公園沿いのお弁当屋さん

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「設楽さん!」 気づくと、海人が人懐っこい笑顔でこちらを見下ろしていた。 髪が陽の光にさらされて、透けている。 体を起こすと、海人はサンドイッチの入った袋を差し出して、隣に座ってきた。 「差し入れ。お昼まだでしょ。一緒に食おー」 「あー、ありがとう」 史人は眼鏡のブリッジを指で押して、それを受け取る。 コールスローとサラダチキンがぴっちりと挟まった断面の美しさに、思わず見入ってしまった。 「サンドイッチとかもやってるんだね」 「やってるよー。うち、元々は洋風惣菜とサンドイッチの店だからね。今はもう、よくわからんことになってるけど」 セロハンフィルムを剥がした時、隣で微笑む彼が視界に入って、なぜだが唐突に——史人は思い出した。 そうだ。 海人を初めて見かけたのは、たしか…… 「海人君さ、2週間前にここで彼女と大喧嘩してなかった?」 史人の言葉を受け、海人は背中を丸めて咳き込んだ。 「なんすか、いきなり」 「いや、どっかで見たことあるなーって、ずっと思ってて思い出せなかったんだけど、今思い出した」 男女が激しく言い合う姿を目撃したのは、桜のつぼみが膨らみ始めたばかりの、とある夕方過ぎ、外出から帰った時のことだった。 とりわけ目立ったのは女の声で、史人は眉をしかめた。 女のほうは怒りが抑えきれなくなったのか、男を突き飛ばした。 よろめいた男の金髪が揺れて、激しく尻餅をついた。 なんでよ! どうして! 通り過ぎてもなお響きわたる女の声を聞きながら「女は面倒くさいな」と、思った。 ——その時の金髪頭が、サンドイッチを頬張る海人の姿に、ぴったりと重なったのだった。 「別れ話してたんですよ……。恥ずかしいなぁ、見てたんですか」 「内容までは聞こえなかったけど、尻餅ついたとこは見た」 「まじかー……」 海人は額に手のひらを当てて、照れを隠した。 「なんで別れちゃうの?」 「んー、なんかもう……好きじゃないかなって。3年付き合ったんですけどね。元々、押され気味だったし。中途半端な気持ちのままじゃ悪いでしょ。まあごねられちゃって、まだ完全に切れてないけど」 マッキンキンな頭をしていても、意外と真面目だ。 史人は膝を抱え、頬を膝小僧にあてながら、海人のほうを向いた。 「いーじゃん、とりあえず次が見つかるまでつないどけば」 「繋ぐって、好きじゃないのに?」 「とりあえずセックスできるじゃん」 海人はあんぐり、口を開けた。 手にもっていたサンドイッチを紙袋の上に置くと、唇を拭って目を逸らしてしまった。 「設楽さん、真面目な顔して意外と大胆なこと言いますね」 「真面目じゃないよ。わりとクソ人間だよ」 「クソって……」 桜の花びらが、海人のまわりをまるで揶揄うようにして舞う。 花びらのせいなのか、それとも史人の発言に戸惑っているのか——大きな瞳がくるくると動くのが、なんだか面白かった。 「俺も設楽さんのこと知ってましたよ。ずいぶん前から」 「え?」 「よく通るでしょ、店の前」 ——意外だった。 「よくこんな印象に残らない風貌のサラリーマンを覚えてたね」 「残らなくないですよ、全然」 「えー、でもよく言われるよ? ガリでヒョロの童貞眼鏡って」 海人が振り向いた。 その目はなんだか怒っているようにも思えて、やや圧倒されてしまう。 「設楽さんは、綺麗ですよ……」 生まれてはじめて、そんなことを言われた。 肌が綺麗だとか、瞳が澄んでいて綺麗だとか、パーツを褒められたことはあっても、自分そのものを綺麗という言葉で表現されたことはなかった。 それどころか、こじれた交際相手から「人間の皮を被ったヘドロ」と言われたこともある。 化けの皮をはいでやる、と脅された時は、お前こそ中途半端に被ったチンコの皮剥いてこい——頬を打たれながら、心の中でそう反撃したものだ。 「はあ、そうですか……」 史人はなんだか気恥ずかしくなって、空返事をしてから、膝の間に顔を埋めた。
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