「貴方は神を信じますか?」

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「貴方は神を信じますか?」  そう言って回る、私の周囲には帰宅途中の人々の群れ。誰もかもが疲れた表情で通り過ぎて行く。  嗚呼、なんて可哀想な子羊。救ってあげないと。  そう思って、神の御言葉が画かれたチラシを配って行きます。 「貴方は神を信じますか?」 「おん? まあ、信じなくもないんやけど。それよりあんちゃん、おもろい事あるでー」  何人目かに声を掛けたのは、関西弁の、いや、関西弁ではない。テレビの関西弁芸能人とはイントネーションが違うし、如何にも作りました、と言う口調の狐顔の男でした。 「神を信じるなら……」 「あんちゃん、それよりもなー。ふむふむ。成程。お前さん、運命の出会いが待ってるで。俺について来たら分かるでー。いや、マジな話やけどな」  嗚呼、この男はなにを言っているのだろう。神は、私の知っている神は、運命を変えてしまった神は、この心の中にいると言うのに。 「生憎ですが、既に私の心の中に神は存在するのです」  私は胸に手を当てる。嗚呼、なんて温かく光り輝いている神なのだろう。教祖様に与えられた神の一端は、私の心を明るく照らす。 「ほーん。じゃあ、俺についてくる気はないねんな」 「貴方が私についてくるのでしたら、考えましょう」  狐顔の男はにやにやと笑い、こそりと私に耳打ちしました。 「此処だけの話、俺、神様やねん。あんたの神様、偽物やで」 「まさか……」  私は失笑しました。そんな馬鹿げた話が何処にあると言うのでしょう。この男が神様で、私の信じる神が偽物だなんて、馬鹿らしくて怒る気にもなりません。 「俺の名刺いるかー。俺に会いに来たら、天使に会わせちゃるで」 「天使……貴方には御使いがいらっしゃるのですか?」  私が興味を抱いたかと思った男が、細い目を広げて、「おん」と機嫌良く笑いました。 「ものっそい別嬪さんの天使がな。気になるなら、連絡してくれや、あんちゃん」  狐顔の男は、名刺を私に渡すと、人混みの中に消えて行きました。  名刺には、『叶 人形師』と言う署名と連絡先が載っていました。  名刺を持った私は、それをどうしようか迷い、結局ポケットに突っ込んで、布教活動を続けたのでした。 「おん? どちら様や?」  数日後、矢張りあの叶と言う狐顔の男を私の神に屈服させなければ、と連絡先の電話番号に電話を致しました。  神を自称する不届き者は、我慢ならないのです。 「先日、神だと仰っていた……のは、貴方様ですよね」 「あー。あん時のあんちゃんかー。俺の所に来る気になったかー。ええでー。君の天使出来とるから、俺ん事務所来いやー」  なにを言っているのでしょう、この人は。 「名刺に書いてる所、お出でや。待っとるで」  ぶつん。つーつー。  一方的に話すだけ話して、電話を切られました。叶と言う男はなにを考えているのでしょう。それに、「君の天使」とは、なにを指しているのでしょう。  そう言えば、叶の肩書きは人形師でした。どうせくだらない人形で天使だなんだと誤魔化そうと言うのでしょう。そうはなりません。  憤慨を心に秘めて、私は叶の事務所に参りました。駅から少し離れた閑静な住宅街に位置する一軒家に、迷いながらも辿り着く事が出来ました。  白。  目についたのは、白く塗られた外壁です。鮮やかなまでの白。色のない色。それが神々しいような、威圧感を持って私の眼球に迫りました。  私は気後れするような気がしつつも、その家のチャイムを鳴らしました。 「ほいほーい。いらっしゃいませー」  気軽な返事と共に、叶が顔を出して来ました。 「あの……」 「あかん! 君はまだ集会所には入れられへんのや! まずは天使との対面を済ませてからや! 俺についてきなー」  叶は私の言う事を聞こうともせず、一軒家から出て、庭を回ります。仕方なく、私もついて行きます。  庭には薔薇が咲いています。今の時期だったでしたでしょうか。  そんな事を思いながら、庭の離れに通されると、如何にも人形師の作業所、と言う雑多な部屋に驚きました。作りかけの手足や頭部、なにに使うか分からない小物も沢山あります。  遅れて、中央のバイオリンケースに目が行きます。雑多な中に新しいバイオリンケースと言う違和感に視線がそちらに集中します。 「天使さんはな、繊細やから。