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one
「まぁ仕方のないことだろう。俺も本国に帰るつもりはないし」
彼が渋い顔をしながらパソコンの前に座っている。
「幸いパソコンがあればできる仕事だからな。協力してもらうしかない。現場の従業員には我々以上にきちんと補償をしなくてはならないから、予算の見直しをしよう。どこへいくら寄付するのか見通しは立っているか? まとまり次第報告してほしい」
その表情は完全に仕事場のそれそのもので、パソコンに取り付けられたカメラを強く睨みつけていた。
俺はというと、カメラに映らない程度の距離を保って、彼の百面相ぶり……もとい仕事ぶりを眺めている。
やんごとない事情で、日本のみならず世界中が生活行動止めようとしている今。世界を股にかける彼の仕事ももちろん例外ではなくて、同業他社や各国の政府と連携をとり、この状況を打破しようと賢明に取り組んでいたわけだ。彼のその仕事ぶりは連日テレビで報道されるほど一挙手一投足が注目されていて、俺としても本当にこんなすごい人が俺の夫でいいのだろうかと気が引ける部分もあった。やりとりの大半は海外とだから、通訳としての俺の仕事もなくて、1日の大半を書斎のパソコンの前で過ごしている彼のために、パンを作ったり身の回りの世話をしたりと執事みたいなことをやっていたのだった。
この騒動で、うちに来てくれていたお手伝いさんも来られなくなった。その分、俺が出来る限りの家事を引き受けている。出来る限りっていうか実質仕事にあぶれてる状態だから、家事くらいしかやることもないんだけど。俺自身はたまに後輩やカノジョとグループで電話をしたり、家の中のジムで運動したり、風呂入ったり映画見たりとそれなりに息抜きをして過ごしている。もともとインドアでそれほど趣味もない性格が幸いして、それほど苦でもなく生活している。
俺なんかより、彼の体が心配で仕方なかった。
「ハニー、気を遣わなくて大丈夫だ、俺はお前がそばにいてくれればいいんだから」
「俺は元気だ、ちゃんと食事も取れているし、家の中で運動も出来ている。お前の心身の様子のほうが心配だ」
いつも笑顔でそう言うけど、その表情も疲れていて見られたもんじゃない。ひどいとそのまま倒れるみたいに寝てしまうから、体調を崩さないか本当にヒヤヒヤしている。
「俺なんかどうでもいいんだよ、お前と出会うまで適当に生きてきたんだからなんとでもなるし」
ベッドで微動だにせず眠る彼の隣で静かに囁くことしかできない。
「お前は世界の人に期待されてるんだから、ダメなんだよ、心も体も体調崩したら」
俺が彼くらい仕事の才能があって、きちんと彼を支えることができたなら。彼と出会う前、適当に一人で生きてきたときには一度も感じたことのなかった感情だった。自分なんかより大切で、心配で、とにかく守ってやりたくて。
(俺も人らしい気持ちがあったんだな)
なんてのんきに思っている場合ではないんだけど。
ベッドで必ず俺に抱きついてきて心底安心したように微笑むのだけが、彼の気持ちの表れというか、本当に俺を思いながら働いてくれているんだと強く感じる瞬間なのだった。
そういう日がいつまで続くのかわからず、悶々としていたある日のこと。どのくらいぶりか、彼が「少し休む」と言った。
書斎から出てきた彼は、Tシャツの緩い首元をネクタイを緩めるみたいに掴んで息を吐いた。待ってましたと言わんばかりに彼をねぎらう。
「休め、ちゃんと休め、今なんか飯つくるから」
ボクシングの選手とセコンドみたいだった。慌ててキッチンに向かおうとしたのを、彼の手が俺の腕を掴んで引き止める。
「料理も嬉しいが、先にお前を抱かせてほしい」
「はっ?」
「お前が足りないんだ」
そのまま一気に抱きしめられる。かすれた声が耳について、背筋を痺れるような快感が襲う。
「ちょっ、落ち着け」
リビングで立ったまま首筋にかぶりついてこられて、そう言うのが精一杯。けれど疲労のせいなのか欲求が急いているせいなのか、彼は一気に俺を抱き上げて、構うことなく寝室に連れていく。
「話と食事は寝室を出てからたっぷり堪能する」
「待ってっ、あっ」
ベッドに投げ出されて、そのままろくに声も出せないまま服を脱がされて。
ろくに会話もせずひたすら体を貪られた結果、抜かずに3発も中に出されて、やっと落ち着いてくれた。
