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デザートまでしっかり食べきり、満腹の麗は幸せな気分だった。
「美味しかったです!」
「うん、美味しかったね。いつもの進行なら、そろそろ一旦休憩している筈だから、麗音から連絡が来ているんじゃないかな?」
「そうなんですね、ありがとうございます」
麗が姉からお下がりしてもらった携帯を見ると、確かに連絡が来ていた。
約束を反故にした謝罪と、麗が明彦と一緒で安心したこと。明彦にお礼を言っておいて欲しいこと。
そして、上半身が黒ずくめの男に仕返しに恥をかかせたことが書いてあった。
麗が喜び勇んで明彦に報告しようとすると、明彦がお会計を済ませていた。
「あっお金! 私の分は払います」
麗が焦って財布を出そうとすると、頭を撫でられた。
「高校生の子からお金を貰う気はないよ。美味しそうに食べてくれただけで充分」
「……すみません、御馳走様でした。それと、姉が私の面倒を見てくださっている事にありがとうと伝えてほしいと書いていました」
この場で押し問答しても、勝てる相手ではないので、麗は帰ってから姉に奢って貰った事を相談しようと思い、ここは退くことにした。
「それと、あの人にやり返したとも書いてあったんじゃないかな?」
さわやかに訪ねながら、店を出るときに明彦がドアを開けてくれた。
麗の気がそれている間にお会計を済ませていたことといい、これがモテる男のエスコート力かと、戦慄する。
「書いてました! してやったそうです。流石、姉さんです!!」
麗はメールに書かれていた姉の活躍をウキウキしながら報告した。
「それは良かった」
姉からの勝利宣言に麗は歓喜して浮き足立ちながら歩いていた。
「君達姉妹は本当に仲が良いね」
「はい、姉さんがこの世で一番大好きです!」
「そうか、麗音は幸せだね」
多分、バス停に送ってくれようとしている明彦の顔を見た。
(あれ?)
麗は何となく明彦の表情に影があるような気がした。
「……明海先輩と上手くいっていないんですか?」
明彦の一つ下の妹の明海は、麗と同じ高校の三年生だ。美人で気配りもでき、生徒会役員でもあるので、何かと目立つ存在だった。
時折、麗を気にかけて話しかけてくれる優しい人だが、麗は何となく、本当に何故か何となく、苦手に思っていた。
もしかしたら、勝てっこないのに完璧な明海先輩に嫉妬しているのかもしれない。
「え?」
驚いた顔をしている明彦と目があった。
「あ、すみません、余計なことを言いました、ごめんなさい」
思わず聞いてしまったが、麗ごときが立ち入る問題ではない。
「いや、気にしないで。ほら、兄と妹だから趣味や考え方がどうしても違うみたいで、子供のころほど仲良く出来ていないだけで、確執とかがある訳じゃないから。こちらこそ、ごめんね。ビックリさせちゃったね」
バス停に着くと、麗が乗れるバスが近くまで向かって来ているのが見えた。京都のバスは多いのだ。
「……すみません」
麗は小さくなって頭を下げた。
「本当に気にしないで。ほら、バスが着いたよ」
「はい」
麗はお礼と別れの挨拶をして、バスに乗ろうと思ったが、何故か明彦が先にバスに乗り込んだ。
そうだ、明彦は責任を持って麗を家まで送ると言っていた。
行きは一人で来れたのだから、帰りも一人で帰れるはずなのだが、明彦はやはり麗を小学生だと思っているに違いなかった。
気まずい。誰が悪いかというと麗が悪いので、満員のバスの中で麗はじっとしていた。
「麗ちゃん、降りようか?」
「え? はい」
麗は目的地が京都駅だと思っていたので、それよりも前の停留所で降りることを不思議に思った。
麗が知らないショートカット方法でもあるのだろうか。
明彦が二人分と言って運賃を払ってくれて、下車すると、観光客や旅行に来た外国人、修学旅行生が沢山歩いていた。
人の流れに沿って歩いていくと、テレビで見たことがあるいかにも京都らしい坂が出迎えてくれる。
「人力車に乗りたい?」
明彦がお客さんを乗せて走っている車夫を見て、麗に聞いてくれた。
だが、高そうなので勿論乗りたくない。
「いえ、大丈夫です」
(もしかして、観光に連れ出してくれているのかな……)
明彦はサークルのゴタゴタで予定が変わったお詫びと言っていたが、姉の代わりに遊びにまで付き合ってくれるつもりなのだろう。
この場で断るのも失礼なので、そのまま行くしかない。
姉とはカラオケに行って、ウィンドウショッピングをする予定だったのが、京都観光という高尚な遊びに変更になってしまった。
