四章

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四章

 あれは、佐橋家に引き取られてしばらくしたころだった。  何故かは忘れたが、その日は学校が平日に休みで、姉が大学の授業を午前しか入れていないから京都で遊ぼうと誘ってくれたのだ。  麗はワクワクしながら、姉を迎えに京都大学まで足を運んだものの、約束が楽しみすぎ、早く着いてしまったため、大学を探検していた。  いくつかあるという大学の門を探すため、周りを見渡した麗の感想は、ものすごーーーーく賢い大学のはずなのに、なんか変! だった。  いや、麗が大学を知らないだけでこれがスタンダードなのだろうか。  道路と大学の境目の生け垣には、大量に大きな立て看板が掲げられている。  看板は、どうやらサークルを紹介するための物のようだ。  見たことのあるキャラクターが描かれた物から、原色がごてごてと使われた自画像と思われる物まで多岐にわたっている。  自虐的な文章だけが書かれたものもあり、麗は面白くて一枚ずつ見ながら歩いた。  門を見つけたので、馬鹿がバレやしないか緊張しながら大学に潜り込む。  構内には、眼鏡をかけた頭の良さそうな男の人達が歩いている。  ほかにも、職人っぽい作務衣を着ている男の人。  寒いのにタンクトップで筋肉を見せつけている男の人。  パズルになっているビラをくれる男の人。  何故か地面に畳を敷いてこたつの上で麻雀をしている男の人達までいて、己の目がおかしいのかとその様子を麗はついつい何度も振り返って見てしまった。  しまいには、多大な功績を残したという偉い先生の像が、昔懐かしのアニメキャラクターにとって代わられている。  本物の先生の像は、きっと新しい功績を築きに行っているのだろう。  関西随一の大学だが、天才と変人は紙一重というか、凡人の麗には理解できない変人ばかりである。  麗はちょっと姉が心配になった。 (それにしても、姉さんとの待ち合わせ場所の時計台は見えているのに、全然着かない)  自転車で構内を行き交う人が多いくらい大学構内は物凄く広く、数えきれないほど校舎が建っている。  ちょっと散策だしようだなんて舐めていたと、麗は後悔した。  後、猫が多い。かわいい。野良だろうか。 「麗」  姉の声がして麗は顔を上げた。姉の麗音は今日も完璧に美しい。  髪はショートだが、黒くて艶やかで女らしく、胸も大きい。それでいて背が高くて、足も長いので、どこか男前に見える。  意思の強そうな瞳に高い鼻、赤い唇。  左右対称の美しい顔に、道行く変な男の人達も姉に見惚れている。流石だ。 「姉さん!」  同じ家に住んでいるのに、それでも姉に会えて嬉しく、麗は自然に笑顔になった。 「ちょうど今から時計台前に行こうと思ってたの。麗は散策してたの?」  姉が笑って麗の頭を撫でてくれた。 「うん! 面白かった」 「大学は気に入った?」  うん! と、元気よく頷いた後、麗はしまったと思った。  中卒での就職を姉に反対されたため、今度は高校を卒業したら就職しようとしている麗を、姉は大学に行かせたがっている。  曰く、学費は祖母の遺産から出すと。  しかし、麗としては現在の学費も、実母の病院代も遺産から出してもらったのに、これ以上甘えるわけにはいかなかった。  姉は、麗の取り分だと言ってくれてはいるが、本来、祖母の孫への遺産は、姉のみに遺された物だ。  祖母と会ったこともなければ、存在を知られてもいなかった麗が恩恵にあやかるものではない。 「あ、パズル貰ってん!」  話を変えようと、麗は姉にパズルになっているビラを渡した。  姉の長く、爪の形まで完璧に美しい指がビラをなぞる。  姉の爪を整える役目は麗のものだ。  己の爪は爪切りで適当に切るが、姉の爪は麗が週に一回ヤスリで丁寧に整えさせてもらっている。  昨夜整えたばかりの姉の爪はキラリと光り、麗は見惚れた。 (やっぱり、姉さんがこの世で一番キレイ) 「ラッキーね。パズルの人はなかなか会えないのよ。折角だから、学食で昼ごはん食べながら解いてみる?」 「……頑張る」  麗には解ける気が全くしなかったが、姉が攻略している姿を見て楽しめばいいだけかと思い直す。 「あれれー、そこにいるのは佐橋さんかなー?」  姉と共に後ろを向くと、お洒落を頑張っているがお洒落ではない男の人が立っていた。  真っ黒というよりは、漆黒だ。  炭のように黒いロングコートに、悪魔払いが出来そうな大きな十字架のネックレスは、神父様と中学生男子だけが許される筈のファッションだが、この人は大学生だろうか。  その上、ダメージジーンズとは、ダメージが酷いものほどお洒落なのだと勘違いしていないかと聞きたくなるくらい大きく破れすぎたジーンズからは、太ももの毛が覗いていて不快である。 「先輩、こんにちは」  姉が麗を隠すように一歩前に出た。 「ごめんね、お話中に。友達?」  それは、謝っているのに何となく姉を嘲るような声音だった。 「高校の後輩です。今日は遊びに行く約束でして」  嫌な人なのだろうか。  いつもなら、姉は半分しか血のつながりのない麗を堂々と妹だと紹介してくれるのに、この男の人には誤魔化した上、麗に挨拶をさせるつもりもないらしい。 「そっかー、残念だなー。今日は佐橋さんが楽しみにしていた会社の社員さんにお話を伺う日なのに。来れないんだ、サークル」  姉から企業と大学生を繋いで、ビジネスを創造する? という如何にも難しそうなサークルに入っていると聞いたことがある。その活動だろうか。  それにしても、この男、全然残念に思っているように聞こえない。 (何なんだろう、嫌な人) 「日時の変更があったという連絡は頂いていませんでしたが」  姉の声音が一気に不機嫌なものになった。  麗など姉がいつも父に向けているこの声音を聞くだけでビビってしまうのに、平気なのだろうか。 「あれれー? 連絡行き違ってた? ごめんねー。先方のご都合で急遽変更になったんだー。サークルにしては珍しい時間帯だけど、もうすぐ始まるんだよねー」  尚も挑発しながら、視線は姉を舐め回す男を盗み見て、麗は気づいた。 「あ、なんや! この人、姉さんにフラれて逆恨みしてるんや!!」  麗がハッキリと大きな声で言い放った言葉に、男の顔がにわかに赤くなった。 「こら、やめなさい」  姉が笑いを堪えているので、大当たりらしい。  麗の頭の中で、商店街で半年に一回抽選会をやっている酒屋のおじさんが、大当たりのベルを鳴らしてくれている。ブランド牛くらい貰えそうだ。 「私、今日はこれで帰るね」  姉に仇をなす者に恥をかかすことができ、麗はとてもスッキリしていた。  ここまで来た甲斐があったというものである。 「気にしなくていいのよ。遊びに行きましょう?」 「姉さんこそ気にせんとって、なかなかお話聞けへん人なんでしょ? 私にはまた姉さんと遊びに行く機会はあるやろうし。折角、この足が冷えすぎて風邪ひきそうなジーパン穿いてる人が、間抜けにもギリギリで教えてくれたやからお話聞きに行って、ね?」  向けられた悪意が麗に向けてのものならスルーするが、姉を馬鹿にした以上、倍返しである。  姉は麗の全てだ。傷つけるものは許さない。 「本当にいいの?」  姉が心配そうに麗の顔を見る。 「うん、頑張って」  だから、麗はにっこり笑って頷いた。
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