「もー……むり、飯つくれない……」
しかも終始鬱憤晴らすみたいな強い突き上げ方で、完全に腰をやられた。
「すまないっ、俺も自分自身がこんなに発情しているとは思いもしなかった……」
我にかえった彼はベッドで動けなくなってる俺の隣でオロオロしている。別に彼になら強引にされてもいいんだけど、今は急すぎてちょっと体が追いつかなかっただけで。
「いや……スッキリしたんならいいけど」
ベッドに突っ伏したまま言う。彼は隣でオロオロしたまま、本当にすまないと繰り返していた。
「まぁ、ちゃんとシてなかったもんな、忙しくて」
軽く振り返ると、彼はゆるく頷いた。
「ああ。セックスしていなかったわけじゃないが、正直事務的というか、日課をこなすような感じだったからな」
そう、本当にそんな感じ。1日の終わりの行事的な感じで体を重ねていた感じ。気持ちよくなかったわけじゃないけど、俺も淡々とこなしてナンボみたいな感覚があった。
「今は外に出られるわけじゃねぇし、刺激もないしな」
どんなに豪華なマンション住まいをしたって、見慣れた家の中でじっとしていたマンネリにもなろうというもの。まして彼は仕事も抱えている状態だから余計に。
枕に顎を預けて腹這いでのんびりしていると、突然彼が隣に腹這いになって、ハニー、刺激がほしいなら!と声を弾ませた。
「刺激がほしいなら、一つ案があるぜ」
「は?」
刺激がないとは言ったけどほしいとは言ってない。何度か瞬きしながら彼の顔を見た。彫りの深い顔に笑い皺がさらに深く刻まれている。
「もっと早く気づけばよかった、俺としたことが」
「なんだよ」
「まぁ聞いてくれ」
彼はニンマリ微笑んだまま、俺に耳打ちしてきた。
「はぁっ? そんなことするわけねぇだろバカ!」
「しかし今はこれ以上の刺激はないだろう?」
「そういう刺激がほしいわけじゃねえって! そもそも刺激を欲してねぇんだけど!?」
何言ってんだコイツ!耳に囁かれた言葉がとても信じられなくて顔が熱くなる。彼は俺に対するプレゼンテーションを開始した。
「いいかハニー、考えようによっては、今しかできない、今だからこそできるプレイだとは思わないか? ハニーは顔を出す必要もないし、声だけ堪えてもらえれば」
「それが無理なんだっつーの!」
「そこを乗り越えてこその新たな快楽だろう、そうは思わないか?」
1つの話題に対する見解が違いすぎて話が合わない。こういうのも強引に自分のペースにしちゃうのが彼だった。
「絶対声出るっ」
唇を尖らせると、すぐに彼の唇が重なってくる。
「それを我慢するお前の顔はさぞかし艶っぽいだろうな」
うっとりした顔でそんなこと言われると、拒み続けるのも悪い気がしてくるし。彼は全然引く気がないし。むしろこの状況下でどれだけ関係を楽しめるか模索する一環として提案しているかのようにも見える。
日々頑張っている彼の助けになるのなら……。なんてこんなめちゃくちゃな願いを叶えてもいいかななんて気持ちになってしまう。
「なら、ダメならすぐにやめてもらって構わない。それでどうだ? 絶対に最後までやり抜いてほしいとは言わない」
そして最終的にやる方向に話をもっていかれた。うまいよな本当。選択権は最後の最後にしかない感じに持っていくし、惚れた弱みか俺も悪い気しないし。
「わかった、じゃあお前の声しか聞こえないようにセッティングしてくれたらいい!」
結局妥協点を見つけたつもりで、彼の要求をそのまま飲むような格好になったのだった。
「お前の声が漏れないようにということか?」
「そうだよ、絶対出ちゃうからせめてそのくらいしてくれたっていいだろ」
彼は俺がそうやって恥ずかしがる様を楽しむように、じっと俺を見つめてくる。俺は目を泳がせながら交渉のカードを切ったつもりだけど、そんなの交渉のまな板の上でなんの切り札にもなりゃしないのに。
「ああ、お前がそうしてほしいというなら、もちろん願いを叶えよう」
本当の願いは彼の提案に乗りたくないっていうことなんだけどな。っていうかちょっとランプの魔人ぽい言い方なのなんでなんだよ。いろいろ言いたいことはあったけど、恥ずかしさの方が上回って声が出なかった。
「じゃあ早速、明日の会議で頼む」
言いながら微笑む彼は、ここ最近で一番イキイキと、そしてキラキラとした顔をしていたのだった。
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