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成人式当日、加神の家で着付ける段取りを組んだ。
早朝に、一人、裕姫が訪ねて来た。
僕は、出迎えたい気持ちを押し殺し、応接室で対応した。
「おはようございます。本日は、お忙しいところ、私共の為にお手を煩わせてしまい申し訳ございません。よろしくお願いいたします。」
相変わらず、感情のない声で。感情の無い瞳で僕を見て丁寧にあいさつをして頭を下げた。
「おはよう。本日は、御成人の儀。誠におめでとうございます。」
僕も会えた嬉しさをかみ殺して、爽やかな笑顔で応える。
「じゃあ、早速、取り掛かろうか。」
僕が君の背中に手を添えてエスコートしようとしたら、すかさず身を避けて一定の距離をとった。
おぉ、やっぱり。
そんな、露骨な仕草も嫌いじゃない。
僕は、笑顔のまま、君の一歩前を歩いて案内する。
「瀧ちゃんは相変わらず、可憐だね。初めて会ったのが、ついこの間かと思うほどだよ。」
瀧ちゃん。
僕は君をそう呼ぶ。
モデルをする際、本名を出すのは良くないとのことで、「瀧」の名を僕が付けた。
間違いなく二十歳になったのに、その姿は、まだ中学生のように幼く。今着ているワンピースは、大人っぽい物を選んだつもりかもしれないけど、大きな胸が強調されて、まるで、アニメのキャラクターのようだ。
「聞いたと思うけど、今回は、由枝さんから直々にお願いされてね。ほら、お蚕様の着物は誰でも着付けられるものじゃないから。」
後を付いてくる君に、返事は期待していない。ただ僕の声が直接、君の耳に届くのが嬉しい。
「今日は、一番きれいな瀧ちゃんにしてあげるよ。」
「気持ち悪い。」
思わず漏れた。と言うような小さい囁きを、僕が聞き逃す訳がない。
聞こえなかった振りをして、まだ続ける。
「ヘアーメイクも僕がしたかったんだけど、考えた末、やっぱりいつもの田丸さんにお願いすることにしたよ。」
着付けの為に用意された部屋へ君を通すと、そこに、撮影の時についてもらってるヘアーメイクの田丸が控えていた。
彼を見たら、君は少しホッとした顔をした。
「瀧ちゃん、おはよう。本日はおめでとうございます。今日は一番綺麗にしてあげるからね。」
君を見るなり、田丸が寄って来て、君の白い手を取る。
僕より長身の田丸彰比古は、34歳の独身男子。美容界ではよくいる、いわゆるオネエだ。
元は、祓師の家系であったが、能力はそれほど高く無く、早くに見切りをつけて、美容師の道へと進んだ。なので、君の撮影には専属でお願いしている。
まず、着付けの前にヘアーメイクを済ませる。
古典柄で、季節の花が華やかに描かれている真紅の大振り袖。
この振袖に合うように、君が世界で一番美しいと君自信に自覚してもらえるようなヘアメイクをするようにと、田丸にはよーく説明してある。
僕が着付けをする時、君はいつも鳥肌を立てる。
それほどに、僕を受け付ないのだろう。
大嫌いな僕に触れられて、我慢している姿も、またいい。
君にこれだけの我慢をさせられるのも、僕だけだろ。
それだけ僕を嫌っているということは、それだけ僕を気にかけているという事。いつの日かその思いが、愛へ変わる時が来るかもしれない。
その日まで、僕は喜んで嫌われよう。
「出来た。」
帯締めを締め終わり、着付けが完了した。
「じゃあ、口紅を。」
着付けは二人きりにしてもらっていたので、最後の口紅は僕がつけてあげることになる。
「それぐらいできます。」
さげすんだような目で僕を見て、まだ紅の乗っていない唇が動く。
さっきまで、硬く結び、嫌悪を噛み殺していた唇だ。
「これで最後だから、もう少し我慢して。」
