かすみ

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かすみ

 真夜中過ぎ、すやすやと寝息を立てていた泰子(やすこ)は、ふっと流れ込む外気に目を覚ました。  誰か…、いる?  枕元のスタンドの灯りを点け、まだ寝ぼけた目を薄っすら開けてワンルームの玄関の方を見つめると、そこにはぼんやりと照らされたかすみの姿があった。 「ちょっと、かすみ…、こんな夜中に…、来てくれたのは嬉しいけど、合鍵渡してるからって、インターホンくらい鳴らしてくれたっていいじゃない。」  かすみは何も応えず、泰子の横たわるベッドへと近づく。そして、上半身を起こそうとした泰子に覆いかぶさり、抱き締めて体の自由を奪った。 「急にどうしたの?かすみ。なんだかいつもと違う…。」  かすみは唇を重ね、その先の言葉までも遮った。  いつもの恋人同士のキス…、よりももっと甘ったるい、初めての感覚。まるで母親の胸に抱かれているような温かさを感じ、泰子はゆっくりと目を閉じた。  心地よい。この心地よさにずっと身をゆだねていたい。ふわりと優しく髪をなでられる。これもはじめてのこと。いつもはかすみにこうしてあげているのに…。  だけど、この優しさは…、違う。かすみのいつもの優しさとは何かが、違う。違う!  泰子は目一杯力を込めかすみの体を引き離した。 「違う!あんた、かすみじゃない!」  見開いた泰子の目に映ったのは…。  柔らかに微笑むかすみの顔と、右手に握られたキラリと光る何か…、それは薄く研ぎ澄まされ、三日月のように弧を描いた、デスサイズ(大鎌)!?  これはどういうこと?夢?何が起こっているの?  泰子が、覆いかぶさる誰かにどう質問すべきか迷っていると、先にその誰かがその場の雰囲気にそぐわぬ間の抜けた声で、独り言のように呟いた。 「ありゃあ。また失敗しちゃいましたかぁ。」 「は?失敗って何なの?あんた誰?」  一瞬気が緩んだ泰子はやっとのことで言葉を投げかけた。 「あたしですかぁ?死神ちゃんですけど?」  自分でちゃん付けとか…。っていうか今、死神とかなんとか…?死神って、ボロボロの服着て、髑髏みたいな顔で、真っ黒なあれ?  でも目の前にいる、その、死神ちゃんとやらはほぼ毎日のように会っている恋人のかすみの姿をしている。  調子に乗って明るくしすぎて、結果バイトをクビになった、くるくるパーマのかかった髪。丸くて、小さくて、色白な顔。これナシじゃ外出できなーい、とか言って盛りまくっているまつ毛エクステ。華奢な体、細くきれいな指先…、見た目は何もかもがかすみで…。  いったい何がどうなっているんだ…。 「あのぉ。突然のことで戸惑ってらっしゃると思いますので失敗ついでに、特別にご説明しちゃいますね。まずですね、あなたは、今日というか今この瞬間死ぬ予定です。」 「は?私が死ぬ?大した病気もせずに健康が取り柄の私が?」 「ええ。突然死、というやつですね」 「ふざけんな。この人殺し!つまり、あんたが私を殺しに来たってことでしょ。はいはい、わかりました。でもね、死ぬなんて絶対イヤですから!!」 「そうですよねぇ、普通は誰だってそうなんですけどね。それは運命というもので。で、ですね、あたしがあなたを殺すわけではなくて、ですね、死神というのはあくまでも神様の意志、その人の運命に従って魂を刈り取り、安らかに天界までご案内する仕事をするだけなのですぅ。」 「訳わかんないんですけど?」 「まあ、簡単に言うと、あなたができるだけ苦しまずに一生を終えるよう、お手伝いをしにきたんですよ。その手段として、たいていの場合は、その人の一番愛する人の姿を借りてこうして、降臨~~~っ!させてもらっているわけです。愛する人と一緒なら、死んじゃうのもそんなに怖くないでしょ?」  死神はそう言って、にっこりと微笑んだ。 「まあ、とりあえず私が今日死ぬから、お迎えに来たってのはわかった。で、かすみの姿で私を騙そうとして失敗した、と?」 「ですねー。あたし、いっつも失敗ばっかりなんですよー。」  パーマのかかった毛先を指でくるくる遊びながら『てへぺろ』とか言い出しそうな感じで応える死神。そういう軽い感じを見ると、なるほど、かすみとは全く違うようだ。 「で?失敗したんでしょ?なら、ついでに帰れ!私は死ぬわけにはいかないんだ。」 「そういうわけにはいきませんよー。あなたの寿命は今日までなんですから。」 「私は、かすみを残していなくなるわけにはいかないんだよ。