Victim mentality 3:飯田 果葉子の絶望

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Victim mentality 3:飯田 果葉子の絶望

a398b1cf-f7c8-4a38-9064-8ebf67f0ebb1 「……岬生」 満夜と付き合い始めて1ヶ月後の夜。 暗い夜道で私を呼ぶ声があまりに聞き慣れた声だったため、思わず歩みを止めた。 私は振り返った先に居た予想通りの声の主ーー岬生から目を逸らした。 そもそも、もうとっくに別れているというのに、何で今更声を掛けて来たのだろうか。 「……おい、何で無視すんだよ」 「別に無視してない」 「じゃあ何で目見ねぇの」 「今更何なのよ!」 そう叫びながら、どんどん距離を縮めてくる岬生の肩を掴んで突き放した。 もう岬生の顔すら見たくなかった。 そんな私の思いとは裏腹に岬生が突然私の顎にそっと触れてきた。そしてそのまま顎を引き寄せてキスをしてきた。 バチンッ!! 反射的に岬生の頬を叩いていた。 「……っ!」 泣きたくて泣きたくて堪らなかった。 本当に今更何なのよ。 付き合ってた時はほとんどキスなんてしてこなかった癖に。 岬生に背を向け、逃げるように全速力で走った。 走って、走って、走って、走って、はしって、はしった。 疲れて走れなくなった頃、息を切らしながらようやく後ろを振り返ってみた。 誰もいなかった。 ほっと溜め息を吐いた瞬間に涙が溢れた。 あぁ、これはダメだ。 きっと何年経っても忘れることのない、最低な恋だ。 一度溢れ出した涙は、自分の意志ではなかなか止まらず、外にも関わらず私はわあわあと泣き叫んだ。 その時だった。 「果葉子」 そう後ろから聴こえた自分の名前は、男性の声だった。 ビクつき、恐る恐る振り返った瞬間。 「満夜……!」 安心した。 溢れていた涙を慌てて拭き、満夜の元へ駆け寄った。 「お前、どうしたの? 泣いてたの?」 心配そうに私を見る満夜の視線が嬉しくて、思わず抱きついた。 満夜は何も言わず、私の背中をさすっていた。 「……あのね」 安心しきった私は、満夜から少しだけ身体を離して満夜の肩に手を置きながら、岬生と会った事を全て話した。 涙を必死に堪えながら、途切れ途切れに話した。 満夜はそんな私の拙い話をうんうんと頷きながら真剣に聴いてくれた。 優しい……。 岬生とは大違いだ。 「そうか……そんな事が……」 悔やむような声で満夜は言った。 「酷い男だな。栗村さんだけじゃなく、果葉子にもまだ手を出してるなんて」 …………………………………………………は? 突如飛び出した知らない名前に、目の前が一瞬真っ暗になった気がした。 満夜と少し距離を置き、 「栗村さんって誰?」 と考える間も無くそう口に出した。 満夜がしまった、というような表情をした一刹那を私は見逃さなかった。 そんな顔、見たくなかった。 「……知り合い?」 藁にもすがる思いでなるべく柔らかで弱々しい声で聞いた。 どこまで「疑心」を隠せていたのか分からないけれど。 「……あ、う、うん……」 満夜はしどろもどろになりながら目を逸らして言った。 また泣きたくて堪らなくなった。 「嘘だ」 どうしようもなく子どもだった私には、これ以上見て見ぬフリなんて出来なかった。 「満夜、正直に答えてよ。ねぇ。誰なの? 岬生が栗村さんにも手を出してるってどういう意味なの?」 一度動き出した口は止まらなかった。 気になる事がストレートに流れ出ていった。 いやだ、もうこれ以上言わないでよ。 聞きたいけど聞きたくない。 そんな思いもむなしく、声がどんどん漏れ出していく。 「ねぇ、みち」 「正直に言って良いの?」 突如、満夜の低い声に言葉を制された。 今まで聞いた事もないぐらい、弱々しく、哀しい声だった。 「みち、や……?」 満夜は私に一歩近付き詰め寄ってきた。 