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アプローチ
最近の任務には難民救済の他に、
役人の護衛目的や犯罪を未然に防ぐなどの命を守る為の任務もあった。
この仕事の長所と呼べる部分だ。
対象の人生は狂わせてしまうかもしれないが、
引き換えに命を救うことができる。
だから自分はまだこの職場にいたのだと思う。
だが今回は暗殺めいた任務である。
こんなのなんの役に立つというのだろう。
いつも通り誰かの命を救うという目的の任務なのかもしれないが、
それでも誰かを救うために誰かを見殺しにするなんて間違っている。
こんな任務誰が引き受けるものか。
そう思ってファイルを手に、デスクを立ったところで気がついた。
自分が辞退すれば自分が殺害の当事者になることはない。
だが別の保安官が任務を全うすれば、
その瞬間にその保安官と自分の殺害になる。
分かっていたのに殺した。見殺しだ。何も解決していないのだ。
今この任務を承知しいている保安官は自分だけ。
自分の行動次第で彼女が助かるかもしれない。
その事実に気がつきデスクに戻った。
考える。
なぜ今、自分はリスクを背負い始めた?
もともと職場の通信システム次第で退職するとか言っていたくせに、
突然なぜそんな献身的になった?
答えはすぐに出た。
これまで対象の人生を狂わせでも人命主義で全うしてきた中で、
膨らみ続けていた疑問と葛藤を清算しようとしているのだ。
ここで人命を救い自分のスタンスは間違っていなかったと思いたいのだ。
自分は最後まで人のために尽くせた。
何も間違っていなかったのだと、納得・安心したかったのだ。
その瞬間、頭の中が空っぽになってしまった。
自分の進む道が消え失せたようだった。
オフィスの遠くをぼんやり見つめ考えた。
いや、考えるふりをしながら必死に言い訳を探していた。
彼女の命に向き合う正統的な理由を。
だが思考が絡まり、固まった。
とりあえず、
オフィスを出て公安省ビルの屋上を目指す。
時刻は夕方。上空の雲の流れが早い日だった。
寄り道して購入した缶コーヒーを片手に屋上の鉄柵にもたれた。
脳内に新鮮な空気が流れ込むの感じる。
熱を持った頭を冷やすにはここが一番だ。
冷たい缶コーヒーで冷却に支援射撃を行う。
ファイルを持ってきていた。
何気なく開くと、
そこには彼女の全てが書かれていた。
月下レイコ。現在都内の私立大学に通う二年生。
血液型はA。誕生日は8月12日。小柄な子らしい。
家族構成や経済状況にも記述されており、
月下レイコという人間が文字でそこに構成されていた。
どこにでもいるような普通の人間。
何一つ怪しい点など見受けられない。
繰り返し読んでも、彼女が任務対象になっている原因は見受けられなかった。
遠く太陽が地平線に薄く溶け出していくのも眺めながらタシロは考えた。
現時点で自分の理想はこの月下レイコの命を奪わずに発生しうる問題を解決すること。
そのためにはまず、
対象に接近する必要があるだろう。
彼女の動向を観察し、その問題を予測できたなら御の字。
予測できなくても、
自分が近くにいれば問題発生リスクを抑えられるかもしれない。
全ては初動にかかっている。
やることがはっきりすればあとは行動のみである。
公安省地下の次元断層ターミナルで装備を整える。
『保安官の皆様、お待たせしました。当機は間も無く出発いたします』
タシロは夜8時の便で負世界線へと向かった。
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