四章

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 そうして一人になった麗は、折角なので間近で見ようと、当初の目的地である大学のシンボルの時計台へ一人向かっていた。  姉がくれた昼食代の千円を握りしめながら歩いていると、猫が三匹固まって日向ぼっこをしているのが目に入った。  近づくと、人馴れしているのか、猫は麗を見るだけで逃げない。  触ると流石に怒るかなと近くでしゃがみこみニヤニヤと眺める。 「にゃー」  麗は猫語で挨拶してみた。  しかし、何も起こらない。  もう一回。 「にゃー」  しかし、何も起こらない。 「麗ちゃん??」  やに下がった顔から真顔になって声の方向を見ると、姉の親友の須藤明彦が立っていた。彼もまたこの大学の学生なのだ。たしか、経済学部だったはず。  それにしても、女性を10人くらい引き連れている。構内であまり見かけなかった女性たちはここにいたのか。 「須藤先輩、こんにちは」  モテる事は容易に想像できていたが、それでもクラスメイトがきゃーきゃー言っている流行りのイケメンドラマみたいな普通ならありえない状況に若干引いてしまった事がバレないよう、麗は口角を上げた。 「こんにちは。麗音と待ち合わせかな? 大丈夫? 迷ってない? 麗音のところまで連れていこうか??」  明彦は麗の事を何歳だと思っているのだろうか。  視線を合わせるためにちょっと屈んでくれている。  姉の親友だけあって優しい人なのは確かであるが、完全に子供扱いされている。  佐橋の家は高校から近く、父はほぼほぼ帰宅してこず、継母もよく家を空けているため、姉の友達グループが時々溜まり場にしていたのだ。  それで家政婦さんが休みのある日、麗は姉に気が利くと誉められたくて、遊びに来ていた姉の客のためにお茶を用意して持っていった。  勿論、麗は自分が姉の恥になる存在だとわかっていたので、忍者のごとく、部屋の前に置いてノックだけして去ろうとしていた。  ところが、去り際に麗は姉に捕まり、明彦や明彦の妹を含む、姉の友達や後輩の前に連れ出された。  そして姉は「この子は新しくできた妹の麗。可愛がってやって」と、だけ言ったのだった。  何人かは戸惑い、どよめいたが、優秀な彼等は皆、訳アリの子だと察したのだろう、追求してこなかった。  思えば、あの日から麗も姉の横に座って彼らの遊びに参加させてもらうようになった。  明彦とはそれからの付き合いではあったが、これまで二人で親しく話したことはなかった気がする。 「ご心配ありがとうございます。でも、姉とはもう会えました。今から帰るところです」  明彦の後ろで麗をガン見している女性達の視線が刺さってきて痛い。 「一人で帰るの? 麗音は?」  明彦が訝しげな顔をしていた。 (そうや! 姉さんから須藤先輩は同じサークルに入ったと聞いたことがあるわ。ってことは、この人も日時の変更を知らないのかも) 「えっと、あの、姉が漆黒の闇夜っぽいファッションの人に嫌がらせされているみたいで……。それで、姉が楽しみにしていた会社の人のお話を聞く日の変更を内緒にしてた? 感じで、今かららしいんです!」  あやふやな情報を基にあやふやな事を伝えたが、どうやら明彦は理解してくれたらしく、頷いた。 「あー、あの人ね。ついに、そんなくだらない事までしたんだ」  明彦がやれやれとため息を吐いた。 「先輩は行かなくていいんですか?」 「大丈夫。俺は幽霊会員だから。それで、麗ちゃんはサークルに行った麗音に置いてけぼりにされたの?」  まるで、姉が悪いことをしたみたいな言い方に麗はムッとした。 「私が行ってって言ったんです。姉にはあんな人に負けてほしくありません」 「そっか、いい子だね」  明彦が笑って、麗の頭をよしよしと撫でてきた。小学生だと思われている気がする。  完全なる子供扱いに後ろの女性達の視線も優しくなった。 「昼御飯は今からかな? 麗音と食べる予定だったんだよね?」  明彦は麗が握りしめている千円を見ただけで、姉が昼ご飯代にくれたとわかったらしい。 (やっぱり賢い人は違うなー) 「はい、学食で昼御飯を食べてから帰ります」 「じゃあ、一緒に行こう。学食の場所はわかりにくいし、俺もまだだから」 「そんな、私のことはお気に……」  麗は断ろうとしたが、最後まで言わせて貰えなかった。 「それでは、先輩方。俺はこの子を案内するので、これで失礼いたします」  明彦が後ろの女性達に言うや否や、麗を連れて歩きだした。 (何や、女性達から逃げる口実にされただけか。