表情にさっきまでの動揺はなく、代わりに光のない目と何かを諦めたような笑顔がそこにあった。 感情と釣り合っていない表情に背筋が凍った。 「あーあ、俺たちもう、終わりかなぁ?」 満夜はそう言って私に背を向けた。 満夜の肩は震えていた。 きっと笑っていたのだと思う。 ……後から考えてみれば、もう笑うしかないと言ったような声だったような気がする。 「なに言って……」 「だって果葉子は望んでないだろ? 傷の舐め合いなんてさ」 ……は? また目の前が真っ暗になった。 満夜の言っている事が理解出来ず、ただ単語だけが頭の中でぐるぐると回った。 傷の舐め合い?どういう事?満夜は一体何の話をしているの? 「何のはなっ……」 「俺はね、本当はその栗村さんって子が好きなの」 …………えっ? あまりの衝撃に言葉が出てこなかった。 満夜の言ったことがちっとも理解できなかった。 何? 栗村さん、がえ? 満夜、が栗村、さんって人を?え? だれ、くりむら、す、いや……え? どういう、こと……? 「でも、あの子色々あって、俺の事なんか見向きもしないからさ」 そう言葉を続けて下を向く満夜の姿を呆然と眺めながら、ひたすら状況整理に努めた。 それでも分からない私は、立ち尽くす事しかできなかった。 「本当、報われねぇよな。俺も、お前も。 絶対に叶わない恋愛に踊らされ続けてるんだ。 かわいそうだって思わねぇ?」 私は未だ満夜が言っていることについて行けなかった。 けれど、一つだけ理解できた事があった。 「もしかして、岬生の事、何か知ってるの……?」 満夜と岬生は、何らかの関係がある。 それだけは間違いないのだろう。 「そりゃあ、もちろん。栗村さん絡みでね。果葉子と岬生の関係も知ってたよ」 ……これではっきりした。 はっきりしてしまった。 私は、わたしは、 「また、遊ばれてたって事……?」 膝から崩れ落ちて、涙が溢れた。 満夜は、栗村さんって人に手を出してる岬生と、私が付き合っていた事を知っていたのだ。 それも、栗村さんを想いながら、そんな私と交際していた。 何なら、私で妥協していたようなものだ。 だって、そもそも、私の方から告白して付き合い始めたのだから。 「遊んでないよ、俺はね」 そう言って満夜は一呼吸置くと、何かを決断したような顔で告白した。 「でもお前との付き合いは、同情から始まってる」 ……何それ。 それは想定の範囲外の回答だった。 私は遊ばれていた訳でも、妥協されていた訳でもなかった。 ただ、「かわいそうな子」だと思われていたのだ。 怒り、そしてそれ以上の悲しみと劣等感に支配された体は、ただ俯いたままでピクリとも動かなかった。 そんな私を気にもせず、満夜は話を続けた。 「同情から始まったんだけど、だんだんそうじゃないなって気付いてさ。 俺が一方的に果葉子の事をかわいそうだって思ってるんじゃない。 多分最初からこの関係は慰め合いだったんだってね」 膝を立てたまま動けない私に、ゆっくりと近づきながら満夜はまだ話し続けた。 「俺は栗村さんとは結ばれない。 果葉子もあいつとは結ばれない。 ずっとお互いに叶いもしない夢を見てる。 だったらそんなかわいそうな者同士、仲良く2人で傷の舐め合いしてるっていうのも悪くないかなってね」 突如、満夜の顔が目の前にいた。 ついビクッとして、私は我に返った。 でも、満夜の顔は見られなかった。 「そんな……ひどいよ……っ」 一度溢れ出した涙は、自分の意思ではどうしようもなく、溢れては流れ落ちていった。 胸の真ん中がギシギシと痛み、黒い靄のようなものを放っていた。 「うん、やっぱり。果葉子はそういうの嫌なんだろ? 俺の事もちゃんと好きでいてくれたんだろ?」 よしよし、と優しく頭を撫でられた。 私は甘える事も振り払う事も出来ず、されるがまま俯き続けた。 だからだろうか、満夜の動きに気付かなかった。 