容疑者、有坂涼子

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容疑者、有坂涼子

 公園のベンチの上に、死体はあった。  朝から小学生もすぐそばを通っていたが、顔を含む上半身に新聞紙を被っており、寝ているのかと思っていたらしい。ここで時々、酔った人が寝ている事があるそうだ。  しかし風で新聞紙が外れ、顔色のおかしさと目を見開いて微動だにしない事から、死んでいるとわかって慌てて通報して来たという。 「花井健次、26歳。住所はこの近所ですね」  免許証を革のジャンパーのポケットから引っ張り出して、晴真が読み上げる。  と、野次馬の中の主婦らしき2人が、 「あの人よ、間違いないわよ」 と言い合っているのが聞こえた。  離れた所に呼んで話を聞くと、2人は夜にダイエットのためにウォーキングをしているらしい。それで昨日の夜9時頃にこの公園の前を通りかかった時、若い男女がもめているのが見えたそうだ。どうも、男が女に付き合えとか家に来いとか強引に誘い、女が嫌がっていたという。  通り過ぎてから振り返ると、女の方が公園を出て行くのが見えて、男が振られたんだなあと思いながら、2人はウォーキングを続けたらしい。 「その女というのは、どんな女でしたか」 「若くてスラッとしてて、髪が長いストレートで、ベージュのコートに黒っぽいブーツだったわね」 「ありさかりょうこせんせ、って呼ばれてたわ」  それで、全員が一斉に顔を上げた。 「間違いなく?」 「ええ。『あ・り・さ・か・りょう・こ・せ・ん・せ』って」  刑事達は、顔を見合わせた。 「身長はどのくらいでしたか」 「そんなのわかんないわよう」 「そうよ。大人の背丈としかわかるもんですか」  礼人は彼女達に礼を言い、 「とにかく、目撃証言が出た以上、調べないとな。俺と仲間で監察医務院に行く。倉本と永井は付近のカメラを探して、坂本と飯山は――」  普段通りに捜査を割り振り、各々散りながら、ざわついたものを無視できないでいた。  涼子は真顔のまま、静かに言った。 「なるほど。同姓同名の人物はいるでしょうが、先生と呼ばれる職業というのも同じといえば範囲はせばまりますね」 「はい。すみません」  晴真は肩を落とし、しゅんとして謝った。 「いいえ。お構いなく」 「それで、昨日の午後9時頃はどこで何をしていましたか」  礼人が訊く。 「解剖結果に納得できないというご遺族が見えたので、所長と一緒にお話をさせていただいていました」 「え。先生の解剖に異議を?」  晴真がいきり立つ。 「いえ、死亡時刻を今日の零時を過ぎてからにしてくれと」 「ああ。遺産とかそういうヤツですか」  礼人が察した。 「はい。できないと言っても、いくら欲しいんだとか色々。まあ、結局は諦めて帰られましたけど」 「大変ですねえ」 「よくあることですよ」  涼子は言いながら、それでここに解剖の話が来なかったのだと合点がいった。  所長に話を聞いてもその通りで、ついでにグチまで聞かされた。  そして公園付近の防犯カメラを見ると、遠目には涼子に似た女ではあるが、顔まで映っている映像では別人だと確認された。 「まあ、似てますねえ。名前も同じだし」  1人が感心する。 「いや、似すぎてないか?いくら顔は似てないとはいえ、同じ名前、同じような服装だぞ」  礼人は、胡散臭いものを感じていた。 「まさか、先生をかたった偽物?」 「その方が納得できます!」  晴真が力強く同意する。 「よし。被害者と有坂先生の周囲を調べて、事件前の足取りを追う」 「はい!」    礼人が駅からマンションに向かって歩き出そうとした時、涼子と会った。 「昼間は失礼しました」 「いえ。当然のことです」 「今お帰りですか」 「はい。森元さんもですか」 「いえ。私は着替えを取りに」  それで、また一緒に歩き出した。会話はそれで途切れる。  と、その背中に声がかかった。 「あ、有坂先生!?」  振り返ると、少し離れた所に若い男がいて、こちらに小走りで近寄って来ながら話しかけてきた。 「良かった。時計の修理ができたんですけど――あれ?」  そばまで来て、キョトンとした顔をする。 「何のお話でしょう?」 「え、あ、すみません。人違いでした」  彼はバツが悪そうな顔で頭を掻いて、踵をかえそうとした。 「待ってください」  礼人は引き留め、警察バッジを示した。 「そのお話を詳しく聞かせていただけますか」 「は?はあ」  彼は目を丸くして、頷いた。
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