なら、遠慮せんでええか) 「あの、姉はいつも嫌がらせをされているんですか?」  麗は姉の現状が知りたかった。  心配なのだ。姉のために麗に出来ることなどたかが知れているだろうが、いざとなったら偉い人の元へ直談判をしに行こうと思っていた。 「うーん、さっき麗ちゃんが言ってた人が、ちょっと嫌味言ったりはしていたけど、今回みたいなのは初めてかな」 「そうですか」 (どうやって復讐しようか。姉さんに嫌がらせするなんて絶対許さない……!) 「大丈夫だから落ち込まないで。麗音は意地になってるけど、あのサークルももう潮時だから、辞めて新しいサークルを作ろうって計画しているんだ」 「そうなんですね!」  麗がぱっと顔を輝かせるといい子、いい子とまた頭を撫でられた。 「ところで、学食は場所によってメニューが違うんだけど、麗ちゃんは何を食べたい?」 「学食って一個じゃないんですか?」 「生徒数が多いから一ヶ所じゃ賄いきれないんだよ」  確かに、こんなに大きいのに一つしかなかったら学食の店員はパンクしてしまうだろう。 「そうなんですね。でも、何でも美味しく食べれるので、場所を教えてくださったらそれで大丈夫です」 「わかった、じゃあ一番近いところに行こうか」  一人で食べれるもん。 と、言外に告げたことは明彦もわかっているはずだが、あくまで麗と一緒にいるつもりらしい。 「あっれ、須藤? お前、一緒に歩いているのが佐橋以外で女の子一人だけとか珍しいな。彼女? かわいいー」  いかにもチャラチャラした、髪を金に染めていてピアスを沢山つけている男性が、明彦に親しげに話しかけた。 「好きで女性に囲まれているんじゃない。それと、この子は麗音の妹の麗ちゃん」  羨ましー、俺も一回その台詞言ってみたい。と、尚も金髪の男性は明彦に絡んでいる。 「こんにちは。姉がいつもお世話になっております」  麗が頭を下げると金髪の男性もこんにちはと、頭を下げてくれた。 「目元が似てるね。美少女だ。さすが佐橋の妹。いくつ?」  麗はお世辞でも、姉と似ていると言われ嬉しく、満面の笑みを浮かべた。 「15歳です。今年高校に入学しました!」  麗は明彦にも聞こえるように大きな声で言った。  小学生ではないことを伝えなければならないからである。 「15歳? ますますかわいー。今日はどうしたの? 大学受験に向けての見学かな? 俺で良かったら案内するよ!」  金髪の男性が一歩近づいてきた。年齢を聞いてかわいさが増えるというのは、どういうことだろうか。 「まさか! 今ですら勉強はちんぷんかんぷんなので、ここを受験するなんて絶対無理です」  麗の頭では大学に行くなら私立になる。  そして麗はその費用を姉に出してもらうつもりはないので、高校を留年さえしなければいいと思っていた。 「そうなの? なら、連絡先教えるから、勉強でわからない事があったらいつでも……」  スパコーンと、明彦が金髪の男性の頭を叩いた。 「やめとけロリコン」  あ、やっぱり危ないご趣味の人なんだ。  そっと、麗は一歩引いた。 「誰がロリコンだ。俺もまだギリギリ10代だからセーフだろ」 「アウトだ、アウト。それと、この子は麗音が溺愛してるから、それ以上近づかない方が身のためだ」  麗が姉に溺愛されているという評価に、現金だが、麗は明彦の事がかなり好きになった。 「残念、佐橋を怒らせる気はねぇわ。そうそう、今、その佐橋からメール来たけど中二病の奴がまたやらかしたみたいだな。佐橋とつるんでる俺等にまで連絡してこねえとかやり方が陰湿だわ。確かこの前も……」  中二病と呼ばれたのはさっきの人だろう。あの人に姉は孤立するように仕向けられているのだろうか。 「おい! 麗ちゃんの前だ」  明彦が金髪の男性をどやした。 「あ、ごめん。大丈夫、大丈夫。大丈夫だよ。佐橋の奴、いつももすっげえやり返してんだぜ。中二病の攻撃がピンポン玉だとしたら、佐橋の仕返しは顔面にドッジボールくらい強烈だし。それに、俺も今から見学がてら佐橋に加勢しに行ってくるし。ね? ダイジョーブ!」 「……姉をよろしくお願いします」  麗は頭を下げた。お願いするしかない己の不甲斐なさに落ち込む。 「めっちゃいい子ー! やっぱり佐橋を怒らせてでも連絡さきっ」  また、スパコーンと、明彦が金髪の男性を殴った。 「麗ちゃんはお・れ・が責任をもって家まで送るから安心しろ。って、麗音に伝えてくれ」 「へいへい、りょーかい」  じゃあ行くわ、と金髪の男性が去っていく。  どうやら、麗が明彦に預かられるのは決定事項らしいかった。  
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