いつの間にかさらに距離を詰めてきていた満夜は、私の耳元へ口を近付けた。 気付いた瞬間、ぎゅっと目を閉じた。 「でもさ、多分、それただの思い込みだよ?」 「……なっ!」 バッと満夜の方を振り向いた。 満夜は私を見て嘲笑した。 耳元で囁かれた正論は酷く重かった。 「…………」 「ほら、反論できない」 何も言えず顔を背けた私をふっと笑い、満夜が立ち上がった。 そのまま私に背中を向け、ゆっくりと歩き出した。 「果葉子が嫌なら、もう別れよう。どうせこんな関係、続けてたって未来なんかないだろうしさ」 暗闇の中響いた満夜の最後の言葉は、悲しみで満ちていた。 私は、栗村という女を調べる事にした。 しかし、同じ学校にいる事と、2つ下の学年の3組である事という満夜から無理矢理聞き出した頼りない情報しかなく、つても当てもないような絶望的な状況だった。 しかし、何となく検討が付いている事もあった。 恐らく、栗村は岬生と関係があった。 そして、きっと私が岬生に振られたあの日、隣にいた女がそいつだ。 そう考えれば、満夜が報われないと言った事にも、私と岬生の関係を知っていた事にも説明がつくのだ。 ところが、実際に1年3組に行ってみても栗村という女はいなかった。 クラスの子に話を聞いても「今日は来てない」の一点張り。 交友関係は意外と広くないのか、クラスを跨ると栗村なんて子は知らないという人ばかりで、これ以上私には調べようがなかった。 結局私が栗村の顔を初めて確認したのは、中学を卒業して2年半が経過したとき、4人目に出来た同じ中学の2つ年下の彼氏の家で卒業アルバムを見た時だった。 アルバムに記されていた「栗村 夢月」という名前の上に乗っていた写真を見た瞬間、私の想いは確信に変わった。 忘れもしないあの顔。 やはり、栗村夢月こそが岬生と別れたあの日、岬生の隣にいた女だったのだ。 許せない。許せない。許すものか。 私は、この女に狂わされたんだ。 岬生のことも、満夜のことも、束沙と喧嘩したことだって、全部、全部、コイツのせいだ。 嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ。 ヴー、ヴー 静かな密室の中に、突如スマホのバイブ音が響き渡る。 ダブルベッドからのそのそと出て行った明春は震えるスマホをカバンから取り出し、耳に当てた。 電話かよ……。 「もしもし? 何だよむつき」 ピクッと春明の声に反応する。 "むつき" むつきって……まさか、"夢月"? 栗村夢月……!? 何で……嘘でしょ……? 嫌になる程脳裏に焼き付いているこの名前が、明春の口から出てきた。 夢月って誰? まさか、私から岬生や満夜を奪ったあの女? いや、落ち着け。別の夢月かもしれない。 いや、だとしてもその女誰よ。 電話向こうの夢月と明春が楽しそうに談笑している。 もう何を言っているのかはさっぱり分からなかった。 「あ? ……あー、はいはい分かった。じゃあまたな」 やっと電話を置いた明春に後ろから抱きつく。 右腕を首元に回し、軽く爪を立てながら問いただした。 「夢月って誰?」 「は? な、何、なんだよ。そんな怖い声だしちゃって」 「いいから。で、誰?」 急にどもり始める明春を睨み付けて急かすと、バツの悪そうな顔で 「…………………………………幼馴染」 と、明春は答えた。 幼馴染、ねぇ。本当かしら。 まぁ、この際そんな事どうでもいいわ。 「苗字は?」 「……知ってどうすんの? 気になる訳?」 気になるのは当然よ。 だって、"夢月"でしょう? 気が狂いそうになる程身に覚えのある名前だもの。 あんたは知る由も無いでしょうけどね。 黙ってさらに睨みつけていると、明春は折れたのか、観念したように溜め息を吐きながら言った。 「……栗村だよ。栗村夢月」
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