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今はまだ名前のない船
「今はまだ名前のない船」
夜汽杏奈
誰かを幸せにしたいという名の船は
巡り巡って自分の港に戻るという
冷たい夜の月明かりの下
漁船の錆びた色と融け合う海面
プラスチック紐とともに
溺れて沈む鳥を見つめながら
自分の事で精一杯だからと平気で呟いた過去
時間という名の幻の鳥はもう
聴こえるはずのない口笛とともに消え
光の中、優しかった母と貝を拾った記憶も
誰かの笑顔に癒やされたビートルズの流れる店も
全て奪われ
奪い合いはあれだけ破滅すると言ったじゃないか。
思いやりが希望へ続く道だと散々言ったじゃないの。
自分さえ良ければいいと思っていたことも
自分ばかり守ろうとしていたことも
誰かの苦しみの上にあった贅沢すら
何も見えず気が付きもせず
自分が濡れてしまうだろ!と
そうなると面倒だろ!と
仕方がなかったんだ!という勝手な言い訳も
静寂の中
小さな命とともに海の底へと沈む
何を守ろうとした?
洋服か?
何が大事だった?
時間か?
何に必死でいた?
プライドか?
何の為に自分がここにいる?
どんな立派な物質も金も名誉も
心ない誹謗中傷の言葉ですら
錆びた船とともにいつか朽ちるだけ
あの優しさが、あの懐かしい声が
あの笑顔が、
自分の全てだったことに気づく
優しい夜の月明かりの下
漁船の錆びた色と融け合う海面
プラスチック紐とともに
溺れて沈む鳥を見つけたら
今は迷わず助けるだろう
誰かを犠牲にするという名の船も
誰かから搾取するという名の船も
誰かを苦しめるという名の船も
誰かを悲しませるという名の船も
誰かを見てみぬふりをする名の船も
巡り巡って自分の港に戻るという
そう、
そんな悲しい男の話を聞いたことがある。
だけど、大丈夫。
この話は単なるおとぎ話さ。
その証拠によ、
その船達には、今はまだ名前がないらしいぜ。
了
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