かすみは私がいないと…。」 「あのぉ、かすみさんのことですよね。それなら大丈夫かと。」 「なんであんたにわかるのさ。」 「そりゃあ、神様から多少はこの先の未来を見る力も与えられてますので。ちょっとあなたにはショックかも知れませんが…こほん。かすみさんの未来、知りたいですか?」 「できるなら知りたいね。説明してもらおうかな。」 「わかりました。」  死神がそう答えた瞬間、泰子の目の前が一瞬真っ暗になった。次に、どこか知らない家のリビングルームがうっすらと、天井から眺める感じで浮かんできた。 「今見えているのが、かすみさんの数年後の姿です。」  そこには確かに、今よりも少し大人になって、黒髪を一本に束ねたかすみの姿があった。幅広のソファーに腰かけ、隣には…。知らない男がいて、楽しげに会話をしている。そしてその腕の中には…、赤ちゃん? 「かすみさんはあなたが亡くなった後、この男性と結婚して子供を授かります。」  そんな…、かすみは女の子しか好きにならないって…。 「かすみさんの中には男性とも恋愛したい、結婚して子供がほしい、という思いもあるんです。今はまだ気づいてはいませんが、この男性と出会ってその思いに気付きました。」 「嘘でしょ…。少なくとも私が死んだりしなければ…、私がずっとかすみの恋人でいたら、こんな事にはならないよ!」 「残念ですが、かすみさんがこの男性と出会うのはそんなに先の事ではありません。そして、もしあなたが死ななかった場合の運命は…。」  泰子の顔は、怒りと悲しみ、戸惑い、色んな感情が入り乱れ、酷く歪んでいた。  それでも、泰子は自分が生きていればきっと幸せな未来が待っていると信じたかった。だから、死神からその未来を、もうひとつの運命を聞きたいと願った。 「わかりました。これは、実際に見てもらうのはあまりにも残酷ですので簡単に説明しますと、やはりかすみさんはこの男性と出会い、あなたと二股状態をしばらく続けます。もちろんあなたにはバレないように。そしてあなたは、ある日突然、かすみさんからその男性との子供ができたこと、結婚することを告げられます。あなたは、あまりにもショックで…。自ら命を…、そこであなたの人生は終わります。それが丁度、今日この時間と同じなんです。」 「そんな…、酷い!同性愛者である事で悩んで、差別されて、危ない目にもたくさん遭って…、それでも愛する人に出会えたから、できる限り前向きに生きていきたいって…、やっとがんばれるって思えたのに。」 「ですので、今日あなたが亡くなるというのは本当のことを言いますと、神様からのできる限りの贈り物なのですよ。辛い思いをせず、愛する人の傍で命を終えるという。」  死神の表情は、先ほどまでの間の抜けた笑顔から、申し訳ないという風な少し寂しげな感じに変わっていた。 「それともうひとつ。あなたは、そんなかすみさんの子供に生まれ変わることも決定しています。」 「え…なん…で?そんなの、もっと酷いじゃない。好きな人が他の人…、しかも男と一緒に幸せにしている姿を毎日見せ付けられるなんて…。耐えられないよ。ありえない!」 「いえ。あなたの今世での記憶は完全になくなりますので、そんなことは…。これも神様からのプレゼント、なのです。」  泰子は今にも泣き出しそうな、怒りが爆発しそうな顔で俯いていたが、ふいに大きな声で笑い出した。 「わかった。わかったよ。いいじゃない、そういうの、さ。」 「それは、その、今日で人生が終わっても…っていう?」 「そう。私は今日、愛するかすみの胸の中で幸せいっぱいで死ぬんだ。それで生まれ変わって、かすみの傍で新しい人生をはじめる。」 「全部知っちゃって、それでもいいんですか?」  にやりと口角を持ち上げ、泰子は続ける。 「いいよ。考えたら素敵な人生だったじゃない。死神…ちゃん、か。あんたの今回の仕事、私の魂を天界に送るってやつ?失敗じゃないよ。私はちゃんと今ここで死んで、魂は天界へ行く…。」 「ほんとですかぁ?よかったぁ。これで上司に叱られずに済みますぅ。」 「よかったね。でもね、その代わりあんたは、ちょっとしたミスをふたつしてしまうんだ。」 「え…、ちょっとしたミス、って?」 「こんにちは。」 「あら、いらっしゃい。ごめんね、うちの子まだ部活から帰ってないのよ。日が落ちる前には帰ってくると思うんだけど。」 「ええ、メールでそう聞いてたんで大丈夫です。帰ってくるまで待たせてもらっていいですか?」 「どうぞどうぞ。いつもの紅茶入れるわね。