最終章

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最終章

「カンパーイ」  高らかに上げられたグラスに追随し、カウンターから身を乗り出して麗はグラスを持ち上げた。  森田がビールをゴクゴクと飲み干していく。  いい飲みっぷりだ。麗はママお手製のポテサラを出した。  塩からく作ってあるそれは酒のつまみにちょうどいいとお通しとして評判の一品だ。 「今日もお仕事お疲れ様でした」  森田は各地を転々とする仕事らしく、今はこの街にいるが、いずれまた出ていくらしい。  ちょうど麗がこのスナックで働き出した日に初来店し、麗を気に入ってくれたらしく毎日来てくれている。 「さてと、うららちゃん、一曲入れてくれる?」  うららというのは、麗の源氏名だ。  とはいえ、麗は一応、ホステスではない。  キッチンのアルバイトということになっている。  服装は地味で白の長袖シャツに黒いパンツに黒のエプロン。  だが、客と会話はするし、お酌もするし、カラオケにノリ、ときたまデュエットもする。  ほぼほぼホステスと変わりないが、カウンターから出て客の隣に座ることはママに禁止されている。   あんたは一回ホステスになったらそのまはまずるずるとキャバクラ、セクキャバ、風俗と流されるままどこまでも行きそうだからと。 「今日は何を歌われますか?」  麗はカラオケのリモコンをピピピと弄った。  ママの年齢からして客の年齢も総じて高いこの店は、若い麗に機械をいじってもらったほうが早く歌えると考えている客が多いのだ。 「うーん、うららちゃんは何がいい?」 「森田さんといえば、やっぱりアイドルソングですよね。この前も大盛り上がりでしたし。いよちゃんはどうです?」  昭和の女性アイドルの曲をノリノリで高らかに歌い上げた森田に店内はやんややんやの大騒ぎになったのは記憶に新しい。 「じゃあそうしようかな。うららちゃんはほんと、若いのに詳しいね」 「テレビっ子なので、なつかしの昭和歌謡特集とかよく見るんですよ」  麗の言葉に森田はわざとらしく悲鳴を上げた。 「やめてぇ、懐かしのって枕詞はオジサン傷つくよぉ〜。でもそっか、うららちゃんは昭和って生まれてもいないくらいかな?」 「いやいや、流石にうそだろぉ? 昭和長かったし」 「俺の中で平成生まれってまだ未成年なんだけど?」  森田の隣りに座っていた客たちが話に入ってきた。 「成人済みの平成っ子です。残念ながら、令和じゃないですよ」 「ええ、平成ってもうこんなに大きいの、うそだろぉ」 「そりゃ俺も年を取るわ」 「若いっていーね。輝いてる」  隣の客は森田とは面識がないはずだが、ここは初対面の相手でも昔からの友人のように会話する人が多く、昭和はああだったこうだったと麗に語る。  そのどれもがテレビで見たことがある話ばかりだったが、麗はええー、うそーと、相槌を打った。 「因みに私も平成生まれだよ」  このカラオケスナック綾乃の綾乃ママがひょいと話に入ってくると、どっと店内が沸いた。 「流石にサバ読みすぎ」 「ないないないない」 「無茶が過ぎるよ、ママ」  そうこうしているうちに、イントロが流れ始めたので麗は森田にマイクを渡した。 「それでは、皆さん、森田さんが16歳の乙女の失恋旅行をしとやかに歌い上げます! 盛大な拍手をおねがいします!」 「だいぶ慣れてきたね」  閉店後、皿洗いをする麗にカウンターに座って、タバコを吸いながら会計作業をしているママが声をかけてきた。 「え! ほんとに? 嬉しい!!」  麗が顔を上げて目を輝かせる麗にママは軽く笑った。 「お客さんのタバコに火をつけようとしていっこうに上手くできなくてお客さん自身でやってもらった後、ライターの付け方をじっくり教えてもらった時よりかはね」 「だって、ライターって固かったんだもん」 「だもんじゃないわよ、全く。まあ、そういうおぼこいところがウケてるからいいけどね。でも、早いとこ卒業するんだよ。いつまでもは置いてあげないからね」 「……はい」  麗が勤めて一ヶ月経っていた。  この店はママの家庭料理と毒がありながらも楽しい会話を求めてやってくる客の殆どが中年以降のおじさんだ。  だからだろうか、皆、麗のことは女としてではなく娘に見えるようで、セクハラ的な発言をされることは少ない。  何ならこの前森田が、うららちゃんがいるんだから、下ネタはやめようと言い出してほとんどの客が賛同してたくらいだ。  ありがたいが店としてどうなのだろうかと申し訳なく感じたりもする。  森田はしきりに年寄りアピールをしてくるが、UFOキャッチャーが趣味らしく、麗とママにぬいぐるみをくれた。  一つはカウンターの端に飾っており、一つは持ち帰った。  どちらもしっかりした作りで今どきの景品は優れている。  勿論、大切に飾っていた。  気まぐれだろうが、麗なんかを気にかけてくれたのだと思うと嬉しかったから。  嫌なお客さんがいないことはないが、一体何のためかわからない判子を押し続けたころよりずっと楽しい。 「ママ、拾ってくれてありがとう」 「感謝してここにいる間はしっかり働きな」 「はーい」  麗は皿洗いを終え、掃除を始めた。
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