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 君の事ばかり考えるようになった頃、初めて君を見た日の事を思い出した。  春の雨が降る朝だった。  満開の桜は、大粒の雨に打たれて次々と散っていた。  遠目に見る君の姿は、幼いのに強く凛としていた。  一心に祭壇を見つめる眼差しは、一瞬しか見えなかったけど、涙は無かった。  僕が20歳の時、父に連れられて、小さなお葬式に参列した時のことだ。  当時の僕は、海外留学する直前で、家を離れられる事が嬉しくて、気持はもう留学先にあるようなものだった。  朝早くに父が部屋に入ってきて、まだ眠る僕を起こすと、直ぐに礼服に着替えて、黒のネクタイをしろと言った。寝ぼけながらも、指示通り用意をすると、数珠を渡されて、車に乗るように指示された。  それは、父が運転する一般車で、座ったのは助手席だった。  父の運転する車に乗るのは、いつ以来だろう。  普段は、運転手付きの大きな車の後部座席に座る。それは、父も同じだった。  寝起きから、説明も無く、驚くことばかりの連続で、状況の把握が出来ていない。  しばらくすると、父が話し始めた。  「瀧沢滋吉(たきざわしげよし)が奥さんと事故にあって亡くなった。」  「えっ。」  瀧沢さんは知っていた。  滋吉さんと、その母親の由枝さんは年に数回、家に来訪する。  穏やかそうな、品のある親子だ。  「その本葬に今から参列する。加神の人間としてだが、加々美コーポレーションとしてでは無い。一、友人として、お前はその息子として参列しなさい。」  いつに無い、張り詰めた空気は、父が悲しみをこらえているからなのだと、理解した。  「はい。」  それ以外の言葉は出なかった。  滋吉さんと父は、会う頻度こそ少ないが、父が心を許せるかけがえのない友であることは、僕でも分かっていた。きっと、弟のような存在だったのだと思う。  しかし、その家族は由枝さん以外には面識が無く、奥さんがどんな方なのか想像もつかなかった。  どんよりとした雲に向かい一時間ほど車を走らせていると、大粒の雨が振り出した。車はどんどん市街から外れ、山手にある小さな斎場で止まった。大きな桜の木が山肌に何本も咲いていて、満開の見ごろを迎えていた。  葬儀はもう始まっていて、僧侶の読経が斎場に響いていた。  急いで受付を済ませると、焼香の列につく。  遺影の滋吉さんは穏やかの笑みを咲かせている。その隣に、可憐に微笑む奥さんの遺影。優しく微笑む顔は、今はやりのアイドルグループで人気を集めている子に似ているな。と思った。  沈痛な面持ちの父に並び、不謹慎な心を隠し、焼香をした。  遺族に頭を下げる時、二人の小さな子供が由枝さんの隣にいる事に気付いた。男の子と女の子。二人は弔問客を見ることもせず、祭壇の方をじっと見ている。由枝さんだけが僕たちを認めて、頭を下げた。  僕たちは一番後ろの席に座り、参列した。  出棺前の準備で、小降りになった外に出ると、由枝さんの隣にいた女の子が男の子の手を引いて、桜の木を見上げていた。  多分、滋吉さんの子供たちだろう。  父が二人に駆け寄り、一緒に桜の木を見上げながら、何か話をしていた。そして二人の手を引いて、火葬場へと向かう車に乗せた。  父は僕の元へ戻ると指示を出した。  「私は火葬場へ向かうが、お前はこれで帰りなさい。」  そう言って、乗ってきた車の鍵を渡した。  子どもたちが乗っている車に一緒に乗り込む父。  間もなく、出棺の合図の長いホーンが鳴った。  僕は手を合わせて、故人の冥福を祈り見送った。  その後、直ぐには車に行かず、子供たちがと父が見上げていた場所へ行った。  あの子たちはここから何を見ていたんだろう?  父は一緒に何を見たんだろう?  どうしても知りたかった。  同じ場所から、桜を見上げたけれど、何も変わった物は見えなかった。  ただ、小さく降る雨が顔を濡らすだけだった。  雨粒が再び大きくなってきたのをきっかけに、その場を離れた。  髪から滴る雫を、ハンカチで拭いながら思った。  この雨は、子供たちの代わりに、空が泣いたんだ。と。
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