五章

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五章

 麗は洗濯物を洗濯機から取り出しつつ思い出に微笑んだ。  神社で明彦に言われたアドバイスを受け入れてから継母とは随分親しくなった。  継母は継母で、なさぬ仲の麗に怖がられていると思って遠慮していたらしく、互いに切っ掛けを必要としていたのだ。  それに、何より、明彦に可愛がられるようになったことも麗には嬉しかった。  新しいサークルの計画や姉と共同で何かのアプリを作ったりと、明彦はよく佐橋の家に来た。  そういうときに、麗がお茶菓子を出しに行くと、決まって明彦に捕まり、横で勉強をさせられるようになったのだ。  そして段々と親しくなり、麗と呼び捨てされるようになり、麗もまたアキ兄ちゃんと呼ぶようになった。  元来、明彦は面倒見のいい人、というより人の面倒を見たい、頼られたい気質なのだと思う。  妹の明海を構えない分、麗を構って憂さを晴らしているようで、本当の妹のように扱ってもらっていた。  麗にとって明彦は口煩いが優しいお兄ちゃんだった。  女性との付き合いが長続きしないことには、麗は男としてではなく兄として明彦を見ていたので、呆れ半分からかい半分だった。 (だけど、今は?)  麗は掃き出し窓の前で洗濯かごを持ったまま手を止めた。 「とりあえず、先干そ」  結論を後回しにし、夜だが、洗濯物が溜まっていたので仕方ないと掃き出し窓を開けたときだった。  ビュオオオオオオオーーーー    ものすごい風だ。さすが高層階。  ここで洗濯物は干せない。  干せば、もれなく飛んでいった洗濯物を追いかけて裸足で駆けてく陰気な麗さんになってしまう。  広いベランダを見渡すも、珍しい取っ手付きの非常壁しかなく、そもそも物干し竿すらないのだ。  どうしたものか。  明彦の洗濯物を自分の洗濯物と混ぜていいのかちょっと悩んだが、一緒に住んでる上、好きだと言われたから嫌がられはしないだろうと、節水を選んだ。  だからずっしりと重い洗濯かごを手に麗は立ち尽くした。 「ただいま」  後ろから明彦の手が頭に乗った。  風の音で明彦の帰宅に気づいてなかった。出迎えられず、ちょっと申し訳ない。 「お帰りー、この家、洗濯物干すところがないんやけど、どうしたらいい?」 「洗濯機に乾燥機能ついてるだろう? 風が強くて危ないからあまりベランダには出ないように」 (ぶ、ブルジョワジーめ)  外で干せばタダだというのに、さすが金持ちである。 「わかった。じゃあ乾燥させてくるわー」  そうして振り向いた麗を明彦が見たが何も言わなかった。 (仕方がない。男の人が妻や恋人が髪を切ったことに気づかないものだ。って、テレビで言ってた)  ガッカリしたが勝手に期待したのは麗なので、明彦に責任はない。 「使い方わかるか?」  一人納得していると、明彦は顔を洗濯機のある方向に向け、一度麗を見て、また洗濯機の方を見て、直ぐ様、麗を見たた。  二度見というやつである。 「今日、時間があったから化粧品買って、美容院に行ってみたの。……変かな?」  麗はカット1500円(シャンプー代別)の安くて早い美容院の常連だったが、今日のお店はとてもいい値段がした。  結果、肩甲骨辺りまであった髪が肩の上まで切られ、染めたことのなかった黒髪も会社の規則で許されるギリギリの茶色になった。  更に、明彦が帰ってくるまで風呂に入らず待っていたので、化粧品の販売員にメイクを施してもらったままだ。 「似合ってる、ますます可愛くなったな。折角だから週末に新しい服でも買いにいこう!」 「ありがとう」  思っていたよりも熱烈な対応に、麗はちょっとうれしくなった。  だが…… 「もしかしたら、ちょっとだけ化粧が濃いかもしれない。ちょっとだけな。ほんとちょっと。それ以外は完璧。可愛い」  明彦が麗に化粧が濃いことを伝えるためにかなり気を使っている。よっぽど濃いらしい。  疲れて帰ってきたのに申し訳ないことをしてしまった。 「ところで、この匂い、夕飯を作ってくれたのか?」 「うん、一応」  帰りにスーパーに寄り、夕飯を作ったが、そもそも明彦は食べるだろうか。