林檎〜いもむし

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林檎〜いもむし

『神様、お願い!時間を巻き戻して!私をあの子のところへ!』  今日、はじめてわたしを笑わせたのは、小さなイモムシでした。  辛いことばかりで、それでも声をあげることはできなくて、わたしは心を殺してやっと生きていられる。  笑わない、怒らない、そして泣くこともない。そんな毎日がずっと続いていたのに……突然の出会いにきっとびっくりして、わたしの中で張り詰めていた糸が少し緩んだみたい。 12月19日。  いつもの登校路。憂鬱な気持ちもいつもと変わらない。  変わったことといえば空模様くらいかな……昨日まで淡く青く透き通っていた空は、コバルト色の雲で覆われている。  わたしが、16年間育ったこの地域は、ほぼ毎年こんな感じで、そのうち雪が降り始め、年明けまではどんどん積もってゆく。わたしが産声を上げたのも、そんな雪の舞う夜半前だったらしい。もうすぐわたしの誕生日。なのに心のもやもやは晴れることはない。  いつもの曲がり角。うつむき加減に横切ろうとしたそのとき。 「あっ。」  誰かとぶつかる。  同い年くらいの女の子?  見たことが無い顔、見たことがない制服……誰だろう? 「すみませんでした。」 「こちらこそ、すみません。お怪我はないですか?」 「大丈夫です……っぷぷっ。」 「え?私、何か変?」 「笑ってごめんなさい、その……肩にイモムシが……」 「うわぁっ!」 「取ってあげますね。」  その子の肩にちょこんと付いていたイモムシを取って、庭木の枝に移してあげる。それにしても不思議な子。突然現れたと思ったら肩にイモムシを乗せてるなんて。思わず笑っちゃった。笑うなんていつぶりかな。 「多分、林檎園に入ってたからそこでくっついてきたんじゃないかな。」 「ふふっ、おもしろい人。」 「そうかな?ね、あなたはこの近所の子?」 「うん、あなたは?ここら辺じゃ見ないけど…。」 「今日はね、お祖父ちゃんのお葬式でこっちに来てるんだ。大好きだったおじいちゃん、最後に会えないまま死んじゃった。」 「そっか、悲しいね…。」 「ありがと、でもねいっぱい思い出があるから大丈夫だよ。林檎園もそのひとつ。」  近所のおじいさんが亡くなったのは知っていた。わたしも小さいころ遊んでもらった思い出がある。そのお孫さんがわたしと丁度同い歳くらいだったのか…… 「わたし美羽よろしくね。」 「私は真夕よろしく。」  真夕ちゃんか……名前の響きがわたしとよく似ているな。それにしても綺麗な子…… 「それじゃあ、お葬式に遅れちゃうから行くね。」 「あ、わたしも学校……あの、また会えないかな?」  こんな風に人に興味を持つなんて我ながら珍しい。 「明日……もう一泊する予定だから明日の同じ時間にここで会おう?」 「うん。待ってるね」  そう言って、わたしたちは別々の方向に歩き出した…… ♪あの子はだあれ?不思議な子。突然現れた林檎の妖精♪ 12月20日。  待ち合わせより30分も先に着いてしまった。それくらい心は躍っている。今日は学校はお休み。あの子と……真夕ちゃんといっぱいお話できたらいいな。  待っているうちに雪がちらついてきた。吐息が白く視界に映る。真夕ちゃん早く来ないかな?胸の鼓動は高鳴るばかりだ。 「あっ、早ーい。お待たせっ。」  真夕ちゃんは待ち合わせの10分前に来てくれた。 「だいぶ待たせちゃったかな?」 「そんなことないよっ。」 「だって、ほら。」  真夕ちゃんは肩に積もった雪を払ってくれながら心配そうな顔をする。 「ほんとっ、大丈夫。寒いの慣れてるしっ。」 「ごめんね、携帯とかで連絡できたらよかったんだけど。」 「よかったら、その……アドレス交換しませんかっ?」  断られたらどうしよう……怖いよ…… 「いいよ!交換しよう。」  よかった。こういうの慣れてないから、緊張したよ。