旅立ちの花

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 給湯室で自分のカップと花瓶を片付けて、棚の中に戻す。無駄な残業はしたくないので、定時の6時でパソコンの電源を落とし、学生課の鍵を閉めた。屋外に出ると、半月が顔を出していた。日が長くなってきたとはいえ、午後の6時の空は闇色だ。鞄の持ち手をしっかりと握って、閉める間際にやってきた相沢里菜を思った。最後がこれなんて寂しすぎる。彼女は、卒業式という儀式に出たかったのだ。4年間頑張ってきた自分のために。これから社会に出なくてはいけない、自分のために。  ……まったく他人事ではない。彼女に花を渡したのは、昔の私のためだったのかもしれない。あの時、私もちゃんと、晴れやかな儀式をして社会に出たかった。あの時も今回も、仕方がないといえば仕方がないのかもしれないけど。今回は世界的パンデミック。私の時は3.11。  ――冷たい春の風が吹いた。足を止め、突然の風に驚いて空を見上げる。  桜の花弁が薄闇に散っていた。花は闇色に溶けずに、みずから光を放っているように見えた。呆然とそれを眺めた。世界がどうしようもなくても、たまに宝石みたいに美しいものも混ざっている。  届け。  この光が、今日旅立つすべての人たちに。  ……桜の花はしばし空を舞った後、音もなくすべて地面に落ちた。それを確認して、私は足を動かし始めた。桜の花を踏まないように気を使う。闇には、淡い光を持つ月だけが取り残さていた。
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