あと、ちょうどおいしいケーキもあるのよ。」 「おばさん、いつもありがとうございます。」  高校生の少女が訪れたのは、そんなに大きくはないけれど二階建ての小奇麗な一軒家。  父親と母親、一人娘の三人で暮らすその家の門前には、きれいに花が咲いた植木鉢が並べられてある。毎日の幸せな生活がうかがえる佇まいだ。  少女はリビングルームに通され、大きなソファーにちょこんと座っていた。  ケーキとお茶を出され、一口二口ついばんだ後、二人はいつもそうしているかのように何気ない会話をはじめた。 「もう、二人ともすっかり高校生の顔になっちゃったわねぇ。」 「そう…、ですか?まだ、自分じゃ子供のつもりですけど。」  はにかみながら少女は応えた。 「そんなことないわよ。新しい制服もすっかり着こなしちゃって。」 「ありがとうございます。この制服姿、おばさんに見て欲しくて。」 「そうなの?嬉しいわ。うちの子もそんな、素直でかわいいこと言ってくれたらいいんだけど。最近は生意気で喧嘩ばっかりなのよ。」 「はは。よく学校で愚痴ってますよ。でもかすみおばさんとは、すごく愛し合ってるって思います。」 「そうかしら。やっぱり大事な我が子だからかもね。」 「ほんとに、幸せそう…。あの、実は今日、かすみおばさんにお話があって…。」  制服姿の少女は向き直ってそう切り出した。 「どうしたの。もしかしてうちの子と喧嘩しちゃった?」 「いえ、そうじゃないんですけど…。隣、座ってもいいですか?」 「いいわよ。なんでも話してちょうだい。」  少女がかすみの隣に移動して腰かける。ぴったりとくっつきそうなくらいの距離。二人とも一瞬俯き加減になる。 「それで…おばさん…。ううん、かすみ!」  突然、少女がかすみの手をぎゅっと握り、驚いたかすみは少し身を引いた。そのまま、少女がかすみをソファーに押し倒す格好で覆いかぶさる。 「どうしちゃったの。おばさん、何か嫌なこと言った?」 「嫌なこと…、そうね…、今のかすみの生活全て……全部が耐えられないほど嫌!!」 「何を言ってるの?うちの子ともお隣同士、家族ぐるみでずっと仲良くしてくれてたじゃない。」  仰向けになったかすみの頬に、涙の粒がぽたりぽたりと落ちた。顔をくしゃくしゃにしながら、少女は独り言のように呟く。 「死んじゃった私のことなんかすぐに忘れてっ…男なんかと一緒になって…、子供までっ。あんな子ほんとは大嫌い!でもね、かすみ、ずっとあなたの傍にいたかったから、我慢してずっと仲良いフリをしてあげてたのよ!」 「え…、どういうこと?」 「どういうこと?自分の胸に聞いてみなよ。あなたがポイって捨てて、ずっと平気に生活してきたもの。いいえ、人よ。わからない?」 「誰のこと?それって、いつの事なの。教えて、そんな大切な人なら思い出さなきゃ。」 「まだわからない?あなたの…、あなたの恋人だった女の子・・・・・・『たぶん』ね!」  かすみは、はっとっして目を見開いた。しばらくは驚きで声も出なかったが。そして一言、ぽつり… 「やす……こ?」  少女の目からは、さらに大粒の涙が溢れた。 「そう、泰子だよ。かすみの恋人だったときのまんまの泰子。」 「なんで…。泰子はずっと昔に亡くなって…、もしかして幽霊?」 「ちょっと、違う…。」  うん、違う…。 ―――  そう、泰子の魂が体を離れたあの日…。 「え…?ちょっとしたミス、って。」 「まず一つ目のミスは、私の生まれ変わり先を、隣の家の子と間違えてしまうこと。」 「そんな!せっかく用意された転生先を変えちゃうなんて…!」 「できなくはないんでしょ?」 「無理では…、ありませんけどぉ…。でも、やっぱりいけないことだと…。」 「ふうん。じゃあ、あんたの今回の仕事はやっぱり失敗に終わるってことで。」 「はわわわ。それだけは困ります。」 「じゃあ決まりね。で、二つ目のミスは…」 「うわぁ。もう聞くのすら怖いです。死神をこんな扱いするなんて人間ではあなたが初めてですよ。」 「将来有望な乙女の命を奪うんだから、これくらいの交換条件あってもいいでしょ?」 「だから、命を奪うのとは違いましてですね…。」 「で、二つ目のミスは、私の今世での記憶を消し忘れてしまうこと。」 「そんなことしたら、大変なことになりますよっ。運が悪ければ人格崩壊しちゃいます。」 「できるの?できないの?」 「……できます。」 「よし。じゃあ、天界とやらに行きますか。その鎌みたいのでやるの?もう、すぱっとやっちゃってよね。」 ーーー 「私は生まれ変わって……、ずっとこの時を待ってた。