静かにお迎えせんとあかんねん」  そう言って、叶はバイオリンケースをゆっくりと開きました。  そこに鎮座していたのは、嗚呼、なんと言う事でしょう。 「君だけの天使や」  叶は、いや、私の天使を生み出した神は、笑っていました。  私の心の中に描いてた、ふわりとした神の御姿、それがそこにそのまま存在していたのです。 「言ったやろ。君の神は偽物や。俺が君の心の中の天使を具現化した神様やってん。信じたやろ?」  ぽろり。涙が零れます。  それでも、私は。 「……私の神を裏切る事等出来ません……」  然し、叶は私の中を覗いたかのように天使をいとも容易く具現化させました。  あるいは……いえ、叶が神様等と……私は私の神を信じます。  それでも、天使は私の心を大きく揺さぶりました。  私はバイオリンケースに入れた天使を持ち帰りました。私の家で改めてバイオリンケースを開いてみます。  嗚呼、なんて神々しいのでしょう。光を体現したかのようなその御身。全体的に金属のような容貌ながら、柔らかい質感も持っており、命が宿っている気が致します。近くに寄ると、呼吸の音まで聞こえる気がします。  然し、これは本当に神様の御業なのでしょうか?  あの、叶と言う男に騙されているだけなのではないでしょうか?  私は疑問に思い、天使を眺めるとバイオリンケースを閉めます。  また、あの狐顔の男に会いに行かなければ。  翌日、叶の家を訪れた私に、叶はのほほんとした顔で「やっぱり来やったんやな」と、例の怪しい関西弁で私の再訪を分かっていたかのような口振りで言いました。 「天使は連れてきたんかい。天使がおらんと集会所には入れられへん」  黙って私がバイオリンケースを少し開くと、叶は満足そうに頷きました。 「お出でや、君の仲間を紹介したる」  ぎい。  白い家の扉が開きました。  これを潜ると、この世の全てから断絶させられそうな、そんな予感に躊躇していると、叶がにやにやと不審な笑みを浮かべて玄関先で待っています。私の心を見透かしているような、そんな笑みです。  私は思い切って、白い家の中に入りました。  白い家は廊下で区切られていて、どうやら個室と大部屋がありそうです。  その大部屋の中に案内され、私は息を飲みました。  大部屋は人が20人も入れば満杯のような部屋です。そこに10人程の老若男女がいて、それぞれが天使を持っているのです。どの天使も同じ姿形をしておりません。 「お前ら、新しい仲間やぞ」  叶がそう言うと、誰しもが幸せそうな笑顔で私に微笑みかけてきます。  嗚呼、この光景には見覚えがあります。  私の所属している宗教の信者と同じ顔です。 「良かったわね、幸福でしょう?」 「叶様の天使のお陰で幸せでしょう、良かったですね」 「天使様は本当に私達を幸福にしてくれる」 「貴方は叶様に選ばれた幸福な人」 「天使様、叶様、有難う御座います」 「さあ、いらっしゃい」 「貴方の天使様を見せて下さい」 「そして私の天使様を見て」 「天使の創造主、叶様万歳」  次々に私に気さくに声をかけてくる人々は目が澄んでいて、穏やかで、聡明で、なにも疑っていないようでした。 「見せてあげろや。君の天使を」  は、と我に返った私が天使を見せると、「おお」とどよめきが起こります。 「愛らしい……」 「品があり、知的で……」 「素敵な天使様……」  私の天使を褒め称える人々に、私は笑みを浮かべているのに気が付きました。私の天使を見て欲しい。私の天使は素晴らしい。  私の信じる神は相変わらず変わりませんが、私の愛する天使はこの、バイオリンケースの中に収まった一つの個体となっておりました。  それから私は天使と常に共にあり、教祖様の元へ行く時も、天使を連れて行きました。 「そのバイオリンケースはなに?」  と聞かれても、「新しくバイオリンを習い始めたので」と苦しい言い逃れを続けておりました。幸い、中を改めようとするものはおりませんでした。  天使が傍らにいる、それだけで満ち足りた気分になる。幸せな気分になる。  それにつれて、『神様』の定義も曖昧になっていきます。  教祖様の提示する神様が正しいのか?  天使を作り出した叶が神様だと言うのか?  私の中でかけがえのないものになっていく天使の存在だけが確かで、『神様』に対して懐疑的になっていく自身と、教祖様の教えに徐々に冷めていく己と、天使を生み出す叶への畏怖が、綯い交ぜになって混乱して、天使に縋り付きたくなりました。  