普段はなんの役にも立たない携帯電話もとうとう出番が来たって感じ? 「どこかゆっくり話せる場所があったらいいんだけど……」 「あの……寒いし……家に来ませんか?」 「いいの?突然上がらせてもらっちゃって。」 「わたしなら全然平気。」 「じゃあ、お言葉に甘えようかな?」  お友達を家に呼ぶなんて小学生以来だ。このウキウキする気持ちを誰が止められるだろう。家に帰る道すがら、自然と顔がほころぶ。わたしの中にまだこんな人間らしい心が残っていたなんて驚きだ。 「お邪魔します。」 「何にもないとこだけどくつろいでね。」  今日の真夕ちゃん……私服の真夕ちゃんは、なんだかすごくお洒落な感じがする。都会の子なんだという感じがひしひしと伝わってきた。わたしももっとお洒落な、よそ行きの洋服を着ればよかったなって、ちょっと後悔。  真夕ちゃんを自室に通すと、お母さんがお茶を入れてくれた。お茶請けの代わりに小皿に載せられてきたのは、ここいらの特産の林檎だ。 「もー、お母さん。林檎農家のお家の子に林檎なんか出しても食べ飽きちゃってるよぅ。」 「そうかしら。」 「いえ。林檎は好きですから、いただきます。」 「じゃあごゆっくり、ね。」  二人の間の壁を壊すのに、そんなに時間は必要でなかった。真夕ちゃんは亡くなったお祖父ちゃんのことをたくさん話してくれたし、わたしも三つ下の弟のやんちゃ話をして盛り上がった。 「ところで、昨日あの後大丈夫だった?」  真夕ちゃんが突然切り出す。 「どうして?」 「私と別れた後、なんだか憂鬱そうな顔してたから、さ。」 「そっか……そうだよね……わたし暗いし……大事な植木やお野菜の葉っぱを食い荒らして嫌われる『いもむし』なんだよね。」 「どうしちゃったの急に?」  寂しいことを言っているのはわかっているのに涙はやっぱり出てこない。 「わたしもう学校に行けない……」 「学校に行きたくないの?」 「学校はね……行きたくないっていうより『怖い』かな?」 「学校で何かあったの?」 「その理由はね……えっと……えっとね……」 「あっ!嫌なこときいちゃったね。ごめん……言いたくなかったら言わなくていいからね。」 「ううん……真夕ちゃんには聞いてほしい……かも……」  もし、話して嫌われちゃっても、真夕ちゃんは都会の子だもん。別にいじめられたり、言いふらされたりしないはずだし、ただ友達になれそうな子が一人いなくなって元に戻るだけ…… 「わたし……学校でいじめられてるんだ。」  真夕ちゃんは真剣に考えてくれている。昨日会ったばかりのわたしの問題にちゃんと向き合ってアドバイスをくれようとしている。 「そっか。私に美羽ちゃんの気持ちが全部わかるって言ったら嘘になるけど……辛いよね。いじめる理由なんてたいしたことないのに、こんなに優しい美羽ちゃんをいじめるなんて、酷いよ。」 「ありがとう。でもね、その……いじめる理由はたいしたことなくもないんだ……真夕ちゃんもびっくりすると思うけど……わたしね、女の子が好きなの。好きっていうのは恋人になりたいとか、そういう好き、ね。変だよね?」 言っちゃった。こんな相談するのも人生ではじめてだ。嫌われちゃったかな? 「ぜんぜん変じゃないよっ!私の友達にもそういう子いるし、その……私だって……女の子好きかもって思うこと……あるよっ。」  一瞬キュンっしちゃった。はじめて通じ合えた気持ち。はじめて通い合った言葉。わたしにとって、何にも代えがたい宝物。 「真夕ちゃん、話聴いてくれてありがとう、ね。」 「どういたしまして。そうだ、25日ってもう冬休みだよね?」 「うん。」 「じゃあ、私とデートしてくれませんか?」  照れ隠しか、真夕ちゃんはちょっとおどけてそう言った。嬉しい。女の子からデートに誘われるなんて…… 「はいっ!」 「私の地元だけど……来れそう?」 「行く行く!ねぇお母さん!今度の25日、真夕ちゃんの地元に遊びに行ってもいい?」 「あら?すっかり仲良しね。いいわよ、お小遣い奮発しちゃう。」 「ありがとう。