どこかで食べているかもしれない。  それに、食べてくれたとして麗の手料理が口に合わなかったらどうしようか。  佐橋の家にいたころは、趣味で料理教室に通っている継母が教わった料理の復習をするために、その日に習った料理をそのまま麗に教えてくれ、そのときは料理教室で教えているだけあって、出汁は一からとっていた。  だから姉と二人暮らしをしていた間は麗は休みの日にまとめて出汁をとって冷蔵庫に保存していた。  しかし、今日はそれだけの気力も時間もないので、ちょっと奮発して高いものにしたが、市販の出汁を使った。  あと、慣れない台所で、火加減も少し失敗した気がする。多分、まだじゃがいもが硬い。 「あ、でも、無理に食べんでも……」 「食べる、絶対食べる。裸エプロンで出迎えてくれた新妻が作った夕飯、食べないわけがない。あれだろ? ごはんにする? お風呂にする? それとも私? ってやつだろ」 「へ?」  突然のセクハラ発言に麗は困った。 (裸エプロン……?)  ふと、自分を見ると部屋着に使っている服は短く、その上から首元までしっかりある割烹着をつけているので、足元の肌が露出していて、成る程、裸エプロンに近い。  とはいえ、割烹着は白でフリル一つ付いていない。そもそも割烹着だし。完全に言い掛かりである。  もし、裸エプロンか否かを裁判で争っても、裁判長は麗を勝たせてくれる筈だ。 「明彦さん、疲れてるみたいやね。先お風呂入ったら? でもまだ掃除でけてへんから、ちょっと待ってて」  敗者をいたぶる趣味はないので、麗は無視することにして、風呂場を掃除をしに行こうとした。 「しなくていい。月曜日はハウスキーパーが掃除しに来てくれている」  流石、お金持ちである。 「そうなんや、じゃあ沸かそうか?」 「いやいい。先に夕飯を食べるよ。風呂は後で沸かしてくれるか? それで、濡れるといけないから全部脱いだらどうだ?」 「脱ぐのは割烹着だけにしとくわ」  明彦がもし、与党の政治家ならば野党とマスコミから責められて問題発言で辞職勧告をされているレベルのセクハラ発言を麗はスルーした。  きっと、マスコミは割烹ぎ員というあだ名をつけるだろう。  麗がぱっと割烹着を脱ぐと、明彦がぐっ、と唸った。 「麗は俺に新しい特殊性癖でも身に付けさせたいのか?」 「え、なんで?」 「俺はこの家で高校の体操服を見ることになるとは思ってもいなかったよ」  左胸に校章、中央に佐橋と大きく書かれた体操服は同じ高校出身の明彦には懐かしいものだろう。 「体操服って偉大だよね。部活やってる子達のために丈夫に作ってあるから未だに使えるもん」  麗は部活はやっておらず、帰宅部だったため、高校を卒業時にも体操服を使い込んでいなかった。  それに、体型も悲しいことに胸とか胸とか特に胸とかが、ほとんど変わっていないため、現役で体操服を着る事ができるのだ。  引っ越しのときに出てきたので丁度いいと部屋着にしていた。 「未だに使えるからって未だに使うなよ……」  明彦が額をもんでいた。  実は、割烹着も高校の調理実習のときに姉が使ったものを、入学とともにお下がりしてもらったものだったりもするが、言わないことにした。 「なんか、ごめん」 「いや、いい。先に食べるから着替えるよ」 「わかった。じゃあ準備するわ」  お腹を空かせているなら待たせるのも悪いので、麗が台所に戻ろうとすると、明彦に腕を捕まれ、振り向かさせられた。  そしてそのまま、頬に唇があたる。 「ただいま。帰宅したら一番最初にしなきゃいけないのに忘れていた」  これはただいまのチューだ。  麗は、最近は何度もキスされていたので慣れていたつもりだったが、完全に油断していたので、一瞬固まってしまい、苦し紛れに口を開いた。 「帰って一番最初にせなあかんのは手洗いうがいやと思うねん」 「……悪かった」  だが、それは明彦にとっては痛恨の一撃だったようで、明彦はすごすごと洗面台に向かったので、麗は久々の勝利を噛み締めた。
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