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加神の当主は後継者を残すため、早くに身を固め、子をなす。
それは僕も例外では無い。
30歳のこの年まで独身でいるのは、ひとえに、君への思いだ。
「明日の見合い相手はお前も気に入るだろう。若くて綺麗なお嬢さんだ。」
会社で、仕事の書類に目を通していると、父がノックもせずに入って来て、いきなり念を押してきた。
年々経営は、僕が担う部分が大きくなってきていて、時間が出来た父は僕の花嫁探しに精を出すばかりだ。
「そうですか。楽しみです。」
僕は心にもないことを言うのにも随分慣れた。
「ふん。まぁいい。遅れないように。」
父は僕の形式だけの言葉に呆れてはいるが、いつもの事なので受け流し、もう一度念を押すと部屋を出て行った。
父がこれ見よがしに見せて置いて行った見合い相手の写真は、加々美の着物を着た若い女性。童顔のその容姿はどこか裕姫に似ている。
父は僕の気持ちをお見通しのようだ。
僕も隠しているつもりはないけれど。
僕は、ロリコン趣味では無い。
裕姫が好きなのだ。
そりゃあ、たまたま、僕の企画した少女向けの市場獲得が上手くいって、今進めているのも、ティーン向けの雑誌との企画だが。
僕は見合いの事なんて、考える暇はない。
もうすぐ念願の着物がお直しから仕上がってくるのだ。
君が成人式に着る、真っ赤な振袖が。
瀧沢家の代々が着ていて、きっと君にも似合うだろう。
着付けはもちろん僕がするつもりだ。
それを承諾させるため、作戦を決行中なのだ。
そろそろ、電話がかかって来ても良い頃なのだが。
2日後、待ち望んでいた電話が来た。
「お忙しいところ失礼いたします。瀧沢でございます。」
電話越しでも伝わる、気品溢れる由枝さんの声だった。
「ご無沙汰しております。どんなに忙しくても、瀧沢さんのご用は、最優先事項ですから。ご連絡をいただけて嬉しいです。」
冗談めいて答えているが、曇りのない本心だ。
「ありがとうございます。要件は、裕姫の成人式の着物の事ですが。」
そうでしょう。
「はい。お着物でしたら、もうすぐ出来上がるはずですが?」
とぼけて聞く。
「いえ、それは心配していないのですが。着付けを、私がするつもりでいたのですが、その日は遠方での仕事が入ってしまいまして。本人は自分で着ると言っているのですが、心配で。もし、京祐さんの予定が無ければ、お願いできないかと、厚かましいお願いなのですが…。」
ありがとうございます。
その言葉を聞くために、一年がかりで計画を進めてきたのです。
「そうですか。日時はいつになりますか?予定を確認して折り返し、ご連絡させていただきます。」
和やかに、しかしあくまでビジネスの雰囲気で返事をする。
「お忙しいのに申し訳ありません。日時は、1月12日。13時から、みさき会館です。」
それも、もう入手している。
「分かりました。予定を確認して、連絡いたします。」
「よろしくお願いいたします。ごめんくださいませ。」
「失礼します。」
お蚕様の着物は、普通の人が長い間触れていると、強い力に耐えられず、具合が悪くなる。
だから誰でも着られるものでも、着つけられるものでもないのだ。
しかし、加神の人間は幼い頃よりお蚕様に触れているので、大丈夫なのだ。
特に僕は、長年君の専属着付け師としてキャリアを積んでいるから、信用も厚い。
僕が立てた作戦は、地方で毎年行われる霊祭のお守り役に由枝さんを立てることだ。
いわゆる、左義長の日に、封印の為に結ばれたしめ縄を付け替える儀式がある。お札が貼ってあるので、めったなことは無いのだが、気まぐれに閉じ込められた霊が暴れだすことがある。その時の為に、祓師が同席することになっている。
本来なら、別の祓師が勤めているのだが、今年は所用で勤められない。
その所用を提供したのが、僕なんだけどね。
「豪華客船で行く、世界一周旅行。」
何重にもフィルターをかけ、プレゼントした。
もちろん、僕のポケットマネーから。
「もしもし、加神です。」
由枝さんの携帯に電話を掛ける。
「はい。瀧沢でございます。」
落ち着いた品のある声。
「1月12日は、夜に会食が入っているだけですので、裕姫さんの着付けはお任せください。」
本当は、夜の会食も無い。何年も前から、この日に予定は入れないようにしてきた。
「ありがとうございます。裕姫には私の方から説明しておきますので、よろしくお願いいたします。」
「あの、実は、裕姫さんにはあまり好かれていませんので。直前まで、僕が着付ける事を内緒にしてもらえませんか?」
早々に、僕が着付けることを知ってしまうと、上手く逃げられるかもしれない。ここは、最後まで由枝さんに協力してもらうしかない。
「まぁ、あの子は。失礼なことで、申し訳ありません。」
「いえ、僕がいけないんでしょう。裕姫さんは何も悪くありません。」
この言葉に、嘘は無い。
「お心遣い、痛み入ります。それでは、この事は内密に進めてまいりましょう。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
「はい。承りました。」
上手くいった。全ては計画通り。
しかし、君にここまで嫌われてしまうのは計算外だった。
心当たりは無いけれど、もしかしたら、会う度に「可愛い」と何度も口にしてしまう事?
それとも、いかに綺麗に着つけようか、舐めるように君を観察する事?
もしかしたら、「幾つになっても、裕姫ちゃんは少女のようで尊いね。」と心の声を漏らしてしまった事?
嫌、毎年誕生日とクリスマスとバレンタインデーに思いを込めた、真っ赤な薔薇の花束を送っているからだろうか?
14歳で初めて着付けをしてから今日までの間で、君は僕に触れられることを心底嫌がるようになり、最近は鳥肌まで立てるようになった。
そんな君の我慢する姿を間近で見られるのも、僕にとってはレア感たっぷりで、この上ない嬉しさを感じてしまうんだけどね。
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