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「実は俺、声優をやってまして…」
「あ、はい。存じております」
十分に間をあけて座っても、緊張のあまり変にかしこまった言葉が口から出ていた。
神田は驚きながらも、格好悪いところを見せたと申し訳なさそうに視線を下げた。
絵理はすぐに否定したが、神田は緩く首を横に振った。
「俺逃げてきたんですよ」
すごく切ない表情は、絵理が想像したこともない神田の姿だった。
「声優って今どんどん仕事の幅が広がっていて、俺も色々やらせてもらえて幸せだなって思うんです。でも、俺にとって主戦場はアニメの現場で。なのに、そこで自分の思う芝居が出来ないどころか、監督や制作スタッフの期待になかなか応えられなくて。辛くなって、逃げ出してきました。どこか遠くに行きたくて、ここ、母の実家があるんです。小学生の時以来で懐かしくなって来てみたんですけど、見事に迷いました。それで声をかけさせてもらった次第です」
迷惑な話ですね、と神田は自嘲するように笑った。
絵理は未だに不思議な感覚が抜けなかった。
手を伸ばしたところで届くはずのない、別次元の存在のように思っていた。
けれど今隣で話している彼は、今までたくさん悩んだり苦しんだり頑張ったりを、何回も繰り返してきたのだろう。
仮にその大きさに違いがあったとしても、逃げたくなるほど心が痛くなるのは彼も同じなんだと、絵理は思った。
「うまく出来ないって苦しいですよね。それが自分の好きなことなら尚更辛い。仕事、もう嫌になっちゃいましたか?」
「そんなことないです!もっとたくさん、良い作品を作りたい」
「じゃあきっと大丈夫です。行きたいところに行って、立ちたい場所に立てるようになります。そのために悩んで苦しむ時間があるんだと思ったら、少し踏ん張れませんか?そうやって頑張ってる神田さんを、格好悪いなんて笑う人はいませんよ。少なくとも私は、そんなこと思いません」
出演作品見るのが俄然楽しみになってきました、と伝えると、神田は照れたようにはにかんだ。
「なんだかあの人に似てる気がします」
「あの人?」
「俺昔からラジオが好きで、ずっと聞いてる番組があるんですけど」
それは絵理も知り得ている情報で、その番組というのも絵理にとって身近な番組だった。
神田を知る以前から、絵理もずっとそのラジオ番組のヘビーリスナーだったからだ。
「そのパーソナリティの方に似てますね。声ってわけじゃないけど、話し方かな?スッと言葉が入ってくる感じが心地よくて、なんか元気出ました」
ありがとう、と笑顔を向けられて、自然と胸が温かくなった。
ゴト、と鈍い音がして、絵理は目覚めた。
どうやら手に持ったままだったスマホを床に落としたらしい。
白んだ窓の外よりも明るい部屋の中に違和感を覚える。
(うわ、電気つけっぱなしで寝てた。電気代が…ラジオも聞き逃してる、最悪)
瞼がまだ半分も開かないまま、のっそりと体を起こした。
遠くうっすらと思い出されるのはきっと寝ている間の記憶で、何年か前に手放してしまった夢のかけらも一緒に呼び起こしていた。
(ラジオかぁ…私は嫌になっちゃったんだよな。だからもう戻れないと思ってたのに、似てるって言われて嬉しくなっちゃった。私もまだ行きたいところに行けるかな、なんて。ずいぶん都合の良い夢だったなぁ)
毎週土曜日深夜1時30分から。
夢が夢でなかったと気づくのは、まだ少し先のお話。
(え、今度はこっちで推しのイベント!?最近このゲームやってなかったから、レベル全然足りない…ログボ回収してたからとりあえずガチャは引けるとして…)
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