アクアリウム

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アクアリウム

魚を見る会当日。 都内の有名水族館に来ている。 もちろん正世界線では全くの知名度である。 正負プラマイ0の均衡が保たれるのでこちらの世界線、 負世界では大人気スポットということだろう。 確かにおかしな立地をしている。 住宅街の中に突如としてその居を構えている。 集合時間は13時。 余裕をもって来てよかった。 あと30分の余裕がある。 住宅街の中の水族館だけど幸いカフェスペースはあるようで、 コーヒーでも飲んで対象を待つことにした。 そう思ってカフェテリアの席に着くと、 どこからか泣き声が聞こえてきた。 その声のする方へ歩いていくと、 水族館の切符売り場で泣いている女の子と、 その脇で涙こらえる男の子がいた。 『どうした?どこかぶつけちゃったかい?』 小さい子には同じ目線で接すると良い。 女の子の前にしゃがみ、頭を撫でてやった。 「さいふ、おとしちゃった…」 隣の男の子が答えた。 『お姉ちゃんかい?』 彼に少女について尋ねる。 頷いたので姉弟らしい。 「きっぷかおうとしたら、お姉ちゃんがおかね落としたって…」 『その財布に全部入ってたの?』 「うん…お母さんにもらったおかねだったのに…」 それは辛いな。 やがて弟も泣き出した。 いやここまでよく頑張った。 姉の代わりに説明するまでよく耐えていた思う。強い子だ。 自分も小学生とかの頃は泣き虫だったから分かる。 財布なんか落としたら、誰だって泣きたくなるものだ。 『二人だけで来たのかい?』 イエス・ノーで答えられるように聞いた。 弟が頷いたので、両親は近くにはいないらしい。 「どうしよう帰れなくもなっちゃった…」 姉が小さな手でリュックを抱えて呟いた。 近所の子じゃなかったのか。 住宅街の中にある水族館だからそうだとばかり考えていた。 これは困ったぞ。 お金を貸しても、いやあげても良いが水族館の入館料と交通費だけじゃ可哀想だ。 お母さんにお土産だって買いたいだろう。 だが、 そうなると今度はこっちの財布が危うい。 お金を下ろすの忘れていたので入館料と軽い食事分しかない。 レイコは年パスをもっていると言っていたので余分の入館料もない。 困った。 「姉ちゃんいいよ、あるいて帰ろう」 弟が姉の袖をつまんで抑え気味に言う。 姉はそんな弟を見てまた泣き出してしまった。 「僕もかあさんにあやまるから、ね?」 弟は姉が母親に叱られるのが怖くて泣いているのだと思ったらしいが、 どうやら違う。 「だって楽しみにしてたじゃん…ごめんね…」 姉は自分のせいで弟の楽しみにしていた水族館を諦めさせることになってしまったことに泣いているようだ。 なんて優しい姉弟だろう。 お互いを責めることなく、慰めている。 もう仕方がない。 ここは大人として、 してやれることはしてあげるべきだ。 『これ、使っていいよ』 財布の中身を全部、姉に差し出した。 「えっ、いや、そんな…。おじさんのおかねだもん、だめだよ…」 25歳は彼らにとっては「おじさん」らしい…。 ええい、ひるむなっ!! 「いいんだ、これはおじさんから二人へのご褒美だ」 『えっ?』 「二人ともお互いのせいにしないで、お互いの気持ちを考えることができた。 結構難しいことなんだよ、それ。 でも君たちはできた。 おじさんはそんな頑張った二人にご褒美をあげたいんだ」 お金を姉の手に握らせ、きょとんとしている二人の頭を撫でた。 「さぁ楽しんでおいで。お土産も忘れるなよ?」 『おじさん、ほ、本当にいいの?』 不安そうに姉が聞いてくる。 「構わないさ、おじさんこう見えても大金持ちでね」 大嘘だ。 今おじさんは所持金200円のジリ貧公務員だ。 『…ありがとう、ありがとうおじさん!ほ、ほらお礼言わないと!』 ようやく姉が姉らしくなった。 「あ、ありがとうおじさんっ!いっぱい魚見てくる!」 促され弟も姉に続く。 最後にもう一度頭を撫でてやり、 切符を手に入れた姉弟を入館ゲートまで見送る。 ゲートの向こうから手を振る姉弟が見えなくなるまでそこで見守った。 さぁ楽しむといい姉弟よ。 おじさんはこれからATMまで全力ダッシュだ。 そして、 走り始めて気づいた。 住宅街の中だからATMなんてないじゃないか。 現在12時45分。 マズいことになった。 こののままじゃレイコを待たせることになってしまう。 「任務に支障が」とか以前に男として女の子を待ち合わせで待たせるなんてあってはならない。 なんとしても間に合わせなければ。 彼を待ち始めてもう2時間です。 さすがに遅すぎます。 もしかして、何かあったのでしょうか…。 寝坊、とかだったらいいのですが。 心配になってきました。 雨も降り始めました。 ここは住宅街の中にあるのでバスなどは走っていません。 もし向かっているのなら、ずぶ濡れになってしまいます。 すぐ拭いてあげられるように、 売店でタオルを買っておきました。 どうか無事でいて欲しいです。 集合時間から3時間以上経った。 もうレイコは諦めて帰ってしまっただろうか。 いや帰ってないとおかしい。 あの水族館は営業時間が短い。 もう間も無く閉館の17時だ。 結局、駅前まで戻ったが、 その駅前のATMが運悪く整備中で停止していた。 せめて1時間の遅刻で済まそうと隣の駅まで走った結果がこれだ。 なんて浅はかなんだ。 彼女は一体いつまで自分を待っていてくれたのだろう。 もう、家に着いていて欲しい。 だが、 レイコは4時間前までタシロが座っていたカフェテリアの席で机に伏していた。 カフェはとっくに終業し、シャッターが降りていた。 水族館もゲートにビニールがかけられ、ラストオーダーを意味していた。 文字通りにどこにも行き場のないレイコは、 それでもタシロをそこで独り、待っていた。
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