お母さん。」  こうして、ちょっぴり充実した生活が始まったのでした。 12月21日。  雪が積もった。真夕ちゃんにはげまされなんとか学校に行く気になれる。通学路で転ばないようにしなきゃ……って朝、真夕ちゃんが心配してメールをくれた。ちょっと……ううん、すごく幸せ。そんな気分も朝一でぶち壊される。  まただ。もううんざり。  最近は特に酷くなってきている。陰口も明らかに聞こえるように……  お腹が痛いと言って早々に保健室へと退散する。  真夕ちゃんは今頃何してるかな?学校かな?ベッドに寝転びながら考えるのは真夕ちゃんのことばかり。わたし気付いたら真夕ちゃんに夢中になってる?一昨日会ったばかりの女の子に……  一旦心を落ち着けよう。これって特別な気持ちじゃないよね?突然出来た友達に戸惑っているんだ、きっと。そう自分に言い聞かせる。  お昼休みには真夕ちゃんがメールをくれた。 『学校大丈夫?辛くない?辛かったらなんでも言ってね(*^^*)』  短い文だけど嬉しい。 『大丈夫だよ。今日は保健室で休んでる』  精一杯強がった『大丈夫』だった。素直に辛いと言えない自分が憎らしい。それでも幸せだから大丈夫って思えるんだよ、真夕ちゃん。 12月22日  雪はさらに深く降り積む。朝から雪かきをするおじさんが大変そうだ。  わたしの席は教室のど真ん中。虐められっこにとってこんな苦痛はない。今日も保健室へ行こうと思っていた時、真夕ちゃんからメールが届いた。 『がんばれ( v^-゜)♪』  がんばれ……か……ちょっとだけがんばってみようかな。  午前中の授業に出てみる。被害妄想かな、クラスメイトの視線が痛い。こんな思いをするなら……でも今更席を立つわけにもいかない。お腹が痛い……言い訳ではなくて本当に。  ……結果、早退することになった。 『真夕ちゃん、わたしちょっとだけがんばれたよ。』 12月23日  雪は一旦止み、晴れ間が見えた。  真夕ちゃんからの朝の定時連絡は今日も途絶えることはなかった。 『デート楽しみにしてるよ、真夕より♪』 『わたしも♪』  短いけれど、幸せなやり取り。彼女のことを想うと元気になれる。自分らしくいられる気がする。この気持ちってやっぱり……  携帯を眺めながらにんまりする。おかしいな、わたしってこんな顔する子だったっけ?そんなことを考えているわたしに事件が起こった。  後ろから何者かの手が伸び、携帯電話をひょいっと摘み上げたのだ。 「うわっ、きっもーい。デート楽しみーだって。しかも相手女だよー!」  イジメの主犯格の子だ。見られた。誰にも知られてはいけない秘密を。 「みんなー、レズがここにいまーす!」  最悪だ……今までで最悪のシチュエーション。まるでわたしが現行犯逮捕されたみたいなことになってる。わたしは何も悪いことしてないのに……ただ、真夕ちゃんとメールしてただけなのに!  正直その日はその後何をしていたのか、まるで記憶がない。ただ、それでも涙は出ないのだと思った。 12月24日  怖くて終業式には出席できず、家でごろごろして過ごす。昼過ぎに真夕ちゃんが心配して電話をくれて少しお話しする。  気を遣ってか、イジメの話題にはあまり触れず明日のデートの話題をたくさんしてくれた。 「明日どこ行きたい?」 「真夕ちゃんのお勧めの場所ならどこでもいいよぅ。」 「食べ物は何が好き?」 「都会に行ったら『ぱすた』食べてみたいなぁ。」  他愛のない会話。でも心が解きほぐされる。 「じゃあ、明日ね。楽しみにしてるから。」 「うん。明日。わたしもすごく楽しみだよ。」  明日は待ちに待ったデートの日。生まれて始めての女の子とのデート。楽しみだなぁ。何着ていけばいいんだろ?やっぱりお化粧とかしたほうがいいのかな?明日は始発の電車に乗って都会に行く。わくわくすることばかりだ……  明日は夢のような一日にしよう。そして明日が終われば…… 12月25日  早起き。出来る限りのお洒落をして始発に飛び乗る。  