アゲイン

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アゲイン

気づけばレイコのことを考えていた。 朝ごはんを作る間。 洗濯物を干している間。 シャンプーしている間。 夜ご飯を食べている間。 布団の中で朝を待つ間。 そんな1日のなんでもない時間にレイコのことを考えていた。 なぜレイコなのだろう。もっと僕には他に考えることがあったはずなのに。 どうしようもなく僕は彼女のことを考え続けていた。 あの日、 水族館の日、 最後まで僕を信じてくれた彼女を、 僕は混乱を理由に手を振り解いてしまった。 あの時も少し湯冷めしていたせいで手が冷たかった。 レイコは巣の中から卵を拾うように両手で僕を温めてくれていた。 彼女は今どうしているだろう。 大学の友達にでも僕の情けない姿を話の種に笑いながら話しているだろうか。 そうであって欲しい。 背中に聞こえた彼女の嗚咽が、 そんな僕の希望をいたずらに撫でてくる。 もうよそう。 これ以上自分を責めたところでなにも変わらないのだ。 今はただこの部屋で籠城を続け、 彼女を守ろう。 それが一番安全で確実な方法なのだ。 でも、 それでも…。 レイコのことを考えないようにすればするほど自己嫌悪に陥りレイコを想ってしまう。 そうか、僕は、 彼女に見つけて欲しいのか? 彼女に大丈夫だと言って欲しいのか? いや、そんな響きの良いものじゃない。 ただ僕は、 慰めて欲しいだけだ。 本格的にどうしようもない。 まさか自分がここまで壊れるなんて思いもしなかった。 もっと自分は骨のある奴で、気丈な人間だと思っていた。 それがどうだ。 この有様だ。 この調子であと四日も保つのか? 誰にも会わず、誰にも見てもらえないこの部屋で。 いや、保つのかじゃない、 保たせるんだ。 それしかないのだから。 だがその決意とは裏腹に、籠城生活はあっという間に幕を下ろした。 同期の連絡によると既に長官指揮の下、数名の保安官ユニットが負世界線に送られたらしい。 動いたのは長官だった。 昨日の話を聞いた限りだと長官は局長の方針に納得しかけていたが、 やはり政府側に従いたか。 一見なんの変哲もないようだが、 これは極めて異常な事態である。 理由は簡単。単独遂行の方がこの両世界戦の存在を機密にしておきやすいからだ。 ユニットで潜入してしまうと戸籍不明の人間が一度に姿を現してしまうため、機密保持のために彼らの行動がかなり制限されるからである。 誤って目立った動きをしてしまい、芋づる式に彼ら全員の顔が負世界線に漏れてしまえば公安省は大損害だ。 リスクとリターンを加味して考えれば、上層部がこんな決断するはずがないとタシロは踏んでいた。 だが認識が甘かった。 こうなってはもうタシロも負世界線に戻るしかなくなってしまった。 戻ってレイコを守らねば。 先行された長官のユニットよりも先に、 彼女のもとに戻らないと。 そうして僕は彼女と初めて会った大学に向かった。 彼は何かに怖がっているようでした。 彼の手を握って確信しました。寒さとは別に、何かに怯え震える手でした。 私は彼に頼って欲しかったんです。 頼りないかもしれないけれど、それでも頼って欲しかった。 だから約束のことを言いました。 彼に約束を通して私のことを思い出して欲しかったんだと思います。 私も突然怯える彼を目の間にして混乱していました。 だからそんな遠回しなメッセージしか送れませんでした。 当然、彼が瞬時に解釈できるわけなくて、彼は私の手を振り解いてしまいました。 そして私は泣き出してしまいました。本当に今は後悔しています。 彼には私の嗚咽が聞こえていたでしょうか。 聞こえてないといいな。 本当は私、 待ち合わせの30分前に水族館に着いていたんです。 その時彼が幼い子供たちと話しているのが見えました。彼らは泣いているようでした。 どうやら彼は子供たちを慰めているようなので、彼らを驚かせないように私は隠れてその様子を見守っていました。 やがて彼が子供たちにお金を渡し、彼らが喜んで水族館に入っていきまいした。 それから彼らを入館ゲートで見送った後、彼は猛スピードで私のそばを通り過ぎ出口へ走り抜けていきました。 その時の私はいまいち状況を理解できず、とりあえず彼を待つことにしました。 そして2時間後、先ほどの子供たちが大きなサメのぬいぐるみを持ってゲートから出てきました。 そこで彼がなぜ時間になっても戻って来なかったのかを悟りました。 「おじさんがいなかったらあぶなかったねお姉ちゃん!」 『おじさんは私たちのきゅーせーしゅだね!』 「なぁにそれ、きゅーせー…?」 『きゅーせーしゅ!王子様っていみ!』 「へぇ〜」 どうやら彼は彼らの入館料を工面してあげたようでした。 そして恐らくそこで所持金を全て失ってしまったのでしょう。 だから慌てて飛び出していった。そう考えれば筋が通るのです。 それから、 私は彼に経験したことのない気持ちを抱きました。 普通「経験したことのない」という言葉はプラス用途ではないようなのですが、ここではプラスの意味合いでお願いします。 どうやら、 私は彼に惹かれているようでした。 彼の姿を髪の間から認めた時、 胸がきゅうっと締め付けられました。 苦しいのですが、幸せなのです。 不思議な感覚でした。 私は彼の着替えを選びながら考えていました。 初めて感じた気持ち。 男の人に抱いた憧れのような気持ち。 でも、憧れだけじゃない気持ち。 うまく言えない気持ち。 恐らく、 これは俗に言う、 恋、だと思いました。
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