出してやったのさ。この黄色いクチバシも、こんなときにゃあなかなか役に立つもんだぜ」
「このやろう」パシストンがノーブルをにらみつけます。
「さあて、おれはこいつをどうすればいい?どうせ埋め直すんなら手伝ってやるよ。こんな狭い庭じゃなんだから、近くの公園…いや、いっそ山の中にでも持っていこうかね」
内心ではパシストンの怒りようにひやひやしていましたが、ノーブルはそれをおくびにも出しませんでした。いかにパシストンを怒らせることができるか。それがこの作戦にとって重要な鍵だったからです。そして、いよいよ待ちに待った瞬間がやってきました。
「返せ!」
怒りが頂点に達したパシストンはノーブルへ猛然と襲いかかりました!
しかし鎖の長さが足りず、噛みつこうとした大きな口は《ガチン!》と音を立てて、むなしく空振りします。ノーブルはポストからさっと飛び立つと、鎖の長さに注意しながらパシストンの頭上で骨を見せびらかしました。
「取れるもんなら取ってみやがれ!」
挑発にのせられたパシストン。その眼にはノーブルとその足の指先でゆらゆらと揺れる骨以外は映っていません。
(今だ!)と思ったノーブルはクルルに聞こえるよう、大きな声で言いました。
「よおよお落ち着けよ。そんなにがっつかれちゃあ、おれは恐くて恐くて目ん玉が《クルル》っとひっくり返っちまう!」
ノーブルがそう言うやいなや、クルルは庭木の陰から飛び出して、パシストンの小屋へ向かって走りました。『クルルの名前を呼ぶこと』これがノーブルの決めた合図なのです。
パシストンはノーブルから骨を取り戻そうと必死で、その姿に気づきません。
クルルは、あらかじめノーブルに教えてもらった通り、なるべく草の上を選んで静かに走りました。そして、パシストンに注意を払いつつ、犬小屋の中へ駆け込みました。
中は意外に広く、クルルは立って歩くことができました。薄暗い部屋の奥には、なにかが天井まで積み上げられています。しかし、入り口でクルルの体が外からの光を遮っていたため、あまりよく見えません。クルルは端っこへいきました。すると、ようやく部屋の奥が照らしだされました。
「わあっ……!」クルルはため息を漏らしました。
目の前にあらわれたのは、パシストンがさまざまな場所からかき集めた宝物の数々でした。ビー玉をたくさん入れたジャムの瓶や、綺麗に磨かれた真鍮製のホイッスル、先に白いポンポンのついた赤い三角帽子。小さな箱を持つ泥だらけでビリビリに破かれた人形の上には、どこから持ってきたのか大きなカボチャのランタンまでありました。
クルルは弱り果てました。なぜなら、これではどれがノーブルの取り戻そうとする『キラキラ』なのか、まったくわからないからです。
「うーん……ノーブルは『見ればわかる』って言ってたけど」
クルルはひとまず一番近くにあったオカリナを手にとりました。ヒヤシンスの花のような紫色のうわぐすりを、とても綺麗だと思ったからです。小屋の外へ出てノーブルに向かって手を振り合図を送ると、オカリナを無言で掲げました。
するとノーブルは、少しあわてた様子で言いました。
「あーっと……パシストン、そろそろ落ち着けよ。えーっと……ちょっと《勘違い》があるんじゃないか?どうだ」ノーブルはそう言って羽ばたきながら、首をよこにふりました。
「なにが勘違いだ!いい加減下りてきやがれ!」
どうやらこれではなさそうだ。ノーブルの態度で気がついたクルルは、もう一度、小屋の中へ入りました。
「困ったぞ……はやくしないと」
そうです。早く『キラキラ』を見つけて逃げ出さなければ。パシストンが骨を取り戻すことをあきらめて、犬小屋へ戻ってくるかも知れません。
そんなクルルが今度こそと選んだのが、まさしく《キラキラ》光るネックレスでした。たくさんぶらさがっている金属製の台座には、青や赤や緑色、色とりどりのガラスの玉がついています。クルルがそっと持ち上げると、入り口から差し込んだ光を反射して、小屋の中が万華鏡のように『キラキラ』と色づきました。もともと色のないクルルにとって、そのネックレスはとても魅力的なものに見えました。
「きっとこれだ!なんでさっきは気づかなかったんだろう」
