巣箱落とし

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巣箱落とし

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…、まだ先ですか…?」 「もう少しだ。油断するなよ。」青年はクタクタだった。不慣れな夜の断崖をかれこれ五時間も登っているからだ。神経はすり減り、体力も限界に近づいていた。 「まぁ、初めてにしては上出来の方だ。お前の前のヤツは半分もいかないところでへばって引き返しちまったからな。」 「ハァ、ハァ…、そうなんスか…。」二人はこの後、十分ほどで目的の山頂に辿り着いた。標高約三千五百メートルの頂上は雲に覆われていて、著しく視界が悪く、数メートル先もろくに見えなかった。 「よし、着いたぞ。」 「ここが現場っスか…。」 「そうだ。早速始めるぞ。」 「ちょ、ちょっと休憩しましょうよ…!」 「ダメだ。オレのダチはそうやって休憩したが為に行方不明になったんだ。とっとと始めるぞ。」 「は、はい…。」青年はあまりの暑さに上着を一枚脱いだ。すると山頂に雇い主の男の怒号が響いた。 「リュックだ!リュックを持って来い!」 青年はビクッとして雇主の男の声がした方に急いで向かった。するとそこには一辺が二メートル程の木材で出来たサイコロ形の巣箱があり、その巣箱の丸い穴から雇い主の男がヒョイと上半身を出した。男は嬉しそうにスイカほどの大きさの水色に無数の黄色い斑点がある美しい卵を抱えていた。 「よし、リュックを開けておけ。」 「これが、そうなんですね…!」 「ああ。そうだ。珍味として富豪たちに珍重され、殻は万能薬になる。一つ数百万はくだらない、金の卵だ!」青年は興奮し、ゴクリとツバを飲み込んだ。 青年はこの“タマゴ獲り”のバイトの時給五千オンに釣られてここに来ていた。一回十時間の契約で、学生の彼にとってはとても魅力的なのであった。 男はタマゴをリュックに入れると、もう一つのリュックも開くように指示し、二個目の卵もリュックに入れた。青年がリュックのチャックを閉めている間に男は素早く巣箱から出ると、持ってきた巨大なクリッパーでテキパキと巣箱を固定していたワイヤーを切断した。そして二人は巣箱を押して、断崖の下へと突き落とした。ここまでの所要時間は五分と経っていなかった。 「ふぅー、疲れた…。」 「おい、早くしろ!くつろいでいる暇は無いぞ!」 「は、はい!」青年は急いで卵の入ったリュックを背負うと男の後に続いて元来た断崖を同じように五時間かけて降りていったのだった。二人が断崖を降り切った頃には空はすっかり明るくなっていた。雲ひとつない快晴だ。標高二千メートルの断崖の下で二人はやっと一息ついていた。 “グォォォー!グェェェー!ドーンッ!” 五時間ほど前までいた山頂からは雷鳴と共に奇妙で不気味な鳴き声が響いてきていた。 「ひぇー、恐ろしい鳴き声ですね…」 「そりゃそうさ。何せ大事な大事な卵が無いんだからな。」 「もし、まだ上に残っていたら恐ろしい目にあってるわけですね…。」 「ああ、だろうな。」 「ところで何で最後に巣箱を崖から落としたんスか?」 「昔からの言い伝えで『山頂に痕跡を残した者はヤツらの報復を受ける。』と言われていて、巣箱をそのままにしておくと付着した匂いを追ってヤツらが報復に来るそうだ。だから最後に“巣箱落し”をして痕跡を完全に消さなければならないのだ。」 「へー、そうなんですね…、ヘっ、ヘクシッ‼︎…、いやー、やっぱりジッとしてると冷えますね…。」 「…!お、おい、お前…上着、着てなかったか…?」 「え…、あ、そう言えば頂上に着いた時にあまりにも暑かったから脱いで、それから…」今日は快晴だった。だが、この時二人は突如として影に覆われた。それは雲の影では無く、ヤツら影である事を二人に瞬時に察したが、気が付いたところで二人はどうする事も出来ないのであった。
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