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2.素敵な思いつき
事件が起こる数か月前のこと。親に頼まれて薬局の店番をしていた美咲は店の前を通りかかった一組のカップルに目を留めた。
(正樹……)
男の名は辻正樹。美咲が高校の頃付き合っていた元彼だ。大学に入ると同時に別れを告げられた。何とも言えぬ思いで隣の女に視線を向ける。
(井上薫。なんであんな女なんかと)
薫は高校時代の同級生だ。当時は目立たない子だったが今目にする彼女はずいぶん垢抜けて見えた。まるでファッション雑誌から抜け出てきたような格好をしている。確か彼女のお父さんは上場企業の役員だ。今日もブランド者のバッグをさりげなく提げている。親の金で買ったに違いない。
(それに比べて……)
自分のしている薬局の店名が入ったダサいエプロンを見下ろしため息をつく。きっとあの女は金の力で彼を振り向かせたんだ、そうに違いない。二人は楽しそうに腕を組み歩いて行く。美咲はギリギリと唇を嚙んだ。視線で人を殺すことができればいいのに、そんな勢いで女を睨みつけるが女は気付かない。二人は美咲の前を何事もなく通り過ぎていった。
不意に美咲は何もかが嫌になった。この古ぼけた店も貧乏臭い両親も七年近くも引きこもっている兄も。金の力で私から彼を奪い取ったあの女も。嗚呼、可哀想な私。
ぼんやりとそんなことを考えていた美咲はふとあることを思いつく。それはとても素敵な考えに思えた。
(そうだ、大嫌いな兄を利用すればいい。兄を焚きつけてあの女を懲らしめてやるんだ。兄は犯罪者になるかもしれない。そんなの構うもんか。そして私は犯罪者の家族となって何も悪くないのに世間から断罪される……)
美咲は既に悲劇のヒロインになりきっていた。
(そうなればこのままここに住むこともできなくなる。素敵じゃない! きっと私は京子叔母さんの家に引き取られることになるわ。京子叔母さんの家は高級マンション。そこに招待すれば彼も考え直すんじゃないかしら。あの女が私に勝っているところなんてお金だけなんだもん)
美咲は口元に歪んだ笑みを浮かべた。
店番が済むと、早速高校の卒業アルバムを引っ張り出し兄に井上薫の写真を見せる。兄とちゃんと話すなんて何年ぶりだろう。ろくに風呂にも入らない兄からはツンとする嫌な臭いがした。
「私ね、夢を見たの。お兄ちゃんに運命の相手が現れる夢。この女の人よ」
最初兄は全く相手にしなかった。誰からも話しかけられたくなんてなかったから。でも美咲は執拗に兄に語り続ける。
「この女の人はお兄ちゃんの運命の相手なのよ。お兄ちゃんを待ってるの。迎えに行ってあげなくちゃ」
何度も繰り返しそんなことを吹き込まれているうちに、段々と兄自身そう思い込むようになっていった。そう、この子は僕を待っているのだ、と。写真に向けた兄の視線が熱を帯びてくる。そこからは簡単だった。少しだけ美咲が手助けしてやったこともある。井上薫の住所を教えてやったり、こう言って訪ねればきっと扉を開けてくれるよ、というアドバイスをしてやったり、そんな些細なことを。
(これで正樹も私のところに戻ってくる。ごめんよ、やっぱり僕には美咲だけだ、そう言って。嗚呼、なんて素晴らしいんだろう)
美咲はうっとりと目を瞑った。
そして事件が起こり美咲は叔母の家に引き取られた。ここまでは計画通り。だが正樹からの連絡はない。美咲は待った。彼とのデートでお金がないなんていやだと思いアルバイトも始めた。だが彼が戻ってくることはなかった。
その後奇妙なメールのせいで美咲は段々と精神に変調をきたすようになる。両親を失った井上薫のように。だが薫と違い美咲は自ら死を選ぶことはなくただひたすら自己憐憫の海に溺れていった。
――嗚呼、かわいそうな私。私は何も悪くないのに。
そう、悪いのは犯罪を犯した兄であり振り向いてくれない彼なのだ。
「ねぇ、おまわりさん、私何も悪くないわ。早くこんなメール送りつけてくる悪いヤツを捕まえてよ。こいつが邪魔してるの、ねぇ、そう思うでしょ? だっておかしいじゃない、正樹も全然連絡くれない。ずっと待ってるのに。邪魔されてるのよこいつに」
牧野美咲は毎日のように警察署を訪れてはそう喚き散らした。そしてその度に叔母が飛んできて美咲を連れ帰る。どれだけ厳重に見張っていてもいつの間にか家を飛び出して警察署に向かうのだ。医者からは入院を勧められている。
「いつもごめんなさいね。でもこの子をこんな状態にしたメールの送り主、何とか捕まえることはできないのかしら。私もう悔しくって」
美咲の叔母、京子は目元にハンカチをあてそう訴える。
「はぁ、しかしもうメールは届いていないわけですし……。それに話を聞く限りじゃ元はと言えばこの娘さんが……」
美咲は自分のやったことを警察署で細大漏らさず打ち明けていた。むしろ誇らしげに。
「もういいわ、誰もわかってやってくれないんだから。この子は被害者なんです!」
そういって京子は美咲を連れ帰る。京子にとって美咲は自分の娘のようなものだ。美咲がかわいそうでならない。
(一体誰が可愛い美咲にこんな仕打ちを……許さない)
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