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5
由枝さんが亡くなったのは、君が大学の卒業を待つばかりの、冬が始まった日だった。
仕事先で知らせを受けて、急いで病室に駆けつけると、すでに他界された後だった。
父は先に着いていて、残された二人の肩を抱いていた。
病室には悲しみが満ちていて、由枝さんに取り付けられていて機器を静かに取り外している看護師までも、残された者の悲しみを邪魔しないようにと、気遣っているように見えた。
僕は声もかけられず、ただその様子を見ることしかできなかった。
父の行動は、僕の取りたい、そのものだった。
父より早く着いていれば、二人を抱きしめられただろうか?
父より早く着いていれば、由枝さんに約束出来ただろうか?
僕が二人を守ると。
そんな自分勝手な事を漠然と思いながら、病室を行き交う看護師たちの邪魔にならないように、端へ端へと身を潜める。
まるで、幽霊のように、見える人にだけにしか見えない存在になったように感じた。
君は父に心をさらけ出し、声を殺して泣いていた。
君の弟の彦季は姉の手をしっかりと握り、茫然と由枝さんを見ていた。肩を抱いている父の存在など気がついていないように。
葬儀は近親者だけの小さいものにし、父の命で僕が取り仕切ることになった。勿論それが表に出ることはない。
静かな悲しみが会場全部を埋め尽くし、その場に居るだけで、鼻の奥がツンとする。
僕も悲しみを堪えながら、いつもの様に君に喪服を着つけていると、伝った涙が僕の腕に落ちた。
跪いた位置から見上げると、正面を見たまま空虚な顔でただ涙を流している。
かける言葉が見つからず、黙々と着付けを進める。
帯を締め、帯揚げと帯締めを締めると、仕上がった。
涙はまだ止まらずに、襟元を濡らしている。
僕はようやく、ハンカチを濡れた頬にあて、君の涙を拭う。
初めて自分が泣いていることに気付いたのか、指で目元を押えた。
僕の存在に初めて気付いたような顔をして、僕を認めた。
そう言えば、今日の君は僕の着付けなのに、鳥肌を立てていなかった。
「瀧ちゃん。今日は家族として、ちゃんとお別れをしたほうがいい。しっかりするのは、その後でいいんだよ。この式は、僕が滞りなく取り仕切るから。」
「でも私は、瀧沢を継ぐ者だから。」
「瀧ちゃんは、由枝さんの孫。今はそれだけでいいんだよ。」
君の冷たい小さな手を取り、そっと握った。
今の僕に出来ることは、冷たくなった手を温める事だけ。
「ありがとう。」
それだけ言うと、肩を震わせて泣いた。
初めて弱さを見せる君に、僕は誓ってしまったんだ。
愛おしい君を、「僕が守る。」と。
それからは、父のご機嫌を伺う事もしなくなり、なりふり構わず仕事の成果を上げ、加々美の実権を手に入れた。もちろん、裏の仕事もだ。
君を手放さない為に、どんな手段も使った。公私混同と言われても、職権乱用と言われても。笑顔でそれを論破する。
僕のことなんて、好きに言えばいい。
君以外の人にどう思われようと、構わない。
君にだって、どれだけ嫌われても、絶対に手放さない。
由枝さんの後を継いで、祓師になると決めた君を、個人的に支援するのは容易いことだけど、君が拒否することは目に見えていたから、同じように心配していた父から加々美の営業の仕事を提案してもらった。
それは仕事は、コチラが指定した土地へ出向き、加々美の着物を着て展示会の案内を配ったり、お得意様にご挨拶に行ったりと、その都度指示のあった内容をこなす。その際、新しく着物の注文や相談を持ち掛けられたら、担当者に繋ぎ、顧客が繋がらればその分収入は増えるが、繋がらなければ収入は無い。
基本給+歩合制といった給与形態で、今のところ生活をするのがギリギリ程度しか収入が無い。
