後編

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面白いほどにうまくいっている。 僕のベッドですやすやと寝息を立てる柚希を見下ろして僕の唇は自然と弧を描く。柚希の目の下のクマをそっと撫でた。 柚希の眠っている間に彼のスマホから涼真をブロックする。鼻歌交じりに寝室の扉を閉めた。 「ここで一緒に住まない?」 三日目の朝、完全に熱が下がった柚希をなんとか引き留めようといろいろな言い訳を考えた。けれそ結局僕は素直にそう伝えることにした。 僕の提案に柚希は戸惑った表情を見せた。当然だ、柚希にとって僕はほとんど初対面といっても過言でない。柚希はしばらく考えて、慎重に言葉を選ぶように答える。 「倒れた俺をここまで運んでくれたことも、看病してくれたこともすごく感謝してる。でも俺はここまで懇意にしてもらう理由が思い当らない」 戸惑いとわずかな疑惑。何か裏がある、そんなことを考えているのだろう。その答えはまじめで慎重な柚希の性格を表しているように思った。 柚希はさらに続ける。 「もしその「ここで一緒に住む」という提案が恩返しの意味を含むなら俺は当然了承する。飯も作るし、掃除もする。課題の代筆もする」 きっと柚希には遠回しに言っても伝わらない。今まで与えるばかりだった柚希にとって自分の存在価値はきっと「料理をすること」と「掃除をすること」「課題の代筆をすること」だけだと本気で思っているのだ。そしてそれはきっと涼真にいつもそれを頼まれていたからに違いない。そして涼真の友人である僕も同様にそれを求めていると柚希は思い当ったのだろう。 きっとすぐには伝わらない。どれだけ言葉にしても柚希が納得することはないのかもしれない。それでも、だからこそ、僕は彼に伝えたい。 「恩返しなんていらない」 僕の言葉にますます戸惑いの色を深め首をかしげる柚希をまっすぐに見て僕は答えた。 「そんなことをしてほしいわけじゃない。そりゃあ僕のためにご飯作ってくれたらすごくうれしいけど、強要させたいわけじゃない」 「それなら俺は何をすればいいんだ?」 「僕の傍にいてくれたらいい」 柚希はますます疑念を深めたように首を傾げた。 柚希にはわからない、「傍にいる」ただそれだけのことに価値がある事を。涼真に対しては理解できるのに、それを自分に置き換えることはできないのだ。 焦らなくてもいい、今は理解できなくてもいい、少しずつ時間をかけて理解してくれたらいい。 「君が涼真の恋人であることを僕は知ってる」 僕の言葉に柚希がびくりと肩を震わせたのは、涼真が柚希との関係を隠しているからだ。涼真の気持ちも理解はできる。けれど仮にも恋人ならどうして少しくらい彼をいたわってやれないのか、優しい言葉をかけてやらないのか。 「でも、それでも僕は君が好きなんだ」 疑り深い彼に冗談ではないことを示すように彼の掌に自身の手を重ねた。柚希の掌はかすかに震えていた。柚希は僕の言葉に目を見開く。そして何かに耐えるように強く強く下唇を噛んだ。 僕は柚希の頭に手を回し、その顔を隠すようにそっと自身の胸に引き寄せる。 「もう我慢しなくていいんだよ」 ずっと柚希にこの言葉をかけてやりたかった。 涼真に伝えたい言葉があっただろう。伝えたい思いがあっただろう。けれど涼真には届かない。だから柚希は唇を噛む。言葉が、想いが、涙がこぼれないように。その姿を何度もみてきた。胸が苦しくなった。駆け寄ってすぐにでも抱きしめてやりたかった。 僕の言葉にタガが外れたように、柚希は僕の胸で泣き始めた。ため込んだ想いをすべて吐き出すように、長い時間彼は泣いた。僕はその背を静かにさすった。 ふいに昔のことを思い出す。「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」そう両親は僕に言った。それはしょうがないことだと納得しているつもりだった。けれど、柚希の小さな体を抱きしめて思う。もしかしたら今自分は幼い自分と柚希を重ね合わせているのかもしれない。唇を噛みしめ俯く幼き日の自分に僕は言う。 「別にいいだろ、たまに我慢できない時があっても。どうしても譲れないものがあっても」 幼き日の僕がひだまりで笑った。
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