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柚希に連絡をいれても既読は一向につかない。いつもは一瞬で既読が付き数分以内に返信があるのに。もしかして体調が悪いのだろうか。たまには様子を見に行こうと隣の部屋のインターホンを鳴らすも一向に出てくる気配はない。柚希のポストは一杯になっていて、2,3日あるいはそれ以上に長くこの部屋に帰っていないことを示していた。
しかし連絡がつかないのなら仕方ない。俺はしばらく隣を気にしながら、学校でも柚希を探した。いつも俺を探すのは柚希だった。けれどいざ逆の立場となって自分が柚希を探そうとしたとき、自分が柚希について何一つ知らないことに気が付く。柚希はいつもどこで何をしているのか。誰といるのか。俺は柚希のことを何も知らない、知ろうとしてこなかった。
「どうかしたの?涼真?」
ふいに呼び止められて振り返れば凪人が不思議そうにこちらを見ている。
そしてふと思い当るかのようにぽんと手を打って俺に尋ねる。
「もしかして敦を探してるのかな」
俺は首を振る。敦に会う前にどうしても柚希にあっておく必要があるのだ。なんと説明しようかと考えあぐねていると、まるで心を透かしたように凪人は尋ねる。
「それとも柚希を探してる?」
「柚希の居場所を知ってるのか」
思わずつかみかかった手を「落ち着いて」となだめられる。どうやら凪人は柚希の居場所を知っているらしい。凪人が口を開きかけたその時。
「涼真?」
探し人の声がした。どうやら図書館で本を探していたらしい、腕には数冊の本を抱えている。俺は柚希に駆け寄った。
「柚希、話がある」
「うん」
柚希はもう俺が何を言いたいのかわかっているように落ち着いた様子だった。俺は呼吸を整える。
「俺、他に好きな人ができた」
「うん」
柚希はまた静かにうなずいた。
柚希のその反応に内心酷く驚いた。泣かせてしまうのではないかと思っていたから。正直、少し拍子抜けだった。
「だから俺と別れてほしい」
「わかった」
あまりにあっさり俺との別れ話を承諾するから、思わずこちらがうろたえてしまう。
「怒らないのか?」
自分勝手なことを言っている自覚はあった。散々柚希を傷つけて利用して、今更好きな人ができたから別れてほしいなんて、一発や二発殴られても仕方ないと思っていた。
柚希は少し考えて口を開く。
「怒ってないといえば嘘になる。悲しくないわけがない。でも、俺が引き留めたってお前は行くんだろう」
柚希の言葉に俺は素直に頷く。ここで嘘をついて柚希に気を使うことも、慰めることも柚希は望んでいないとわかるから。柚希はそんな俺にいつものように笑った。
「いつも真っ直ぐで自分に正直なお前が好きだった。だから止めない…止められないよ」
その笑顔がどうして今になって泣き顔を隠すための作り笑顔だと気づくのだろう。いつも笑っていると思いこんでいた。俺のそばにいるとき柚希はいつも笑っていたから。
どうして今まで気づかなかったのだろう。
「どうしてお前が泣きそうな顔するんだ」
柚希は呆れたように笑って言った。その笑顔に堪らない気持ちになる。
「ごめん、俺、ずっと柚希のこと傷つけてた、本当にごめん」
恋を知って初めて自分の罪を知った。
俺は気づかぬうちにどれだけ柚希を傷つけてきたのだろう。けれど俺には軽々しく柚希を慰める資格はない。
俯く俺を前に柚希は静かに囁くように言った。
「俺は大丈夫だから」
早く行ってこい、そう柚希が俺の背を押す。どんな気持ちで柚希は俺の恋を後押ししているのだろう。柚希の気持ちが今なら痛いほどに理解できた。だからこそ俺は振り返らなかった。俺がこの場にとどまることは柚希の本意ではないと分かるから。
もう迷わない。俺は走り出した。
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