それは特別な待遇だけど収入はギリギリ、もしくは足りない。しかし、依然同様、モデルとして写真を撮らせれば、その都度ギャラは発生する。と言う何とも究極の救済措置付き。
君が時々言う「身売り。」とは撮影の事を言うのだろう。相変わらず撮影の着物は全部、僕が着つけるので、それが君には気持ち悪くて仕方がないんだよね。だから、それに応じるのは、体を売るのと同じくらい覚悟が必要なのだろう。
「身売り」をしたく無ければ、祓師としての収入を得るしかない。それは祓師として成長しなければ難しく、まだ駆け出しの君に出来る仕事は大したものはない。それでも必死に頑張る姿は、健気で可憐だ。
君が由枝さんのように一人前の祓師になれるのは、まだまだ先だけど、きっと立派な祓師になると信じているよ。
24歳の大人になった君は、幼い容姿を気にしてか、笑顔はあまり見せず落ち着いた仕草と少し辛辣な言葉使いで、人と距離を取っているけれど、本当は心優しい女の子だって僕は知っている。
事実、祓師は霊には泣く子も黙る怖い存在で、見掛けても逃げはするものの、近づいたりはしない。けれど、君の周りには何故か霊が寄って来て、君に話を聞いてもらいたがる。面倒に思うなら、さっさと祓ってしまえばいいのだけど、君は「金の為だ。」と冷たい態度をとりながらも、その霊の心残りを果そうとする。
君の誰にも見せないツンデレなところ、僕は堪らないほど恋心をくすぐられているんだよ。もし、君がそれを分かって見せつけているのなら、僕をもっと弄んで欲しい。
僕は君のする事全てを、喜んで受け入れるから。
由枝さんが亡くなり、瀧沢家の私財は家や土地まで処分した。それは由枝さんの遺言に基づいてした事だが、代理で手続きを進める父に、そこまですることは無いのでは、と詰め寄った事がある。
しかし父は断固として遂行した。
「裕姫と彦季には、家に縛られること無く、生きて欲しい。」それが祓師として長年生きて来た由枝さんの願いだった。
祓師の仕事を教えたのは、特殊な力をコントロールするためだったのかもしれない。どうすれば、その力と共に生きて行けるのか、残りの人生で教えたのだ。
由枝さんの思いは、僕の心にも重く響いた。
きっと、随分前から父は理解していたんだろう。
祓師は世襲制だが、必ず継がなくてはならない事は無い。田丸の様に、能力の適合も大切だからだ。しかし、能力があっても、性格的に向いていない人もいる。人が見えない闇を見る仕事だ。強い意志がなければ続けることは難しい。
由枝さんは、孫達にそれを選ばせたんだ。
継がなくてもいい。
自分の人生を選べと。
それは、職は違えど、加神も同じ。
父も、本当はそうさせたかったんじゃないだろうか。
姉が駆け落ちの様に家を出て行ってから、僕を当然のように加々美に招き入れてから。子供たちに生きる道を選ばせなかった事で、自分を責めたはずだ。
そうでなければ、僕が君に夢中になっている事を放っておくはずが無い。契約結婚でもさせて、形だけでも身を固めさすはずだ。
裕姫と彦季に接する父は、小さい頃の僕たちにできなかった理解のある父親のようだった。
君も父を、亡くなった父親と重ねていることが伺えた。
姉の代わりに君をモデルとして側に置き、僕の代わりに彦季を自由に学ばせた。
それが羨ましかった訳ではない。
僕が今、加々美に居るのは自分の意志。
裕姫が祓師になったのも自分の意志。
君に心を奪われてから、自分が加々美にいる意味を見出した。
向いていないと思いながら始めた仕事ではあったけれど、君を守りたいと思う気持ちがここまで来させた。
君がいなければ、僕は父の思惑通り、とっくに綺麗な奥さんをもらって、可愛い子供たちに囲まれていただろろう。
「気持ち悪い。」とか「ロリコン。」なんて、縁のない言葉だったろうし。
