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その時、誰かがエヒテの腕を掴んだ。
一瞬で、すい、とからだが引き起こされる。
エヒテは屋根の上にへたりと座り込んだ。ザイが慌ててこちらに近づいて、背中を翼で支えてくれた。
心臓はバクバクと脈打っている。死ぬところだった。でも、——助かった。
はっとして、目の前の男性を見上げる。
その瞳の色は、今まで見たことのない、深い漆黒だった。
「た……助けていただいて、ありがとうございました」
深く頭を下げると、男性は静かにほほえんだ。
「いえ。久しぶりにここまで辿り着いた候補生に、すぐに死なれては困りますから」
細身のローブに身をつつんだ男性は、至極穏やかに言った。
年は三十を少し過ぎたくらいだろうか。背筋はすっと伸び凛としているが、目元の薄いしわにすこし老けた印象を持った。
長いローブは襟元から裾にかけて六体の龍の刺繍が流れるようにほどこされ、その胸元には、研究所のトップの証である銀のボタンが縫い付けられていた。
エヒテは慌てて立ち上がり、姿勢を正した。今度はめまいは起きなかった。
「名乗りもせず、すみません! わたしはエヒテといいます。ここに——〈風の龍〉の研究所に、最終試験を受けにきました。よろしくお願いします」
もう一度深く頭を下げると、「顔をあげてください」、と静かな声がする。
顔をあげれば、目の前には男性の長細い手が差し出されていた。
「私はイオロス。こちらこそ、一ヶ月間、どうぞよろしくお願いします」
エヒテははっと息を吸った。
——やっと、だ。
この最終試験に合格さえすれば、晴れてエヒテは——化石龍研究所の一員となる。
エヒテは高揚した気持ちで、イオロスの手を堅くにぎった。その手は、ひやりと冷たかった。
・
屋根に隣接する大きなドーム型の天窓から、エヒテは研究所の内へと足を踏み入れた。
旅の荷物を背負ったザイもやすやすと通れるほど大きな天窓は、夜になればさぞ美しい夜空が見られるのだろうな、と思った。
ザイは天窓から床へ、螺旋階段で囲まれた中央の吹き抜けを一気に降下する。イオロスとエヒテは階段をくだって一階へとおりた。
そこは研究所のメインホールだった。壁一面が書棚になっていて、エヒテは思わず息を飲む。
きょろきょろと無数の背表紙を見回す。自分の知らない知識や歴史が数多に記されているのだと思うと、無性に胸が高鳴った。
「ここにある本や書物は、いつでも好きなように扱ってくださいね」
イオロスがそっとほほえむ。
興奮が伝わってしまったらしく、ちょっと恥ずかしい。エヒテは控えめに「はい……!」と返事した。
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