駅までお母さんが送ってくれた。朝が早いからご飯は車内で食べなさい、と手渡してくれたお弁当はまだ温かい。  おむすびを頬張りながら車窓を眺めると、ちょうど朝日が差し込んできた。日帰りのはずなのに、なんだかとっても遠くに旅立つような気分、不思議。  お昼前に真夕ちゃんとの待ち合わせの駅に到着。真夕ちゃんもう着いてるかな?携帯を鳴らしてみる。 「もう着いてるよ、改札の横、そう。」 「あ、いたいたー。」 「美羽ちゃん会いたかったよー。」 「わたしも!真夕ちゃんにすごく会いたかった!」  それから真夕ちゃんは街を色々と案内してくれた。お洒落な雑貨屋さんも見たし、大きなペットショップにも行った。お昼にはイタリアンのお店でパスタをご馳走になってご機嫌。  都会って何でもあるんだなぁ、って感心しちゃう。田舎者丸出しだね。 「お茶でもしていこっか」  立ち寄ったお店はいかにも都会的な、お洒落なカフェ。名前は……『Home,SWEET home』か……温かそうなお店。 「いらっしゃいませー」  一歩店内に踏み入ると、そこは女の子の大好きで溢れていた。可愛い内装、天井にはシャンデリアが吊下げてあって、壁紙ひとつ取ってもくつろいでおしゃべりできるよう工夫されているのがわかる。クリスマスだからだろうか、装飾も少し派手なようだ。 「こんなお店来るの初めて!」 「可愛いでしょ?私のお気に入り。どうしてもここに美羽ちゃんを連れて来たかったんだ。」 「真夕ちゃん、すごいねっ、すごいねっ。」  ほんと、お姫様になった気分だよ。  ケーキにパクつきながらあれこれとおしゃべりする。真夕ちゃんのこと、もっと知りたいから…… 「私ね、このお店で働くのが夢なんだ。世界中の誰よりも美味しいお菓子を作りたい。」 「真夕ちゃんならきっとできるよ。じゃあわたしも一緒にこのお店で働こうかな……でもお菓子作りって難しそう。」 「大丈夫、ほら、ああいう接客の仕事もあるよ?」 「制服可愛いよねー。あれならわたしも頑張れるかな。」 「できるできる」  将来の夢……か。  楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。 「観覧車乗ろう!海の見えるやつ!」  真夕ちゃんに誘われるまま、港近くの公園にやってきた。海からの風が冷たい。観覧車は結構大きくて、綺麗なイルミネーションで飾られていて、子供の頃家族で行った遊園地にあったのとはまるで違って見えた。  料金を払ってゴンドラに乗り込む。少し揺れるのが怖かったけど、慣れれば平気だ。  「高いところ大丈夫?」 「ちょっと怖いかも」  気遣ってくれる優しい真夕ちゃん。嬉しい。  景色を眺めているうちに、ゴンドラは中腹付近へと差し掛かる。 「隣、座ってもいいかな?」  なに?急にドキッとするようなこと言って……でも断れない。 「どうぞ……」 「ありがと。」  真夕ちゃんが移動するにあわせて、ゴンドラが急に傾く。 「きゃぁ。」 「ごめん、怖かった?」 「ちょっと。」 「こういうの、つり橋効果って言うんだって。」 「つり橋効果?」 「怖いドキドキを、恋のドキドキと勘違いしちゃう心理現象のこと。今、私にドキドキした?」 「え……えっと、した、かもしれない。」  もう、真夕ちゃんの意地悪。なんてこと訊いてくるのよ。 「私のドキドキは……つり橋効果じゃないよ。」  えっ?それってどういう……? 「美羽ちゃん、私と付き合って下さい。」 「はっ、はいっ!」  青天の霹靂ってこのこと?わたし今どんな顔してる?何が何だかわかんないけど返事しちゃったよぅ。 「でもどうして?わたしなんかと?」 「美羽ちゃん守ってあげたくなるタイプだから。」 「なによぅそれ。」  ふてくれさてみる。 「だって可愛いんだもん。」  でも、こうやって告白されて彼女が出来るなんてなんて幸せなことなんだろう。今まで想像もしなかったよ。でも……でも……  あれ?真夕ちゃんの顔が近く……え?