旅立ちの花

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 ……窓口の一輪挿しに気が付いたのは、総務部の物部さんだった。昼休みに入る前に郵便を届けに来た彼女は、桜の花を見て口を緩ませた。 「きれいに活けてあるじゃない。どうしたの?」  折りましたとも言えないので、自宅から持ってきましたと伝えた。今朝折った桜の一枝である。給湯室にちょうどいい一輪挿しの花瓶があったから、これは勝手に借りた。 「見る人はまぁ、身内だけなんですけど。少しは華やかになるじゃないですか」  うんうんと物部さんは頷いた。 「本当に残念よね。こんな事態になるなんて」  身内は教職員を指す。学生はいない。在学生の登学は控えてもらっている。サークル活動も禁止。しかし職員は休みにはならない。むしろ、新年度に向けての準備に追われることになる。今年度の後始末も。  だからと言って一つ大きなイベントがなくなって、寂しくないわけではない。  ――我が私立白鳥学園大学の卒業式が中止と決まったのは、三月に入ってからのことだった。一月末から跋扈する新型のウィルスが原因だ。中国を起点に世界で蔓延し始め、2月の終わりには日本でも、すべての都道府県の公立学校の休校が要請された。大学は要請の範疇にならないが、情勢を鑑みて、学生の不必要な登学や大人数で集まるイベントを避けるよう、サイトと通じて連絡を出した。  卒業式は学位記を渡すのがメインなのだが、それも手渡しをせずに、学生の住所あてに郵送することにした。どの学生にも今日届くように設定したから、今頃は開けているはずだ。修了したことを示す証書。単位をとれたことを示す証書。……10年前、私も郵送で受け取ったものだ。式典がなくなったから。 「まぁでも、せっかくなので学生が来たらあげようかと思います。先着一名様ですけど」 「くるかしら?」 「こないかもしれませんし、くるかもしれません。忘れ物を取りに来た、とか。ロッカーの鍵を返しに来た、とか」  それもそうだね、と言いながら物部さんは総務部に戻っていった。誰も来ない確率のほうが高い。明日になってもそのままだったら、財務部の皆月にでもあげようか。彼女とは同期だ。今頃は年度末決算に追われていることだろう。花でも見れば、多少は気分転換にもなるかもしれない。
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