バイオリンケースを開けると、天使がそこにいます。天使を見るだけで、私の心は安らぎます。天上の地に降り立ったかのように心が穏やかになるのです。  私はたまに叶の集会所に行くようになりました。そこで様々な人々と天使に会いました。  私の天使は白人の成人男性の姿をしていますが、他の人の天使は子供だったり女性だったり、人種も服装も様々でした。 「この天使様はね、私の生まれ変わりなの」  ビスクドールのような少女の天使をつれた老婆が愛しげに語ります。 「純粋で、穢れなく、私がもう一度少女になったら、この天使様の姿になるの」  老婆は自分の過去を話したがりません。無理に聞く人もいません。それでも、痩せこけた老婆が幸せな人生を送ってきたと思うのか、と問われると、恐らくは否、と言う雰囲気があります。 「俺の天使様は、俺の伴侶。共に暮らし、共に歩み、生涯を全うすると決めたんだ」  黒人のグラマラスな女性の天使を持った男は、天使を伴侶としていると聞きました。私はそれを聞いて、少し違和感を感じました。この男は天使に触れたのか。  集会所では、天使を見せ合い、褒め称え、ゆっくりと時間が過ぎて行きます。その誰もが他人様の天使どころか、自分の天使にも触れないのは、暗黙の了解となっていました。  それを男に訊ねると、「叶様に共に添い遂げるお許しを頂いた」と答えが帰ってきました。「神聖なる個室に行く事が可能なら、天使様に触れる事も出来る」とも。  嗚呼、私は天使に触れるのは烏滸がましい。だけれども、触れてみたいと言う欲求は日に日に増していきます。 『神聖な個室であれば、天使に触れられる』  その考えが私の脳裏に刷り込まれ、叶に頼み込みたいと言う欲求が芽生えてきました。 「か、叶さん……」 「おん? なんやねん。どないしたんや」  私は天使に触れたい、その気持ちが高まり過ぎて、叶に頼み込む事にしました。そこまで天使は私の内部に侵食し、甘い気持ちを抑えきれなくなっていたのです。天使は温かく柔らかく、良い匂いがするに違いない。もしかすると、私を抱き締めてくれるかもしれない。そんな思いでいっぱいでした。 「神聖な個室に……天使に触れさせて下さい……」 「ほーん」  叶は愉快そうに目を細め、狐の顔が糸目に見える程になり、びくりと私の身体が震えました。叶が悪魔の手先に見えたのです。 「せやな。それやったら、まずは君の神様は俺やって、認めてくれんとあかんねんな」 「……そんな……」 「俺は天使の創造主なんやから、神様に決まっておるやろ。はよ、決めな」  私は躊躇しました。私の神を捨てる事は、今までの私を否定する事にならないか。  実は、私は既に今の教祖様からカリスマ性を見い出せなくなっていました。教祖様の教えよりも、何百倍もの圧倒的存在として天使が私の中に君臨していたからです。  だからと言って、叶が神様とは思えません。あくまで天使の創造主、それ以上でもそれ以下でもありません。天使を作りたもうた御業は感心すれど、叶の事を崇めるのは無理があります。叶はただの狐顔の男、そうにしか思えません。 「ほんなら、神聖な個室で天使に触れなくてもええやろ。俺の許可無くても天使に触れても駄目っちゅう決まりはあらへんで」  私は吃驚致しました。そんな事が有り得るのか。目から鱗が落ちる感覚でした。 「ただな、どうなっても知らへんで。天使は天使やから。聖別されたものやで。そこんとこ、よう考えな」  叶が気になる事を言っていましたが、私にはもう関係ない事でした。一刻も早く天使に触れたい。  私は背負っていたバイオリンケースを開いてから、その中に収まっていた天使を恭しく抱きました。  すると、どうでしょう。  天使の肌はほんのりと明るく光っていた温かみが消えて冷たく、滑らかですんなりと伸びていた手足は球体関節が目立ち固く、生気と神秘と慈愛に満ちて私を見詰めていた瞳はただのドールアイとなり無機質に宙を見つめています。  私は狂乱しました。 「こんなの、私の天使じゃない!」 「やから、言うたやろ。どうなっても知らへん、言うたやろ」  私の心の中に空洞が生まれ、ひゅうひゅうと風が通り抜けます。つつ、と頬を伝う涙は、天使、いや、ただの人形にはなにも訴えかける力はありません。 「これが君への罰や。俺を神様と認めなかった天罰や」  慟哭する私に無慈悲な声が投げかけられました。  酷い、酷過ぎる。