これってもしかして……  ちゅっ。 「ゴメン。嫌だった?」 「あの、嫌とかではなくてびっくりして……」  一応ファーストキスなんだよ?でもいい思い出になってよかった。 「いきなりで、ほんとゴメン。今を逃したらもう出来ない気がして。」 「その代わり、まゆたんって呼ばせてもらいますからねっ。」 「『たん』って……」 「罰です。」 「はぁ……じゃあ私もみうって呼ぶよ。」 「いいですよ。」  なんだか新しい呼び方はお互いに恥ずかしい。 「あっ、まゆたん。もうそろ帰らなきゃ!」 「そっか。寂しくなるね。」 「そうだね。でも心はいつでも繋がってるよ。」 「みう、またねって言ってくれないの?」 「それは……」 「まあいいや、駅まで送るよ。」  帰りの道すがら、まゆたんとはいろんなことを話した。まゆたんは将来の夢を必死に語ってくれた。 「そういえば、みうの誕生日っていつ?」 「え?明日だよ?」 「あちゃあ……どうして早く言ってくれないかなあ。」 「訊かれなかったから。」 「そりゃそうだ。」  それから駅に着いて、まゆたんは電車が発車するまで見送ってくれました。 『神様、夢のような一日をありがとう。』 ーーーーー 「みう!こんなとこで何やってんのよ!」 ーー死に方はずっと前から決めていました。 「こんなとこにいたら、みう、死んじゃう!」 ーーあんなに幸せな一日が現実になったんだもん。もう辛い毎日は必要ない。 「早く!早く家に帰んなきゃ!」 ーーねえ、まゆたん。好きだよ。 「お誕生日のケーキ、焼いてきたんだから!一緒にお祝いしようよ!」 ーーありがと。わたしこれから別の世界へ行くんだ。 「もうっ!ケータイ電波通じないし!」  はじめは寒くて、痛くて、痒くなって、そのうち何も感じなくなる…。あれ?これっていじめられてる時の心と似てるねよね。  そういえば、さっきからまゆたんの声が聞こえる…  そう、確かにまゆたんの声だ。まゆたんは着ていたダウンジャケットを脱いで、前から私にかけてくれた。まゆたんの匂いがする……昨日会ったばかりなのに、たった一日だけの恋人だったのに、すごく懐かしい感じ。 「バカ、こんな思い切った事すんな!」 「えへへ、わたしやっぱり強くはなれなかった。」 「もう!私がいじめっ子全員ボコボコにしてやるんだから。」 「まゆたん。怒っちゃ嫌だよ……あのね、人はね、みんな誰かを憎みながら生きてるんだ。でもね、みんながみんな憎しみあったら、仲間もバラバラになっちゃうよね。だからね、わたしみたいに憎しみを引き受ける人間も必要なんだよ。」 「そんな……悲しいこと……あっていい訳ないじゃない!」 まゆたんが震えてる。それが、寒さのせいじゃないのはなんとなくわかる。 「まゆたんは、今、わたしをいじめた人たちを憎いって思ったから怒ってくれたんだよね?そういう心、誰の中にもあると思うんだ。もちろんわたしにも。それは、正義感の裏返しでもあって、だから否定しても仕方ないの。」 「確かに……そうかもしれないけど、でもみうは憎しみを誰にもぶつけずにがんばってきたじゃない。」 「わたしがんばれた…、かな?でもね、もう疲れちゃった。嫌われ者のいもむしはもう終わり。わたし、ちょうちょになるんだ。」 「あんた一人で勝手に蝶になるな!私のとこから、飛んで逃げてっちゃうなんて……嫌だよ。」 「一緒にいたいって思ってもらえて嬉しいよ。ごめんね、まゆたん。」 「馬鹿!みうは、まだサナギになってないでしょ!?どうやって蝶になるのよ!みうはサナギになってゆっくり……ゆっくり休んで、すっごくきれいな蝶になるのはそれからでも遅くないでしょ!?私が繭になってあげるから……みうが蝶になるまでずっと守ってあげるから。もうがんばらなくていい。ずっと私の傍にいてよ…。」 「まゆたんが繭になっちゃうの……?おもしろい……ね……」 「そうだよ!おもしろいでしょ。おやじギャグだよ!?だから……笑って!みうっ!お願……い……」  まゆたんが泣いている。