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十一時も半ばを過ぎたころ
現代文の佐々木先生の朗読が六月の生ぬるく湿った風にのって身体を通り抜けてゆく
汗と湿気が混じり悶々とした教室内では不快感が立ち込めていた。
窓の外に目を向けると
校庭の隅でしっとりと雨に打たれたアジサイが匂やかな風貌を漂わせながらこちらをのぞき込んでいた。
「…香を焚くのは、どんな場合にもいいものですが、とりわけ梅雨の雨のなかに香を聞くほど心の落ちつくものはありません。私は自分一人の好みから、この頃は白檀を使ひますが、青葉に雨の鳴る音を聞きながら、じつと目をとぢて、部屋一ぱいに漂ふ忍びやかなその香を聞いてゐると、魂は肉体を離れて、見も知らぬ法苑林の小路にさまよひ、雨は心にふりそそいで、………………」
先生の朗読に耳を傾けながら、軒先に打ち付けられ弾ける雨粒、雨どいを伝い流れる音、雨の日の土臭さや
小学生の雨宿り場所になっている地蔵堂の線香の香りに思いを巡らせていた。
朗読に興が乗ってきた頃、終礼の鐘がなり授業の終わりを告げた。
先生は少し残念そうに教科書を閉じながら
また次回の授業で読みましょうね、それじゃあ終わり。どうもありがとう。
とだけ告げて教室を後にした。高齢であるからか、かなりマイペースな人だ
先生が去った教室内は堰を切ったように一気に楽し気な声で埋め尽くされる
僕は特段話すこともないので早々に次の体育の支度を進めるべく
ネクタイを外しカッターシャツのボタンを外した
体操着を取り出しふとスポーツタオルがないことに気が付いた
そういえば今朝六藤に貸したんだっけ…
汗でべたついた皮膚の上を窮屈そうにすべる体操着のシャツを腰元までおろし、汗が冷えると困るな、とぼんやり考えながら六藤の濡れそぼった姿を思い返していた。
着替えが終わると同じく着替えの終わった平沢の元へ行き共に体育館へと移動する
廊下を共に歩く平沢が前方にいる六藤に気が付いた。
「あ、六藤、お~い、むと~」
「あ、ひら!おはよ~」
「あれ、おまえのクラスも今から体育?」
「うん、そうだよ、今日雨でグラウンド使えないからひらのクラスと合同で体育やるんだ。ホームルームで言ってたでしょ?」
「あ~そういえば。…あれ、そのタオル菊田のじゃねえ?」
「うん、登校中に濡れちゃって貸してもらってんだ。ね、菊田。」
六藤の顔を見ながら今朝の自身の情念のようなものに考えを巡らせていたので少し鼓動が跳ねた。
「あぁ。その後大丈夫?」
「ん?なんのこと?」
「雷」
ほんの一瞬六藤の眉間がひくついたのを感じた。
「あ、全然へーき!タオルありがとね!じゃ、またあとで!」
唐突に会話を切り上げ廊下を駆けていく六藤を平沢と見送った
「あれ、六藤急にどうしたんだろうな、なんか一瞬変な顔してたし」
平沢は気楽そうなやつに見えて案外するどく気の回るやつだ。
「さあ、気のせいじゃないの」
とっさに嘘をついてしまった。六藤の弱みを独り占めしたいと、そう思ってしまった。
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