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チキン南蛮弁当の入った袋を腕に引っかけながら、会社までの短い距離を歩いた。
公園に植樹されたものか、はたまた街路樹のそれなのか——風に巻き込まれた身元のわからない桜の花びらが、ビルの隙間を縫うようにして舞い込んでくる。
それらは陽に当たると白く輝き、ひらりひらりと身を翻して、もったいぶりながらコンクリートに落ちていく。
——史人は桜が好きだった。
とくにソメイヨシノの、まるで温かみのない薄ピンク色を見るたびに、なぜだか心が落ち着くのだった。
珍しく気分が良くて、ステップでも踏みたくなる。
しかし、そんな小春日和ののどかな昼下がりに、突如、雨雲がかかったのは、会社のビルの入り口に見覚えのある人物を見つけたからだった。
しなやかな体つきに、穏やかな目元。
それは紛れもなく、泉亮平であった。
……なぜ、こんなところに?
史人は一瞬、動揺で体が固まってしまった。
彼は取引先の元担当者で、数カ月前に大阪に転勤になったはずだ。
そんな彼が、わざわざここにいる理由に、史人は心当たりがあった。
彼とは二度、セックスした。
送別会と称した酒の席で一回、泉のオフィスの会議室で一回。
しかし、それまでの仲である。
その後も彼からは頻繁に連絡が来たが、一貫して出ないようにしていたし、それにあの時、きっぱりと「遊びだった」と伝えたはずだ。
なのに、なぜ————
その時、泉が振り返った。
嬉しそうに笑う顔は、やっぱり可愛い。なんだかんだ言っても、この男の見た目は死ぬほどタイプなのだ。
「史人!」
一瞬、泉の上品な雰囲気に飲み込まれそうになったが、下の名前で呼ばれて、はっとした。
そもそも会社の前で待ち伏せをしている時点でどうかしている。
春の陽気に混ざる、やんわりとした異常性に戦慄した史人は、咄嗟に踵を返していた。
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