本編

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あのあと階下で呼ぶ母の声をきっかけに、志童は気持ちを収めてくれたが……。 あれから4年。俺は地元から離れ東京にいることを言い訳に、一度もアイツと会っていない。 そりゃそうだ、あんなのトラウマになる。 今でもときどき脚の付け根に押しつけられたアイツの熱を思い出し、腹の奥がぎゅっとなる――。 「で、志童がどうしたって?」 電話越しに聞かされたその名前に、体がほんの少し熱くなる。 「ここんとこずっと発熱が続いとるようだ。体に()む犬神の力が強まっとるな」 「そ、か」 心配は心配だが、この電話の相手は俺の(じい)さんだ。 爺さんは俺より力のある拝み屋で、爺さんに任せておけば何も問題ないはずだ。 「悪い、仕事中だからもう切る!」 電話の向こうにそう告げて、俺はスマートフォンを握ったまま印を切った。 暗い雑木林の中、目の前には身の丈2メートルはある化け狸。 コイツに成仏してもらわないことには、今日の仕事は終われない。 『(りん)(ぴょう)(とう)(しゃ)(かい)(じん)(れつ)(ざい)(ぜん)!』 俺の放出した霊気(れいき)が狸の妖気とぶつかり合い、激しい風を作った。 (よし、いける!) 狸の妖気(ようき)を押し返したと思ったその時――。 「待て、まだ話は終わっとらん」 切れていなかったスマホから、爺さんの声が聞こえた。 「なんだよこっちも忙しいんだよ! 手短に言ってくれ!」 「手短にな、分かった。志童がそっちに向かっとる」 「……はァア!!?」 「わしも年を取った、あの犬神は手に負えん。お前に任せた!」 「ちょ、待ってくれ! おい!?」 慌ててスマホを引き寄せた時には、もう通話は切れていた。 「志童が来る? マジで!? いつ? どこに!?」 そっちに気を取られているうちに、狸の妖気が押してくる。 「くそっ! ああ、もう!!」 敵の妖気に()まれそうになり、俺は後ろの木陰に退避した。 『マジ! 頼む! から! いい子に! 寝て! くれ! 早く! 帰り! たい!』 俺は木陰で印を結び、正式な九文字でなく自分の思いを(とな)える。 「フリーランスは残業代とか出ないんだよっ!!」 再び繰り出す俺の霊気に、化け狸の姿が(ひる)んだように揺らいだ。 そしてぶつかり合う力の風が消し飛んだあと、そこにはもうヤツの気配はなかった。 (やったのか!? いや、逃がしたな。たぶん) これだけ心乱されていて、(もの)()を鎮められるわけがない。 愕然(がくぜん)としながら息を整えると、そこへ枯れ草を踏む足音が近づいてきて――。 「天心、天心、天心! いたっ、天心だー! 会いたかったー!!」 背後から巨大な犬――いや、4年ぶりの志童に抱きつかれた。
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