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太陽の下に晒された桜吹雪はまるで本物のぼたん雪のようで、思わずスマートフォンのカメラを起動した。
空に向かってシャッターを押してみるが、肉眼で見るような美しさは切り取れず、やや落胆する。
花見から3日も経つと、桜は徐々に散り始め、公園のどこを歩いていても、春の吹雪の只中だった。
掴めるかな、と手のひらを胸の位置まで上げて差し出していると、背後からシャッター音が聞こえた。
ほかの花見客のものだろうと思って振り向かずにいたら、肩を叩かれた。
——海人だった。
差し出されたスマートフォンの画面には、先ほどの自分が収まっている。
「なに撮ってんだよ」
海人はスマートフォンをしまうと、ニッと笑った。
「設楽さんと桜。綺麗だったから撮っちゃった」
そして、紙袋を軽く掲げた。
「お待たせ。食べよ」
海人から「公園で一緒に昼食を取らないか」というメッセージがきたのは、今朝、会社に着いた時だった。
外出も入っていないし、海人が店から弁当を持ってきてくれるというので、誘いに乗ったのだった。
「今日はアジアンランチにしてみましたー。ガパオとカオマンガイ、どっちがいい?」
「じゃー、ガパオ」
ベンチに座ると、包みをひとつ、差し出してきた。
行き交う人は、不思議そうな目でこちらを一瞥した後に、通り過ぎていく。
——眼鏡のサラリーマンと金髪の青年という組み合わせだから、視線に微かな詮索が混じるのは仕方がなかった。
「明日、別れてくるから」
プラスチックのスプーンを袋から出していると、唐突に言われた。
「そ、そうですか……」
「うん。だから待ってて」
一瞬、返事に詰まって、水蒸気のついた蓋をいたずらになぞった。
躊躇したが、言わなくてはならない。
彼の純情が、踏みにじって愉快になるような上っ面だけのものだったなら、史人だってもう少し遊ばせていただろう。
ただ、海人の持っているそれは、あまりにも清潔すぎた。
「あのさ、俺……誰とも付き合う気はないんだよね」
海人がこちらを振り向いた。
その目には、驚きも動揺も浮かんではいなかった。
むしろ想定内とでも言うように、口角をやや上げて笑みをつくった。
「なんで?」
そんなに真っ直ぐ目でなんでと言われると——困る。
ただ自分は、高校を卒業して以来、特定の人間と向き合うことを避けてきた。
深い人間関係なんて、煩わしいだけだ。
「あー、こわいんだ?」
「……はい?」
「でも、そんなにかまえる必要ないと思うんですよね。向き合ってくれるまで全然、待つし」
なぜそういう発想になるのだろう。
反論したかったが、こちらが口を開く前に海人は畳み掛けてくる。
しかし、その強引さが不思議と嫌じゃない。
「なんで俺なの。普通に女の子好きなんでしょ?」
「わかんない。でも好きになっちゃったから」
またしても言葉に詰まり、史人はガパオライスを口に運んだ。
味がよくわからない。
「誰とでもすぐやるクソビッチだよ?」
「クソビッチでも好き」
「浮気しまくるかもよ?」
「俺だけで満足させる」
「性病もちかもしれないし」
「一緒に病院行こ」
何を言っても、朗らかに笑っている。
それを見たら、反論するだけ無駄な気がして、史人はひたすら食事に集中した。
なんなんだろう。この男は。
ペースを崩されてばかりだ——
間近でシャッター音がして、史人は顔を上げた。
「撮るなよ」
「いーじゃん」
ふたたびシャッター音を乱発され、史人は背を向けた。
身を翻した瞬間、スーツの肩に乗っていた桜のひとひらが、弁当の器に舞い込んできた。
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