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色
「あー、金ないわ」
最近口癖のようにそう言うあの人が困窮しているのを僕は見たことがない。発言とは裏腹に微塵も焦る様子もなく、こうして一晩中麻雀に興じていた。牌に付いた細かい傷がこの不安定な生活が決して短くないことを物語っている。
「そろそろ仕事あるから帰るわ」
そう言ってあの人の友達が部屋を出た頃にはすっかり空も白んでいた。短く刈り込んだ金髪には剃り込みが入っている。それに長袖の裾から時折覗かせる前腕には禍々しいドクロが刻まれているように見えたのは気のせいだろうか。何のお仕事されてるんですか、とは口が裂けても尋ねられなかった。一人帰ったことで気まずくなったのだろうか。数合わせだ、と言って半ば無理やり呼び出されたもう一人の友達も帰る素振りを見せた。
「あ、帰る?じゃあさ、ついでに部屋きれいにしてゴミ出しといてくれ」
あの人からそう言われても何かリアクションを起こすでもなく一言二言聞き取れないくらいの小声で何かをボソボソと呟いた後、長髪の彼はのそのそと部屋を片付けはじめた。先に帰った友人とは対照的に長身痩躯、身なりにも無頓着のようで全体的に清潔感に欠けている。真っ黒の髪が無造作に肩の辺りまで伸びている。伸ばしている、と言うよりは伸びたと言ったほうがしっくりくる。猫背が酷くゲームの最中は顔がよく見えなかったのだがどうやら髭も伸ばし放題のようだ。その異様な風貌に、やっぱり何のお仕事されてるんですか、とは尋ねられなかった。長髪の男が片付けを終え、空のビール缶がギッシリと詰まったゴミ袋を手に部屋を出ていってしばらくすると、悠々とタバコを燻らせていた部屋の主人は思い立ったように火をもみ消し、細く息を吐いた。
「俺も仕事行くか」
そう言って徐に立ち上がろうとしているが、あの人が仕事をしている姿が全く想像できない。
「お仕事されてるんですか」
思わず尋ねてしまった。
「失礼な。俺だって仕事くらいしてるさ」
口ではそう言うものの、玄関に向かうあの人はどこか楽しげだった。
あの人との出会いは数ヵ月前に遡る。友人たちとの食事の帰り、軽い気持ちで二軒目の暖簾をくぐったのが全ての始まりだった。
既に出来上がっている客が多い。別々に来た客同士が熱心に話し合う様まで見られる。さらにヒートアップしていく店内。雰囲気に呑まれ、僕らのペースも自然と早くなった。ふと我に返り辺りを見渡すと、一緒にいたはずの友人は皆消えていた。離席に気づかないとは。少々羽目を外しすぎたようだ。代わりに、と言うのも憚られるのだが知らぬ間に見ず知らずの男どもにキッチリとマークされてしまっていた。中性的な外見をしている僕は女性と間違われて度々軟派に遭う。だが今回はなかなかに質の悪い連中に絡まれたものだ。不躾に肩や腰に触れてくるその手つきに強い嫌悪感を覚えた。
後日話を聞いたところによると、この時僕の友人たちは僕を残してトイレに立ったのだが戻ろうとしたところ、僕が強面の男性たちに囲まれているのを発見したらしい。自分たちの身の危険を覚え、僕を連れ出すことなど到底できずにその日はそのまま店を後にしたそうだ。
そんなこととは露知らず、どうやって追い払おうかと頭を悩ませていたところをあの人に助けられたのだ。
「ごめんごめん、緊急の電話が入っちゃったからさ」
颯爽と僕と男どもの間に割って入ると、そう言って僕に軽く頭を下げる。直前、僕に向けて一瞬意味ありげに目配せをした。こう言った現場はお手の物のようだ。頭を上げた彼に向かっていいよいいよ、と軽く手振りも交えて答える。ここは話を合わせたほうが無難に切り抜けられそうだ。なんだ彼氏がいたのか、と言う心の声がはっきりと聞こえるほどに周囲の男たちが冷めていくのが見て取れる。ざまぁみろ。
僕を軟派してきた連中が退店したのを見計らって僕は深々と礼をした。
「困っていたところをありがとうございました」
「いやいや。君こそ大変だっただろう。当然のことをしたまでだよ」
事もなさげに言ってのける。実際、あの人にとっては本当に大した事ないのかもしれない。しかし、僕の興味は別の方へと向けられていた。
「...驚かれないんですね」
「何のことだい?」
にこやかな表情を崩さぬに男は疑問を口にする。
「僕が男だってことです。恋人のフリして追い払ってくれたじゃないですか」
そんなことか、と男は笑う。
「一目見てわかったよ。まぁどうやっても簡単に散らせると思ってたしね。だったら、面白そうな方法取りたいじゃん?」
そう言って僕にメニューを寄越してきた。
「飲みなおしたら?折角だしここは俺が出すから」