こんなのはあってはいけない。  泣いて、泣いて、縋り付くものが何も無い。  腕の中にあるのは人形だけ。 「君には道がまだある。聞きたいか? 俺を神様と認めて、天使を復活させるんや」  叶の言葉に、ぼろぼろと泣きながら私は頭を縦に振りました。 「ええ子やな」  白い個室に私は通されました。  高いところにある窓に柵が拵えてあり、まるで精神病棟の一室のようでした。  私は泣きながら人形を抱えて部屋に入ったのです。もう一度、人形を天使に戻す為に、叶様にお縋りするしかないと思いました。  白い部屋には私と人形、叶様が入っておりました。 「ええか。信じるんや。信じるものは救われるってほんまや。その人形を天使と思うて、俺に委ねてみいや」  私は人形を叶様に手渡しました。信じるものは救われる。人形を天使に戻して貰いたい。叶様なら、それが出来る。私は信じました。  とくん。  人形、いや、天使に息吹が吹き込まれる瞬間でした。叶様は本当に天使に戻して下さったのです。 「天使は繊細なんやて、前にも言うたろ。此処の個室以外で触れたら、また人形に戻るで。気を付けや」  叶様が天使を私に受け渡してくれました。温かく、柔らかい、天使の柔肌に触れて、天にも登る心地が致しました。  髪の毛を指で梳いて差し上げると、天使が身動ぎした気が致します。艶やかでほんのりと消毒液の香りがする天使の髪の香りを思いっきり肺に吸い込むと、晴れやかな気分になります。何度も何度も天使の髪を梳いていました。 「俺を神様と認めた君は、この個室に入る権利がある。週に一回、此処に入ってもええで」  週に一回、天使とこうして触れ合える。多いのか少ないのか、私には分からないなりにも嬉しく思い、感謝の念を伝えました。  叶様は満足した様子で、「今日は好きなだけ天使と戯れてええで。閉める時になったら迎えに来たる」と言い残して白い部屋を出ていきました。  狭い空間の中に、私と天使だけがいる。  間近に感じる天使の存在に、私の胸は高鳴り、青春の鼓動を呼び覚まされました。嗚呼、恋に似たなにかが心の奥底から響いて私の中を反響します。  そっと天使の頬に触れました。仄かに唇に朱が差して、口角をあげアルカイックな笑みを浮かべた天使の肌はさらりとしていて、温かみを感じました。  天使に許されている。  天使に触れる事を許されている。  私は歓喜と恍惚の狭間で涙を流し、天使をその腕に抱き締めました。  私の腕の中で、天使の血の流れが脈打ち、心臓が確かに動いているのを感じました。  嗚呼、天使は生きている。私の腕の中で生きている。  私は叶様が呼びに来る時間まで、天使を抱き締めていました。 「あら、良かったわねぇ。個室に入る事を許されたの?」 「おめでとう。これで君も俺達の仲間だ」  大部屋で神聖な個室に入った事を報告すると、人々が口々に温かい言葉をかけてくれました。私は天使と一緒に人々に挨拶に回りました。  私は週に何度か大部屋に通って歓談し、週に一回個室に籠って天使と触れ合うようになりました。  天使との触れ合いは、初めての恋人同士のよう。頬を撫でて、髪を梳き、抱き締めて、それで私の心は安寧と高揚に満ちたのです。  たまに大部屋に顔を出す叶様も、なんだか神々しく感じられてきました。とは言え、神様と言うよりは親しい友人のような言葉を交わしていましたが。  それで済まないのが、前の教祖様の取り巻き連中です。私の家をひっきりなしに訪れ、何があったのかと聞いてきます。  私は天使の事を言えずに、ただバイオリンの稽古に熱中していてそれどころではない、と追い返していました。 「嘘でしょう。宗旨替えをしたのでしょう。それは悪魔の囁きです。貴方はまだ間に合います。良いから、教祖様の御前で謝り、詫びればお優しい神の導きに与る事が出来ますよ」  そう何度も繰り返し説いてくる教祖様の信者が、煩く感じられました。よく分からない神よりも、現実に存在する天使と天使の創造主の方が、今の私にとっては大事なものになっていたのです。 「良いから、放っておいてくれ」  そう突っぱねても、信者は飽きずに私の家を訪れました。  ある日の事です。  いつも通り、天使の入ったバイオリンケースを持って、集会所に行こうとした時の事です。突然、教祖様の信者が道を阻み、抵抗する私からバイオリンケースを奪ってしまったのです。 「これが邪教の根源か」  天使が穢れる。  