「俺は初めて参拝するんだけど、麗ちゃんは行ったことある?」
麗は坂の一番上には大きなお寺があることをテレビで見て知っているだけで、寺の名前すら思い出せていない。
「いえ、初めてです。いっぱいお店がありますね」
「麗ちゃん」
麗はキョロキョロと土産物屋を見ながら坂を登ってしまい、明彦に名前を呼ばれて、止まっている前の人にぶつかりかけたことに気づく。
「すみません」
「色々とお店があって気になるよね。入りたいお店はある?」
「いえ、今のところは。あ、でも、姉さんとお母様にお土産買いたいです」
麗はつい癖でお母様と言って、しまったと思った。
父の本妻と愛人の子という関係性から、お母さんと親しげに呼ぶのは気が引け、苦肉の策でお母様と呼んでいたが、他人が聞いたら変である。
「なら、漬け物か八つ橋が定番かな。あと、有名な薬味の店なんかもあるらしいから、見つけたら入ろうか」
初めて会った時の姉の紹介の仕方からして麗の出生に後ろ暗いものがあることに明彦は気づいていたのだろう。
お母様発言を、別段気に止めた様子もない。
いや、もしかしたら須藤家では、お父様お母様と呼びがスタンダードという可能性もある。
「はい。須藤先輩は何か買いたいものはないんですか?」
「そうだね……。妹と恋人にお土産を買おうかな? 麗ちゃん、選んでくれる?」
麗は一瞬、恋人という言葉にギョッとした。
恋人がいるのに麗と二人で歩いて大丈夫なのか、と。
(まあ、大丈夫に決まっているか)
あら、友達の幼い妹の面倒を見てあげるだなんて優しいわね。ダーリン素敵! と、なるだけだろう。
「明海先輩は姉さんと好きなものが被っていらっしゃる事が多いので、お土産選びにはちょっと自信があります。ですが、須藤先輩の恋人さんはどんな方なんですか?」
麗は、お気に召す物を選べる自信など全くなかった。
「美人だよ」
そりゃあ、そうだろう。わざわざ言われるまでもなく、麗にはわかっていたことである。
人でごった返した観光地ですら明彦は目立っているのだ。その横に恋人として並ぶなら美人でないと精神的にキツイだろう。
「それに、頭もいい。バイリンガルなんだって」
「すごーい」
(パーフェクトカップルかよ、ケッ。羨ましい、いつまでも幸せに生きろ!)
麗が心の中で呪詛を吐いていると、明彦が続けた。
「あと、ピアノも得意らしい」
「流石ですね」
「それと、将来はアナウンサーになりたいそうだ」
「目標があるって素晴らしいです」
(おい、もっと何かあるだろう)
好きなファッションとか、食べ物とか、何なら惚気でもいい。
こんなことをしている時は可愛いとか。ふとした横顔にキュンとするとか。
これじゃあまるで履歴書だ。カタログでスペックを見ているようだ。
愛や二人の物語がない。
照れてるのか? と、思ったがそうじゃない。奴は大真面目な顔をしている。
恋人だよね? 私が夢見すぎなだけ? と、麗は混乱した。
「きっと、恋人さんは他所の小娘が選ぶより須藤先輩が一から選んで差し上げた方が、先輩の真心が伝わってお喜びになるのでは……?」
(何故私は、こんな少女漫画に出てくるヒロインの親友みたいなことを言っているのだろうか)
紆余曲折あって晴れて恋人同士になったアキヒコちゃんとビジン君。
それは、二人が付き合って初めて迎えるビジン君の誕生日。
人気者でモテモテでスポーツ万能で皆の王子様ポジションのビジン君と付き合えたものの、自分に自信のないアキヒコちゃんはビジン君の誕生日に何を贈ろうか、悩みに悩む。
そこで二人の恋をずっと応援してくれてキューピットもした親友のレイに相談する。
レイはアキヒコちゃんの背中をバシッっと叩き「あいつなら、あんたがくれたものなら何でも喜ぶって! 自信持ちな!!」と、笑って梯を外すのだ。
そうして、悩みに悩んだ末、アキヒコちゃんは手作りすることにし、当日の朝から焼いた誕生日ケーキと、何日もかけて作ったプレゼントを渡す。
プレゼントの出来はそこまでよくはなかった。
だが、ビジン君にはその心が嬉しかったので、「大切にする」と、笑って身につけ、そして初めてのキスを二人はするのだ。
(うん、こんなところだろう)
「手編みのマフラーとかどうですか?」
最早、麗は考えすぎて自分で自分がわからなくなっていた。
「うーん、ここで売ってるかな?」
明彦は深く突っ込んでこなかった。
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