後編

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初めはただ愚かな男だと思った。友人の恋人、中岡 柚希。恋人と言えど、それは名ばかりの関係。決して報われないと分かっていて男は恋人のために尽くした。 その愚かな男に少し興味がわいたのも事実。僕は友人の恋人である彼を気づけば目で追うようになっていた。本が好きなこと、料理が得意なこと、逆に人付き合いは苦手であること。甘いものが好き、辛い物は苦手、最近音楽を聴き始めたのは涼真がその歌手を好むからであること。最近彼の好きな作家の本が映画化され、それが気になっていること。 知れば知るほどもっと知りたくなった。そして次第に彼を縛り続ける友人が憎らしくなった。ただの親切心が恋心へと変わったのは一体いつからだろう。「好きじゃないなら開放してやればいいのに」。 本当に最初は偽善者ぶった正義感にすぎなかった。けれど、いつしか親切心や正義感では自分の感情に説明がつかなくなった。「そうしたら僕が彼を慰める。彼の涙をぬぐうのは僕でありたい。彼が泣きつくのが僕だったらいいのに」。 平凡で、何の取り柄もない男。——でもひどく目を惹く。 涼真の犬。——そこまで想われる涼真が羨ましい。 彼は涼真が好き。——僕を好きになったらいいのに。 廊下にうずくまる彼に手を差し伸べても彼は僕の手を取ろうとはしない。僕が涼真だったらきっと彼は喜んで僕の手を取っただろう。 僕を振り返った顔がわかりやすく落胆の色を示す。悔しくてたまらなかった。 ふいにその体がぐらりと傾く。自分は涼真じゃない、彼の恋人じゃない。けれどその体は僕の胸の中へと倒れ込む。ああ、なんだ、簡単なことだ。その瞬間どうして今まで気づかなかったのかと不思議に思うほど、あまりにあっさりと僕は彼を手にする方法を思いつく。 手放さないのなら奪えばいいのだ。 * 「お兄ちゃんなんだから」 両親は長男である僕によくそう言った。我慢させられてきたという感覚はない。ただ当たり前のようにそれを受け入れた。妹や弟が欲しがるものはすべて譲った。強請られれば買い与えた。「兄だから」それは当然のことだった。物欲も独占欲も薄かった僕は取り合いをする彼らを優しく諫める。 母の弟の息子、つまり僕の従弟にあたる五十嵐 敦もまた厄介な弟だった。敦には人のものを異様に欲しがる悪癖があった。年末年始の集まりで敦と僕の兄妹たちが顔を合わせると毎年本当に大変だった。敦は一人っ子であることもあって、5つ以上も離れた兄妹たちと同レベルでけんかをする。最近は皆大きくなってようやく僕も少しは落ち着けるようになった。 敦が僕と同じ大学を志望していることを聞いたのは大学一年の冬、僕はそこである事を思いつくのだ。 「僕の大学にね、誰にも仲を裂くことができない二人(カップル)がいるんだ」 僕の言葉に敦が食いつくのが目に見えた。敦が高校で数多くの恋人を破局に追い込み問題となっておじさんが学校に呼び出されたと愚痴をこぼしていた。密かに「別れさせ屋」なんて異名が付くほどなのだとおじは困ったようにため息をつく。 敦の性格を僕はよく知っていた。敦は破局をさせたかったわけじゃない、ただ根本的な欲求として人のものが欲しいのだ。それが結果として数多くの恋人を破局に追い込んでしまっただけの話。 そこを煽れば敦は必ず乗ってくるとわかっていた。敦は同じように手に入れようとするだろう。それが結果として二人を別れさせることになることも理解していた。分かっていて僕は発破をかけたのだ。 「敦が無事受かったら紹介してあげる」 僕は敦にそう約束をした。
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