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「その顔どうした。近頃の警官は顔に絆創膏を貼るのが流行ってるのか」
ジョーは含み笑いしている。
「流行りでこんなもん貼るかよ」
トミーは憮然としながら舌を打った。
「怒るなよ。わかってるって。クソ生意気な同僚と殴り合いで対決。図星だろう。俺も刑事だった頃はしょっちゅうさ」
偽パトカーは川沿いから離れてチャイナタウンへと向かった。やがて、前方を走行する水色のロールスロイスが見えた。2ドアクーペのカマルグだ。ピニンファリーナによる上質なフランス風デザインを取り入れた高級英国車。
「あれだ。ロールスロイスの超高級2ドア車。ハロルド・ルイの愛車だ」
偽パトカーはロールスロイス・カマルグの後方にピタリとつけた。ロールスロイスを運転しているのはハロルド・ルイ。助手席にいるのは用心棒のニッキー・ヴーに違いなかった。
「ハロルド・ルイか。手強そうだな」
ジョーは低く唸った。
「なぜそう思う」
「運転を他人まかせにしていない。大抵の大物は運転手の役目まで用心棒に押しつけがちだ。いざ敵に襲撃されたとき用心棒の両手がハンドル操作で塞がっていると効果的な反撃が出来ない。結果として雇い主は命を落とす。だが、ハロルドはそういう間抜けな連中とは頭の中身が違うようだな」
ジョーは愉快そうに笑っている。
「何がおかしい」
「おかしくて笑ったんじゃない。嬉しくて笑ったんだ。手強い奴を相手にするのが楽しくてたまらないんだ」
ジョーはそれっきり口を閉じて、運転に集中した。
ロールスロイスはクルマの流れに沿ってゆっくりと走行している。偽パトカーは間にクルマを二台挟んでロールスロイスの後に続いた。
ロールスロイスはブルックリン橋に乗った。片側三車線の真ん中を安全速度で走行している。
「準備はいいかトミー。行くぜ」
偽パトカーはロールスロイスの後方にピタリとつけてから、紅白二色の回転灯を光らせた。さらにサイレンを短く鳴らした。
ロールスロイスは右に寄せようともしない。真っ直ぐ走り続けている。
ジョーは拡声器のマイクをつかんでそれを口許まで持ち上げた。
「水色のロールスロイス。右に寄せて停車しろ」
拡声器を通したジョーの声が、橋の上に轟いた。ジョーの声は堂々としていて、職務に実直な警官そのものだった。
ロールスロイスは方向指示器を点滅させ、右に車線変更した。偽パトカーも同じように右に車線変更した。
ロールスロイスの赤いブレーキランプが点灯した。ロールスロイスは減速し、やがて右車線の端に停止した。偽パトカーはロールスロイスの十ヤード後ろに停車した。
ジョーは再びマイクを握った。
「左右の窓をいっぱいに開けろ」
拡声器を通したジョーの緊迫した声が響く。
「エンジンを停止しろ。エンジンキーを抜いて車外に捨てろ」
ロールスロイスの運転席の窓から左手が伸びて、エンジンキーが路面に落ちた。
「両手をゆっくりと窓の外に出せ。ふたりともだ。ゆっくりとだ」
ロールスロイスの左右の窓から、合計四本の手が伸びた。
トミーとジョーは顔を見合わせて、軽く頷きあった。ふたりは同時に偽パトカーから降り立った。
風が吹いていた。
風に吹かれながら、トミーとジョーはロールスロイスに向けて慎重に歩み寄った。
橋の上は地上に比べて風が強かった。遥か眼下の水面が陽光を反射して揺れている。
トミーとジョーはロールスロイスの左側の運転席の脇に並んで立った。車内を見下ろすと、窓の外に両手を垂らしたハロルド・ルイが上目遣いでトミーを見上げていた。助手席のニッキー・ヴーは反対側を向いているから、トミーとジョーには彼の顔が見えない。
「どうやら私を知らないようですね」
ハロルドは窮屈な姿勢のまま、涼しい顔でトミーを見上げている。
「知ってるさ。ハロルド・ルイ」
トミーは腹の底から地獄の使いのような声を絞り出した。
「おまえを詐欺容疑で逮捕する」
「詐欺だって?」
ハロルドは意味がわからないといった顔をした。
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