返してくれと懇願する私に構わず、信者はバイオリンケースを開きました。 「なによ、ただの人形じゃない」  やめてくれ、返してくれ。  私の天使に触れるな。  信者達は、天使の身体を掴むと、あろう事か道路に叩き付けてしまったのです。天使の四肢が歪み、微笑みを浮かべた顔にひびが入りました。 「邪教のシンボルめ」 「もう大丈夫です。貴方は教祖様の寛大なる愛で再度洗礼を受ければ邪教から解放されます」 「貴方を助けられて良かった」  天使が、私の天使が。  天使を助けようとする私を囲んで、信者が教祖様の元へと連れていこうとします。  私は頭の中が真っ白になり、人々を押し退けて天使に覆い被さって泣き喚きました。  天使、触れて良いだろうか。  創造主の元へ、連れて行って差し上げるから、待っていて下さい。  そう泣く私の腕を信者達はとって、引き摺って行きました。 「可哀想に。邪教の虜になっているのね」 「早く洗礼を受けないと」  なにを言っているのだ、この人達は。  私にはなにも理解出来ない。 「叶様、叶様……天使が……」  白い家に行って、叶様に会わせてくれと頼んだ私は、すんなりと叶様の御前に通されました。あの、作業所の中です。 「天使がどないしたん?」  叶様はにやにやと例の狐顔に笑みを浮かべていました。  私が事の顛末を話すと、叶様はつまらなさそうに頷いていました。 「そこ、それや。そのバイオリンケースを開けてみい」  改めて部屋の中を見回すと、新しいバイオリンケースが置いてありました。  まさか。  恐る恐るバイオリンケースを開くと、そこには私の天使が収まっていたのです。なんの傷も無く、寸分たがわず、前と同じように私を迎え入れてくれました。 「……どうして、此処に天使が……」 「どうしてって、天使やからな。神様の元に戻ってくるのも、君の元に遣わすのも、当たり前や」  私は涙しました。私の天使が私の元に戻ってくるなんて。 「穢れは払っておいたから、安心しいや。天使は君の元にまた幸福をもたらすから。それよりあの教祖様から宗旨替えした? 俺が神様やって信じたやろ?」  嗚呼、叶様はなにもかもお見通しなのです。私は深く項垂れました。 「叶様は神様です。今、はっきり分かりました。貴方を神様と崇めます」  そう。私はあの教祖様を信じないと心の底から信者にきっぱりと言い放ったのです。あの人々は邪教徒と私を罵りましたが、私は私の天使を傷付けた人々の方が邪教徒だと思ったのです。 「ええで。君は天使との触れ合いだけではなく、連れ添う事を許可するで。よう、励めや」 「……どう言う意味ですか?」 「聖別された個室にいつでも入れるし、触れる以上の事を許す言う事や。君、天使ともっと親密になりたい思わへん?」 「……」 「安心しい。天使に性別はないんや。君の天使は男の格好しているけれども、本来天使は両性やからな」  天使と触れ合う以上の事。  なんて、甘美的な誘いなのでしょう。  キスをして、愛撫して、一つになる。それが許されたのです。 「ほな、早速聖別された個室に入るか?」 「……もう少し、待っていて下さい。わ、私は天使と再会した余韻に浸りたいのです」  私が慌ててそう言うと、「ほな、好きにせいや」と叶様は仰り、私を作業所から追い出すように大部屋に送り出しました。  大部屋の人々は口々に話しかけて来ます。 「怖い目にあったのね」 「天使様と再会出来たのは、ひとえに叶様の力によるもの」 「天使様とお幸せに」  私はバイオリンケースを抱えて、そっと天使の顔を見ます。  柔らかい微笑みを湛えて、天使は確かにそこにおりました。  それから、私は天使との夫婦生活が始まったのです。なんて幸福なのでしょう。  起きたらおはようのキスをして、身体を抱き締めて眠る。  私は幸せです。  私の天使と過ごせるのですから。  作業所にいる叶の元に長い髪の男が訪れる。 「……君、僕の欠片をまた使ったね。別に良いけれど」 「だって、俺、天使作れへんもん」 「君は低級過ぎる。僕の欠片を使わないと人形すら作れないんだから」 「けけ、だってお前さんは『本物』なんやから、人を幸福にするのもお役目やろ? なにが悪いねん。皆、皆、俺が幸せにしたるさかい、またお願いするで」  にんまりと叶が笑った。狐顔が糸目に弧を描き、その奥の感情は読み取れなかった。
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