四章

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「ただいま帰りました」  明彦に家の前まできっちり送ってもらい、今日のお礼を言ってから、麗は佐橋の家に入った。 「麗ちゃんお帰り。あら、麗音は? 一緒に遊びに行ったんじゃなかったの?」  麗がリビングに行くと、大学生になる年齢の娘がいるようには見えない色白で美しい継母が出迎えてくれた。  継母はいつだって麗に優しくしてくれる。  姉に初めてこの家に連れてきてもらい、住まわせてもらうことになった時に、正妻である継母にどんな風に罵られるかと戦々恐々としていたのに、拍子抜けしたほどだ。  だが、麗はいつも継母といると、昔、テレビで見た慈愛に満ちた修道女の「愛の反対は憎しみではない、無関心だ」という言葉を思い出す。  こんなに美しい妻がいるのに、父が愛人を作る理由には麗でも察しがつくくらいには、継母は父に一切興味がなかった。  継母は姉曰く、没落した旧華族の令嬢で、家柄目当ての祖母と援助目当ての継母の親の間で利害が一致し、継母の親の命令通りに父に嫁いだそうだ。  子供を産んだ後は自由とばかりに趣味に精を出し、家事はお手伝いさんに任せ、料理教室に通ってはいるが、あくまで趣味で家族のためではない。  姉の事は愛しているようだが、継母は父に対して常に無関心だった。  まさしくATMと言っていい。父に愛人がいようが、愛人の娘が登場しようが、また新しい愛人を作ろうが、一切気にも止めていない。  愛人の娘の麗に対しても、関心を抱く対象ではなく、ただの他人だから優しくされているように感じる。  だから、麗は常に煩わせないように早々に自分の話を終え、興味を持ってもらえる姉の話をするようにしてきた。 「姉さんは、サークルの用事が出来たので、今日は別行動になったんです」 「あら、あの子ったらドタキャンしたの? ごめんね」  継母は手を頬に当て困った子だわと、ため息をついた。 「いえ、姉さんのせいではないことだったので。それに、その代わり姉さんの親友の須藤先輩が遊びに連れていってくださいました」 「ああ! 須藤君ね。麗音とお似合いだと思わない?」  確かに、美人の姉と端正な顔立ちの明彦が並ぶ姿は絵になる。  同じ大学で学び、親友と呼んでいるほど親しいため、姉がレズビアンだと知っていても、期待してしまう気持ちもわからなくはない。 「そうですね。ですが、こればっかりはどうにもできないことです」  姉は自身がレズビアンであることを、父以外には隠していない。  だから当然、継母も知っていた。 「そうそう、お母様にお土産を買ってきたんです。須藤先輩オススメの七味です」  麗が小さな紙袋を渡すと継母がこれ好きなの。と微笑んだ。 「東山の方まで行ったのね」  継母は舌が肥えているだけあって、七味を見ただけで、何処に行ったかわかったようだ。 「はい」  ふと、明彦に言われた、周りを見てみるといいというアドバイスを麗は思い出した。  いつもの麗ならば、この後、自分の話は早々に切り上げて、姉の話をするだろう。  姉が大学でどれほど目立っていたか。構内に姉ほど美しい人はいなかったと、継母に報告し、姉の素晴らしさを褒め称える。 「初めて参拝しました。本堂の見物以外にも恋占いの石に挑戦したり、お寺の周辺を散策したりしてとても楽しかったです」  麗はお前に等興味がないと切り捨てられないか、自分の話をしながらドキドキした。 「良かったわね。生八つ橋は食べた?」  継母が話を繋いでくれたので、麗は密かにほっとした。 「はい、試食がいっぱいあったので食べ過ぎてしまいました。お母様は今日は何をされましたか」  麗が継母に質問すると、継母の顔がパッと輝いた。よくぞ聞いてくれた、といった表情だ。 「新しい習い事を始めたの。ヒップホップダンスよ」 (ヒップホップ……? hip hop!)  麗の頭の中で、ヘイヨー! ヘイヨー! と、アメリカの下町の少年たちが手をチェケラして踊っている。  継母は名家出身のご令嬢だから、日本舞踊やバレエや社交ダンスはもう習得済みのため、新しい事にチャレンジしようと思った結果、hip hopに行き着いたのかもしれない。 「楽しそうですね! 運動は健康のためにもいいですし。ムーンウォークとか練習するんですか?」 「ムーンウォークはちょっと違うジャンルらしいの。私が今日習ったのはこんな感じよ」  継母がステップを披露してくれた。多分、ボックスというやつである。中学の体育の授業で習った。  しかし、運動神経の悪い麗は一歩一歩踏みしめてしまい、いつも一拍遅れてしまった覚えがある。 「お上手です」  やはり、姉の母親だけあって、継母は何でも器用にこなす。  継母が多趣味なのは、すぐに会得してしまい、飽きてしまうからだろう。 「あと、ランニングマンも習ったわ」  継母がやって見せてくれたので、麗も真似をした。  やっぱり下手だったようで、姉が帰ってきて、二人して何やってるのと呆れるまで、麗は継母に手取り足取り教えてもらったのだった。  
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