縋り付く悪食

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「とすると、この資料を持って君がここにいること自体、少し問題になるのではないのかい?」  そう云って小鳥居尊は、困った風に笑う。彼は俺が渡したタブレット端末を、ガラステーブルの上に伏せて置いた。 「そんなこと分かってますよ」 「単独捜査は危険だ。特に猟奇殺人においては。それくらい私にも分かるよ。あんまり、死んだ恋人を悲しませるような真似は、感心しないな」 「アンタに何が分かるんです」  ムキになって云ってから、しまった、と思った。唇を噛んで、頭を下げる。 「……すみません。でも、これは俺の問題です。迷惑かけたりはしない……お願いします」  冷たいテーブルに額をつけて、ガラス越しに相手の爪先を睨む。  少しの沈黙。それから、笑うようなため息が聞こえ、目の前の組まれていた脚が解かれた。よく磨かれた黒の革靴が、少し外側を向いて肩幅に開く。 「……そう強くこられると、断れないな。良いだろう。話くらいはしよう。顔を上げなさい」  重く低く、甘い声。肩を軽く押されて、ゆっくりと上体を起こす。  小鳥居さんは、清潔感を小慣れた風に着こなしたような、中年の男性だった。挨拶の時に立ち上がった彼の身長は、俺と同じくらい。だが、俺よりも腰の位置が高い。瘦せぎすのようにも見えるが、背広が細身に仕立ててあるらしい。よく見れば、引き締まりながらも厚みのある体つきをしている。 「と、云っても」  俺の肩から手を離し、彼はふっと目を細める。 「疑われている側なのだろうね。私は」  彼の顔は、大人の渋さ、というのとは少し違う。美人顔なのだと思う。しゅっとペンで払ったような鼻筋に、凛々しさはあるが、化粧をした女性のように整った眉。まつ毛も量よりも長さが目立つ。髭の剃り残しも青さもない。男臭さのない、甘さと色気を閉じ込めたような風貌。  さっきからほんの一つも歪まない完璧なそれが、却って不自然だった。 「自覚があるなら話が早い。眉ひとつ動かさないでその資料を見たのは、アンタが初めてですよ」 「それはもちろん、君以上に私は、人間の死と密接に関わっているからね」  彼は膝の上で、静かに指を組んだ。俺はポケットの携帯を気にする振りをして、忍ばせたナイフを握る。  これは俺なりの背水の陣だ。相手が犯人だと分かった時点で、殺すつもりでいた。  今のところ、小鳥居さんは容疑者の一人だ。 「私も、その犯人の被害者、の、つもりだったんだけれどね」 「アンタがムショを出てすぐ、兎の再犯があった。その時は上手く云い逃れたみたいですけど、そん時から俺はアンタを疑ってるんです。兎の体格は、そう、ちょうどアンタくらいで」 「そうなると、初犯も私の自作自演になるのだけれど。まあ、焦らず確実に云い訳していこう」  そうだな、と、彼は指を組んだまま、人差し指で反対側の手の甲を叩く。静かに、リズムを取っているように見えた。 「ウエディングプランナーという名の職業が存在しているなら、我々『適性者管理局』員はダイイングプランナーと名乗ることもできる。つまるところ、我々の提供する『死』……今はもう、法で守られた『安楽死』というのは、至極ビジネス的なものだ」 「それがなにか」 「だからこそ、その満足度は信用に繋がる。まあリピーターは望めないがね。私には、その死体たちが満足しているようには見えないな」  つい、と視線を滑らせて、彼は伏せたタブレット端末を見た。 「死人に口はないでしょう。そんなの、調べようが」 「ある、と云ったら、君は納得してくれるかい?」  俺は彼を睨む。 「死体の感情が分かるんですか」 「それなりにね。……特にまあ、焼死体には慣れているから。私には、そうだな。云うなれば、『亡霊』が見えるんだ」  それが何の比喩なのかは分からなかった。でも説明してくれる気もないらしい。彼はにこにこと、人の良さそうな笑みを張り付ける。  亡霊。