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Victim mentality 2:飯田 果葉子の絶望
「岬生が遊んでる子だよね?」
耳を疑った。
思考回路が停止した。
全身が硬直した。
女が言った言葉が身体中を駆け巡るも、既に全細胞が固まってしまったような感覚に支配された私は、何一つ理解できなかった。
今、コイツ、何て言った……?
「……くくくっ……あはははははははは……!」
声すら上げられない私とは対照的に、岬生は突然笑いだした。
私は恐怖で一歩後ろに下がった。やっと身体が動いた。
「お前、それを果葉子の前で言っちゃう?」
「何言ってんの? 事実でしょ。それとも私は本命じゃないって言うの?」
「何言ってんだよ、本命に決まってんだろ。……果葉子、よく見とけ」
そう言った岬生は、私に見せつけるように知らない女とキスをした。
一瞬で頭が真っ白になって、簡単に何も考えられなくなってしまった。
「やめて……やめて、やめて!!」
気付いた時にはもう、叫んでいた。
涙が溢れてぐちゃぐちゃになっていた。
岬生はそんな私を楽しそうに横目で見やると、女から唇を離してようやく私の方へ向きなおした。
「ははっ、お前にやめてとか言う権利あると思ってんの? どうせ遊びだってのに」
岬生の口からも「遊び」という事実が飛び出す。
遊ばれていた。
ようやく頭ではそれを理解する事が出来たが、心ではどうにもこうにも、それを受け入れる事が出来なかった。
「あっはは! 岬生ひっどーい!」
そう言った女の口調は、ちっともひどいとなんて思っていなさそうだった。
楽しそうに笑う女の声が胸に突き刺さった。
それに対し岬生は「何言ってんの? 事実だろ」なんて返しながら私に近寄って顎を持ち上げた。
涙でぐちゃぐちゃになった私の顔に「きめぇ」と吐き捨てた岬生が耳元で囁いた。
「もしかして、本気にしてたぁ?」
クスッと笑うと、スッと身体を離した岬生が立ち上がり、哀れな私を見下しながら言った。
「んで、どうする? もう、お遊びやめとく? お前に選ばせてやるよ」
私は泣きながらゆっくりと岬生を見上げた。
逆光で岬生の顔はよく見えなかった。
ベタにも程があるが、帰り道突然雨が降り出した。
最初は小雨程度だった為、天候どころじゃない私は気にもしなかったが、次第に強くなり、傘を持ち合わせていなかった私は当然ずぶ濡れになってしまった。
きっと、今の私にはお似合いだろう。
岬生と別れた。
岬生の彼女じゃなくなった。
岬生に遊ばれていた女になった。
そんな女だったという事に、気付いてしまった。
雨に濡れながらとぼとぼ帰っていたが、仕舞いには歩く気力もなくなり、植樹帯に腰掛け顔を伏せた。
心がどんよりと重かった。
雨が染み込んでずっしりとのし掛かってくる制服なんか比じゃないくらい。
激しい雨に打たれ続けているうち、何だか意識がふわふわとしてきた。
心も身体も冷え切っているというのに、少し温かさを感じた気がした。
目を開けると、真っ白な天井が見えた。
何故だかとても懐かしく感じた。
あれ? ……つーか、
「ここ……どこ……?」
恐る恐る身体を起こした時に、ようやく自分がベットの上で眠っていた事を知った。
そして、ビショビショの制服ではなく、パジャマを着ていた事を知った。だが、このパジャマの柄は知らなかった。
それに、今私が座っているこれも知らない、いや、それは少し語弊があるが、少なくとも自分のベッドではない事は確かだ。
正確言うと、私はこのベッドを、そして部屋を知っていた。
やけに見覚えのある部屋だった。
もしかして……。
「束沙……?」
「せいかーい! 起きた?」
名前を呼んだ瞬間にドアが開き、束沙がひょこんと顔を出した。
呆然と眺めていると、束沙が近寄ってきて口を開いた。
「大丈夫? ビショビショでずっと座り込んでるし、しかも反応ないからすっごい焦ったよ! 無事でよかったぁ! あ、なんか欲しいのある? お茶とかなら用意出来るよー」
そう言ってにっこり微笑んだ束沙を見て、私は泣きそうになった。
気を失っていたビショビショの私を、雨の中束沙の家まで運び、身体を拭いて安静にしてくれてたのだろうか。
……なんで、
「なんで、助けてくれたの……?」
ぽつりと言った言葉に束沙がキョトンとして答えた。
「なんでって、大事な友達が倒れてるんだから、助けるのは当たり前だよ」
そう言われた瞬間、もう堪えられなくなった。
バカじゃないの。
もう見捨ててくれればいいのに。
人の話も聞かないで、一方的に突っぱねて暴言を吐いたのに。
束沙に最低だと言った「親友(笑)」なのに。
何であんたは、こんな私に優しくできるの?
「わっ、か、果葉子!? 何で泣くの? な、なんか変な事言ったか」
「っ、そうだよ! 変だよ!!」
私は、泣きじゃくりながら束沙に縋った。
まるで駄々をこねる子供のようだと自分でも思ったけれど、今日一日我慢してきた色んな感情が一気に放出し、もう止められなかった。
「私、あんたに散々ひどい事言ったよ! いっぱい傷付けて、いっぱいワガママ言って! でもあんたはいつも、私を受け入れてくれて、もう訳わかんないよ!! なんで? ねぇ、こんな私を……」
「いいよ」
束沙がそっと私を抱き締めて言った。
「もういいよ、自分を責めないで。私、果葉子のこと、別に怒ってないし。気持ちもわかるよ。だから大丈夫。」
温かくて、胸がぎゅっと締め付けられた。
痛いぐらいだ。
「つか……さ……!」
「私もごめんね。なんでやめといた方が良いって言ったのか、理由を言わなかった」
ぶんぶんと横に首を振った。
束沙が理由を言わなかったんじゃない。私が言わせなかったんだ。
「あの人に彼女がいるの……知ってたからさ。それなのに果葉子にも言いよってるあの人が許せなかったの」
「……ごめん、束沙。……本当に。……でも、何で」
「今日ね、お父さんもお母さんも帰ってこないんだ。だから、もし良かったら泊まっていきなよ。お風呂とか使って良いし!」
矢継ぎ早に提案された私は何を言おうとしてたかも忘れ、頷いた。
まぁ、いいや。
なんで、私はこんなに良い子を切り捨てようとしたんだろう。
岬生なんかの為に……。
束沙と仲直りした一週間後。
つまり、岬生と別れて一週間後だ。
私は別の男と交際を始めた。
佐伯 満夜(さえき みちや)。
同じクラスの同級生だ。
とにかく、忘れたかった。
岬生を早く私と無関係な人にしたかった。
その為だったら何でもしようと思った。
髪もバッサリショートに切った。
新しい彼氏も作った。
これでもう大丈夫。
大丈夫。
そんな満夜と付き合いだして1ヶ月後の夜。
暗い夜道を一人で歩き、いそいそと帰っていた時だった。
「あれ? 果葉子じゃん」
聞き慣れた声に私は思わず歩みを止めた。
振り返った先に居た相手は、予想に違わなかった。
「……岬生」
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