わたしが流せなくなってしまった涙を……代わりに全部吐き出してくれているみたいに……  涙が裸の背中をつたう……すっかり感覚がなくなってしまったはずなのに、とってもあったかい。それは……わたしが背負ったものを全て洗い流してくれるほどに力強いものではなっかたけれど……たった一筋の優しさが『辛』を『幸』にしてくれた。これでもう、眠ってしまってもいい…  あれ?違うよね。わたし幸せだから『生きなきゃ!』  そう思った瞬間、目の前が急に明るくなった。さっきまでとはぜんぜん違う、温かい場所に寝転んでいる……みたい。 ここ……どこ? 「お帰りなさい。東雲美羽さん。」 「えっと……さっきまでまゆたんと一緒だったような……」  わたしは確かに、さっきまで全身を包み込んでくれていたまゆたんのぬくもりを覚えている。 「ええ、そうですよ。夢のような過去、過去のような夢、いかがでしたか?」 「夢のような……?過去のような……?」 「はい。先ほどの体験は、東雲さんに特別に用意された『バースデープレゼント』だったのですよ。」  そっか。わたしがいつまでも『かわいそうな子』だから……神様が、わたしのお願いをきいてくれたのかな?  でも……そんなお願いはしてないような…… 「このプレゼントは、深草真夕さんが願ったことを神様が聞き届けられたものなのですよ。」 「まゆたんの願い……?って何?わたしに成仏してほしいっていう……やつかな?」  幽霊になって彷徨(さまよ)って、そしてまゆたんに出会って……本当ならあるはずのない時間を一緒に過ごして。  やっぱり生きていないと幸せになれないんだって……思い知って、まゆたんの傍を離れた。  そんなわたしをまゆたんは必死に探してくれて、こう言ったんだ。『みうにはもう楽になってほしいんだ。あの世……?があるなら……どうせ私と一緒にいられないなら……辛いことばっかりだったこんな世界より、美羽が行くべき所にいってほしい。』  だとしたら大丈夫だよ。多分だけど、なんとなくだけど……ね、わたし天国……?っていうのかな?もっとあったかな場所にこれから行ける気がするんだ。 「深草さんは神様にこうお願いされました。『時間を巻き戻して!私をあの子のところへ!』……と。」  え……?まゆたんは……『みうのために』って、わたしを突き離しただけじゃなかったの? 「人間というのは不思議な思考をするものですね。相手のためだと突き放しておきながら、もし時間が戻ったらうまくやり直せるんじゃないか……なんていう考えも同時に持ってしまう……それがただの『後悔』というものであっても……」 「じゃあ、本当に時間が、巻き戻っちゃったんですか?」 「残念ながら……巻き戻ったのは記憶の時間だけです。」 「そっかぁ。あれが現実ならよかったのになぁ……もし、あの時まゆたんに出会えていたら……」  夢の世界で見た、『あの時』まゆたんに出会えていたら…… 「ふふ。美羽さんはすっかりお忘れのようですが、実は現実世界での『あの時』にもお二人は出会っているのですよ?」  え……? 「東雲美羽さんと深草真夕さんは、12月19日の朝、確かにあの路地の角でぶつかりました。しかし東雲さん、あなたはどん底に沈みきった気分でした。ですので深草さんをちらりと見ただけで、特に何も感じなかった……」 「でも、夢の世界でのわたしはまゆたんのこと特別だって思いましたよ?」 「神様は……記憶の時間を戻すのと同時に、ひとつだけ……ちょっとしたイタズラをなされたのですよ。」  神様が……イタズラ……ねぇ。 「ほら、これです。」  その女の人が開いて見せた掌の中には… 「あ!いもむし!」 「そう。現実の過去とはたったこれだけしか違わなかったのですよ?それなのにあなたは真夕さんを見つけ出した。」 ただ『かわいそう』だったわたしを、はじめて幸せにしてくれたのは、小さないもむし……と、一人の女の子でした。
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