どことなく、リアリティがなくて、俺にとっては親近感の湧く言葉だ。でも亡霊はリアルタイムではない。それは過去を閉じ込めたメモリのようなもので、例えば一之瀬先輩の夢や、明乃の声がそれだった。 「我々はこんな仕事をしているからこそ、死に対しては特に誠実でなければならない。そんな殺し方は、人の命への冒涜だ」  それから、改行のようなひと呼吸。話題を逸らされる、と直感的に思った。その前に、俺が食いつく。 「そんなの云い訳にしかなりませんよ。アンタらだって人間でしょう? 他人を恨む感情くらいあるはずだ。死に誠実でいるってのは、何の証拠にもならない」  ガラステーブルに手をついて、俺は下から小鳥居さんの顔を睨む。軽い威嚇のつもりだった。 「特に、アンタは」 『君もね』  そんなことは、分かっている。でも俺は、君を殺した相手を殺す。 『まあ、ほら、復讐ってのは、故人のためじゃなくて、残された人のためのものだから』  そう云ったのは君だ。  とにかく、刑事は常に、相手と対等でなければならない。会話の主導権を持っていかれるわけにはいかない。小鳥居さんは、少し余裕があり過ぎる。  多少強引であったからか、彼は一瞬、驚いたように軽く目を見張った。だがすぐに顔を背けて、口元を隠して笑う。  扱いづらい。正直、そう思った。 「何がおかしいんです」 「いや、申し訳ない。そうだね。そうだ。君が正しい。君が、普通なんだ」  本当におかしかったのか、小鳥居さんは若干耳を赤くして、肩をすくめた。 「なんでも疑ってかかる。刑事ならきっと、その姿勢は当然大事なものだ。私の知り合いが、特殊だったんだろうね」 「……一之瀬涼のことですか」 「ああ。それで通じるってことは、彼は本当に変わり者だったんだな」 「アンタに関連する、一番の刑事ですからね。あの人は」 「そうだね。だからこそ、彼がいなくなったのは、とても残念だ」  小鳥居さんは寂しさを含ませた顔で、口角を上げた。それから俺を見て、小さく首を傾げる。 「不思議そうな顔をしているね」 「いえ。アンタは、あの人のことを恨んでいると思ってたので」  小鳥居さんはガラステーブルの端に積んであった、銀の灰皿を自分の前に寄せた。訊ねるような視線を寄越す。どうぞ、と俺が軽く頷いて片手を上げると、彼は背広の内ポケットから、煙草とジッポライターを取り出す。 「あの子は別に悪くない。私のせいで汚れ役をさせてしまったのは、申し訳ないと思っている。……それくらいの分別は、もう、私にだってつく」  そう語りながら、フィルターを下にしてトントン、とパッケージの側面に数回打ちつけ、葉を詰める。 「……それでも、アンタまだ懲りずに人を殺し続けてるんですね」  その言葉に、彼が動揺したのかどうかは分からない。煙草に火を点けて吸うまでの数秒間、小鳥居さんは俺と目を合わせなかった。  火口(ほくち)から細い煙が真っ直ぐ昇る。それからゆっくり、白く色付いた息を吐く。小鳥居さんは指先で、上げた前髪を整える。 「私はね、確かに一之瀬君には申し訳ないと思っているけれど。一度だって、人を殺したことを、後悔したことはない。刑務所にいた時も、今、適性者管理局の『執行人』として、自殺志願者を手に掛けている時も」  もう一度小鳥居さんは煙を吸って、それからすぐ火を消した。 「さて。場所を変えようか。被害者に山内君がいたとすれば、そろそろ君の他に、捜査本部の刑事が来るだろうからね」  山内君? どういうことだ。思わず、そのまま声が洩れる。 「どういうことですか。アンタ明乃のこと」 「(ほり)君」  ガラステーブルの上を滑らせて、小鳥居さんは端末を抱える。 「慌てなくても、ちゃんと話すさ。鉢合わせて都合が悪いのは、君だろう?」  そう云って、顎で窓の外を指す。  覗き込むと、県警のパトカーが二台、管理局の駐車場に停まっていた。
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