椅子に座らせ、着物の赤よりも少し淡い色合いの口紅を選び、筆にとる。手の甲に一度のせて色を確かめる。君の少し薄い唇にスーッと筆を走らせる。少し開いた唇は、今、僕に委ねられている。その事実だけで君の全てを手に入れた気分にる。
震えるように湧き上がる興奮を押し殺して、紳士の顔が出来るのは、君への愛がなせる業。
愛おしさが熱になって僕の体温を上げるけど、それを微塵も見せないように涼しい顔で紅を引く。
「出来た。」
僕の言葉で目を開けた。
「ありがとうございます。」
感情の無い声でお礼を言う。
「あの、鏡は?」
この部屋に鏡は置いていない。もちろんわざとだ。
バックと草履を持って君を案内する。
「確かめなくても綺麗だよ。間違いなく、今までで一番。」
腑に落ちない顔をしつつ、僕の後に続く。
玄関で草履を履かせ、庭へと誘う。
自慢の日本庭園は、前日までの降雪で、一面は真っ白だ。
そしてそこには、撮影の準備が整っていた。
これから始まることを知った君は僕の後ろで立ち止まり、ささやかな抵抗を見せるが、僕は振り返り笑顔で説明する。
「今日の着付けのお代は、撮影の経費で落とすことにしたよ。由枝さんにはちゃんとそう説明してあるから。」
本当はお金なんて要らない。
一番綺麗な姿を記録する口実だ。
「何に載るんですか?」
「社内報かな。」
そんな予定はない。僕だけのアルバムに収めるのだ。
「分かりました。」
不機嫌に、僕の持っているバックを取ると、カメラの前へと進み出た。
「瀧ちゃん。キレ~。」
田丸が君に駆け寄って、賛美の言葉を発しながら、最終のメイク直しをする。
「ありがとう。まだ鏡を見て無いから、自分がどうなってるのか分からないの。」
田丸とは和やかに話をする君から距離をとって見守る。
僕には見せない顔を、他の人には惜しげも無く見せるんだね。
でも僕は、僕にしか見せない顔を知っている。そんな風に思いながら、君の姿を見ていたら、いつの間にか笑みがこぼれてしまっていた。
不意に僕と目が合うと、すぐに真顔に戻り小さく何か呟いた。
きっと、「気持ち悪い。」だろう。
「やだぁ~、瀧ちゃん。京さんにそんな事言うの、瀧ちゃんだけよ。みんな京さんに着付けしてもらいたいんだからねぇ。」
田丸が、僕と君を交互に見ながらたしなめる。
けれど僕は笑顔で、その様子を見つめる。
「はい。OKで~す。」
田丸が君から離れて、僕の隣にやって来た。
カメラマンの指示で次々とシャッターを切られる君を見ながら、言葉を交わす。
「京さんはあの子に嫌われて、幸せそうね。」
嫌味のつもりか、僕の気持ちを分かって言っているのか、まぁ、どちらでもいい。
「瀧ちゃんは僕の理想のモデルだからね。憧れは手に届かない方がいいだろ。」
「手に届かないモノなんて、京さんには無いんじゃない?今日だって、京さんの計画でしょ?」
「僕は呉服屋の跡取り息子なだけだよ。手に入らないモノだらけさ。今日の事も、廻りあわせだよ。」
そう、廻るようにしたのだ。
「まあいいけど。でも、瀧ちゃん。本当に綺麗ね。」
幼い容姿も、着物とメイクで随分と雰囲気が変わる。今日の草履は大分底が厚い物を選んだので、背の低さもそこまで気にならないだろう。
二十歳の年相応のお嬢さんだ。
この庭を撮影場所に選んだのは、君が好きな場所だから。
初めてこの庭に案内した時に、「静か。」だと心を静めて以来、来訪すると、この庭にいる事を好んだ。
ここは、結界の中にあり、邪気や様々な霊の侵入を許さない。だから静かなんだ。この結界は、由枝さんが作ってくれているんだよ。
いつか二人でこの庭で、並んで歩き、他愛も無い話をしたい。そんな些細な希望を叶えるのは、近い未来でなくてもいい。
いつかでいい。
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