何より、こんなに自分をさらけ出すことは無かった。
こんなに、一途に人を思う事なんて無かった。
父に負けたくないと、思う事は無かった。
君が大切に思う人を、自分も大切だと思う事は無かった。
22時38分
今日一日の疲れを落とすべく、熱いシャワーを浴びようとバスルームで服を脱いでいると、肌身離さず持っている私用のスマホに着信があった。表示される文字をみて、シャツのボタンを外したまま電話に出る。
「もしもし、瀧ちゃん!こんな時間に僕の声が聞きたくなった?」
1秒でも早く君の声が聴きたい。
「お蚕様のブレスレットを一つ、至急用意して欲しい。色は、とびっきりカラフルに、若い女の子が身につけても違和感が無いようなものを。」
君は相変わらず、無駄を省くように用件だけを告げる。
業務連絡以外何者でも無い内容で、ぶっきら棒だけど、僕には愛の囁きのように聞こえる。
君の声に刺激されて、電流が走ったように体中がビリビリと痺れる。
あぁ、この甘い痛みが堪らない。
僕は痛みを楽しむように、頬を緩めながら質問する。
「誰にプレゼント?ヒコの彼女?」
君が弟の彦季の所に行っていることは把握している。ヒコがお世話になっている人たちの事も大体は。
「彼女ではない。未熟なヒコを助けてくれる存在だ。」
確か酒井未來。長身、痩身、ギャルメイクだが空手を習っていて、高校の成績は優秀。
「分かった。ヒコの所に届ければいいかな?」
「そうしてくれ。住所は…。」
すでに入手しているヒコの下宿先の住所を君の可憐な声が告げる。
要件はきっとこれだけだろう。でも、もう少し僕の耳に君の声を聞かせて欲しい。欲望に駆られて、君を繋ぎとめる話題を探す。
本来ならまだ、耳に入れる段階では無いけれど、君との時間を得るためなら関係ない。
「瀧ちゃんが繋げてくれた『Six』の企画。面白そうだからこっちからも色々提案しようと思ってるんだ。形になったら、瀧ちゃんがモデルをしてね。」
君には加々美の着物が一番似合うけれど、君に似合う洋服を僕が企画してあげるよ。
君が身につける物全てに、僕の思いが絡んでいると想像するだけで、僕自身が君を包んでいるような気持ちになって、鼓動が逸る。
僕の思いを着た君を想像しただけで、色んなアイデアが浮かんで来て、体温までが上がる。
「断る。身売りをする時は、金が底をついた時だけだ。」
「え~。そんな事言わないで、もっと顔見せに来てよ。瀧ちゃんが来てくれないと、僕が会いに行っちゃうよぉ。」
まるで興奮している僕の姿が見えているかのように、君は嫌悪感をぶつけるように言葉を吐くと、僕の言葉が終わらないうちに電話を切った。
きっと今、君は「気持ち悪い。」と鳥肌を立てている事だろう。
それでもいい。
君の頭に僕の姿がホンの一瞬でも思い浮かべてもらえるなら、僕は幸せなんだ。
僕は通話の切れたスマホを、はだけた胸に抱きしめながら、君との時間の余韻に浸る。
そうだ、今日は君を初めて見た日に咲いていた、桜の香りのバスソルトにしよう。
その香りに包まれながら、君との思い出に浸り、これからの僕たちの未来を妄想しよう。
僕は自然とこぼれる鼻歌に高揚した気ちを乗せて、桜のバスソルトを探した。
僕は、14歳の君に恋をした。
24歳になった今も、14歳の頃と変わらいない容姿はいつまでも当時のときめきを呼び起こさせる。
いや、当時よりも僕の心は純粋で、君の全てに敏感にときめいてまう。
いつか君が僕の愛を受け止めてくれる日を夢みる事は、僕の生きる原動力になっている。
それがすぐに叶ってしまっても、大人になった君となら、もう法には触れないからね。
了
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