悪戯っぽくウィンクして見せたこの人から連絡先を聞き出すのにはそう苦労しなかった。
あの人の本性を知ったのはそれからしばらく経ってのことだった。単に金遣いの荒いイケメン、程度に思っていたのだがどうやら認識が甘かったようだ。謂わゆるヒモ男、と呼ばれる人種なのだろう。日替わりで女の家を渡り歩いている。時たま食事などに誘われて指定された場所まで迎えに行くのだが、その場所と言うのが決まって女性の家なのだ。少なくとも10人以上の女性のお世話になっていることだろう。一度として行ったことのある家に再び伺ったことはない。加えて、あの人は想像以上にルーズな金銭感覚を持っていた。
例えばある日、何か面白いコトはないかと聞かれたので咄嗟にあるYOUTUBERのチャンネルを紹介した。ズラッと並ぶサムネイルを眺めてあの人は感想を漏らした。
「結構かわいいね。後で観るよ」
近々ライブ配信をするから観てほしいと伝えると、予想外な方向に喰いついてきた。
「そう言うライブ配信って再生回数以外にも視聴者からお金もらえたりするんでしょ?」
と聞くのでそうだと答えたところ、
「ふーん、ちょっとやり方教えてよ」
そう言ってオンラインの投げ銭について僕に尋ねるのだった。実際に配信のあった日、一晩飲み明かせるほどの金額が投げられた。なんでもあの人が言うには、
「だって君のお気に入りなんでしょ?もっと活躍してくれるといいね」
本当にそれだけの理由だったのだ。尤も、その後もライブ配信の度にまとまった金額を投げてくれているので無事にハマってくれたようだが。
夜通し麻雀した日から数日後、いつものように呼び出され歓楽街を歩いている時にあの時から温めていた質問を繰り出した。
「何のお仕事されてるんですか?」
「んー?まぁ別に隠してるわけでもないから教えてもいいか。ちょっと場所を変えよう」
そう言って僕をさらに人気のないエリアまで案内する。辺りを見渡し、誰もいないことを確認するとあの人はゆっくりと語り出した。
「俺がヒモしてるのは知ってるよな?」
「えぇ、まぁ」
まさか職業はヒモです、とでも言うのだろうか。
「じゃあ、アイツら何してるかはわかる?」
アイツら、という言葉に引っ掛かりを感じながらも僕は想像を口にする。
「夜の蝶ですか」
「ご名答。とは言っても誰も望んでなった訳じゃないんだけどね」
なんでも皆ヤミ金のヘビーユーザーだったらしい。借金が加速度的に膨らみ、他に返す手段がないところまで来てしまったのだ。では、この人はその取り立て屋なのか、というとそうでもないらしい。
「こういう状況に陥る人ってね、皆心のどこかに大きな穴が空いてるんだ」
少し優しくするとすぐに入れ込んでくれるらしい。
「承認欲求なんだろうね。それも一つじゃない」
また、彼女らには自分の他にも懇意にしてくれている女性がいる、と公言しているのだそうだ。
「こうすると一番になりたくて一層俺に金をかけてくれるようになったんだ」
つまり、こう言うことらしい。この人は囚われの蝶が役目を完全に果たしてしまわぬよう裏口から搾取する、ヤミ金側の人間なのだ。この人を通して金は吸い上げられていくが、借金が減ることはない。
「俺は取り立てたりはしない。アイツらが勝手に貢いでくれてるだけだからな」
ここまで来ると赤の他人でも同情を禁じ得ない。何かしてあげられる事はないだろうか。
「ごめんなさい、ちょっと聞いた話が衝撃的で。ちょっと飲むのは日を改めてもらえませんか?」
気持ちの整理がつかなかったのは事実だ。一言一言確かめるようにして、やっとのことで言葉を絞り出した。
「まぁこんな話聞いて平然としてられるほうがおかしいよ。ましてや君はカタギの人間なんだから」
こちらこそ悪かった、といってあの人はすんなりと解放してくれた。
電車を乗り継いで部屋に戻った僕は早速準備に取り掛かる。あの人のことだ。先ほど出した告知には気付いているだろう。
いつもよりも念入りに化粧を施す。聞き出した好みに少しずつ近づけるため、ウィッグだって少しずつ作り替えてきた。本気で女装している上に声まで変えているのだ。僕のことを男だと認識しているあの人が気づく訳もないだろう。僕だってお金がなくて困っていたのだ。その上あんな事情を知ってしまったらもう引き返せない。こんな立派な金の成る気を手放すつもりは元からなかったが、今日のおかげで悩む必要もなくなった。
「僕が取り立てる訳じゃない。あの人が勝手に貢いでくれるだけ」
自分に言い聞かせるように呟くと、僕は最高の笑顔でライブ配信をスタートさせた。
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