371人が本棚に入れています
本棚に追加
史人はあくびをして、仰向けになった。
耳からうなじにかけて感じる、青いビニールシートのひんやりとした温度に、はっとする。
桜の花びらは空中で弧を描くように舞い、時折、陽の光にとけて—-一瞬、姿を消しては、ふたたび降りてきた。
頬に落ちてきたひとひらを摘んで鼻に近づけてみるが、案の定、匂いはしない。
花見当日。
今日は、場所取りという名目の午後半休だ。
スマートフォンを取り出し、暇つぶしにネットを漁っていると、メッセージのポップアップアイコンが表示された。
「今、昼休憩! 設楽さんはお昼食べましたか?」
史人は片手を後頭部にあてながら、利き手で返信を打った。
「おつかれさま。今、公園で場所取り中」
——あの後、史人は会社に戻らなかった。
泉からは仕事用のスマートフォンにひっきりなしに電話がかかってきて、海人に心配されたからだった。
スマートフォンと財布、定期は持っていたので、園部に午後半休するとだけ伝えて、荷物もそのままに、逃げ帰ったのだった。
海人は仕事を早上がりし、わざわざバイクで自宅まで送ってくれた。
その時に、プライベート用の連絡先を改めて聞かれたのである。
それ以来、妙になつかれてしまい、史人はこの妙な関係が落ち着かなかった。
もともと友人は少なく、恋愛、つまり肉体関係においても一晩限りで終わってしまうことの多い史人は、他人に連絡先を教えることは滅多にない。
しかし、なぜだかこの青年に
「連絡先、交換しよっ」
と可愛く言われた時、嫌な気がしなかった。
そして、押されるがままに教えてしまったのである。
——それから海人は、頻繁にメッセージを寄越してくるようになった。
交換してからわずか30分後に受信した「いま家ついた!」から始まり、休みは何してるんだとか、どんな仕事なのかとか、色々と質問をされ続けて、切るタイミングがなかなか掴めなかった。
そしてそのまま、金曜日の今日までだらだらとしたメッセージ交換が続いている。
こちらが中途半端な誘惑を仕掛けたにも関わらず、その危い雰囲気の一切を払拭して近づいてくる海人の思惑が、史人にはわからなかった。
いや、彼には思惑などないのかもしれない——
最初のコメントを投稿しよう!