クルルはネックレスを大事そうに抱きしめると、小屋の出口へ走りました。そして外に出るとまた、いまだパシストンをどうにかこうにかかわし続けるノーブルへ向かって、どうだと言わんばかりにネックレスを掲げました。
しかし、ノーブルの反応はまたしても予想とは違ったものでした。
「ああっ……そんな!確かに光っちゃいるが……」ノーブルは見るからにがっかりしています。
「おい!骨を返せ!」パシストンは相変わらず骨を取り戻すことに必死です。
もしかすると、また違うものを持ってきてしまったのかも。そう思ったクルルでしたが、今度は自信がありました。なのでもう一度よく見てもらおうと、ネックレスを掲げたまま、一羽と一匹に、一歩、また一歩と近づきました。
(きっと、さっきはよく見えなかったんだ。だってこんなに《キラキラ》したものなんて、他になかったもの)クルルはネックレスがなるべく光を受けるように、ネックレスをしゃらしゃらと揺らしてみました。しかし、これが間違いでありました。
「うん?」前を向いていたパシストンの耳が、クルルのいる後ろに向かってくるりと反転しました。内側の綺麗なピンク色が見えたことで、クルルもそのことに気づきました。
(あ!しまった……)
同時に気がついたノーブルもまた、パシストンの注意をそらそうとあわてて話しかけました。
「お、おいパシストン!おれはもう怒ったぞ!こうなったらこいつは山ん中へだな…」そう言いながら、ノーブルはまた首を横へぶんぶんと振って、クルルへ戻るようにうながしました。しかし、自分を通りこして背後へ向けられた視線を、パシストンは今度は見逃しませんでした。
「おまえ、さっきからなんでそんなに後ろを気にして…」そう言いながら、パシストンがゆっくりと振り返りました。クルルは身がすくんで動けません。
「逃げろ!クルル!」ノーブルが叫びました。
我にかえったクルルはネックレスを抱えたまま逃げ出しました。その背をパシストンが追います。
「待て!」
こうなってしまっては、とにもかくにも逃げなければなりません。もし、パシストンに捕まろうものなら、小屋の中で見かけた人形のようにビリビリに引き裂かれてしまうことでしょう。
ところが驚いたことに、クルルは犬小屋へ向かっています。クルルはまだ諦めていませんでした。そうです。ノーブルの『キラキラ』を取り戻さなくては。
クルルは小屋へ飛び込みました。そんなクルルに大きな影が覆いかぶさります。
「お前もあのカラスの仲間だな?よくもオレっちのお宝を!」
絶体絶命。飛びかかるパシストンになすすべもないクルルは、ぎゅっと目をつむりました。
……。
しかし、うなり声は聞こえても、噛みつかれる様子がありません。クルルは目を開けました。
やはりパシストンは目の前にいます。しかし、今にも噛みつこうと暴れるパシストンの体が、徐々に後ろへと引きずられていきます。
「クルルから……離れろ!」
ノーブルです。パシストンの首輪に繋がれた鎖を間一髪のところで掴み、クルルを救ったのです。鎖を渾身の力で握り、あらん限りの力を込めて翼を羽ばたかせます。
「クルル!長くはもたねえ……早く逃げるんだ!」
ノーブルの言葉どおり、ノーブルに負けじと地面に踏ん張るパシストンが、少しずつクルルへ向かってきます。鎖を掴むノーブルの足には血がにじんでいます。クルルに迷っている時間はありませんでした。クルルはいそいで小屋から飛び出し、柵の抜け穴へ走りました。庭木を回り込んだあたりで、後ろからノーブルの声がしました。
「もうだめだ!」ノーブルが鎖を放しました。
鎖は地面にふれる間もなく、ピンと一直線に引っ張られます。クルルを追おうとするパシストンは、その反動でもんどりうって地面へ倒れました。
「くそう!覚えてろよお前たち!」パシストンが起き上がりながら悔しげに言いました。
ノーブルは犬小屋を名残惜しげに見つめたあと、クルルと合流するために柵の向こう側へと飛んでいきます。カアとひと声鳴きながら。
悔しくてしかたがないのは、パシストンだけではありませんでした。
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