大人の体になって、かすみの体も心も、あの汚らしい男から奪い返す時を。」  少女……生まれ変わった泰子は涙を流しながら、それでも口元だけにやりと笑っていた。それは、荒ぶる感情を押し殺している、今までに見たことの無いような哀しい表情。  そんな泰子の濡れた頬に、かすみはそっと手を添えた。少ししわが増えたけれど昔と同じ、細くてきれいで、温かい手だった。 「泰子。ずっと…、何年も辛かったでしょう。もっと早くに話してくれていたらよかったのに。私、泰子のことずっと忘れてなかったよ。泰子が死んじゃって、私の世界は真っ暗になった。でもね、私は泰子のがんばりを誰よりも知ってたから、だから自分も強く、前向きに生きようって決めたの。」 「だったら、なんで、なんで結婚なんかしたの。ずっと一緒、他の人のとこには絶対いかないって約束したのに…。うそつき!かすみは、もう汚れちゃった。」 「そうね。私はうそつきになってしまったわ。ごめんなさい。でも、これが私なりの強さなの。生まれてはじめて人を愛するっていうことを教えてくてたのは、泰子、あなたよ。その、愛する気持ちをやめてしまわないようにしたいっていうのが答えだったの。」  泰子は大人になってしまったかすみの返事に、温かさと、寂しさを同時に感じた。目を閉じ、まだ恋人同士だったころを思い出す。いっぱい一緒の時間を過ごして、いっぱいキスをして、いっぱい抱きしめ合ったあの頃を…。  涙が止まらない。色んな感情が止まらない。 「かすみ、愛してる。」  あのころは毎日伝えていた言葉。生まれ変わってから初めて伝える気持ち。もう戻れない、懐かしい気持ちが自然と口からこぼれた。  少しの沈黙の後 「えっ。えっ。」  目を開けると、そこには泰子と同じように、涙を流すかすみの顔があった。 「泰子、会いたかったよ-」  二人の時間が急に恋人同士だったあのころに巻き戻った。かすみもまた、急に絶たれた泰子への想いを押し殺し、今まで生きてきて大人になったのだ。 「かすみは今でも、泰子のことを愛しています。他の人と結婚しちゃったけど、心の中に泰子はいるよ。玄関のお花、覚えてる?かすみ草。私のお誕生日に、プレゼントしてくれたよね。名前も、見た目も、花言葉もかすみにぴったりだって言って。あのときのはもう枯れちゃったけど、ずっと育ててるんだよ。」  泰子は、今までかすみ草のことなんか忘れていた自分が恥ずかしくなった。こんなに大事な思い出なのに……、愛する気持ちを忘れてしまっていたのはどっちだろう。彼女をただただ奪い返したいという歪んだ心。本当に汚れていたのはどっちだろう。 「かすみ、ごめん。こんなやり方で再会することになっちゃうなんて。かすみの気持ち、ぜんぜん考えてなかった。酷いことしちゃったね。そうだ…、さっき言った言葉。愛してるって。私急に死んじゃって、本当は最後にもう一度、それを伝えたかったんだ。無理やり体を奪おうなんて…馬鹿な考えだったね。」  かすみは、恋人同士だった時と同じように、首に手を回し泰子をぎゅっと抱き締めた。そして、二人は大きく声をあげて泣いた。まるで、どっちも子供みたいに。 「私、もうかすみに会う資格ないね。ごめんね。さよならだね。」 「嫌だよ!せっかくまた会えたのに、どっかに行っちゃうなんて。あのね、ほんとは子供ができたとき、もしかしたら泰子の生まれ変わりかもって思って…。だからすごく愛しかったんだよ。自分の子供じゃなくても泰子が生まれ変わって来てくれて嬉しい。だからね、これからも好き同士でいられない?」 「それは…、やっぱり難しいよ。嫉妬する気持ちはきっと変わらないし、かすみはかすみの幸せを生きて欲しいって、今なら思える。かすみは、私の親友のお母さんで、私はお隣のお嬢さん。これからは…、ううん、これからもそれでいいんだ。」  かすみは涙を流しながらも、こくりと黙って頷いた。 「でも、最後に私のお願いきいて。昔できなかったお別れのキス。」  夕日が差し込む温かなリビング。唇を重ね、ほんの一瞬だけ恋人同士だった二人に戻る。この感覚…、あのとき死神が化けた偽者のかすみとのキスよりも、もっと、もっと温かい。もっともっと……………熱いくらいの、今までで一番のお別れの儀式。  泰子は、かすみの髪をそっとなでた。あのころと同じように。  閉じた瞳から一筋の涙が流れ、急に眠くなる。 このまま、また死んでしまうのではないか、そう思わせるような、なんとも心地よい感覚。 ーーー 「どうでしたかぁー?」  その間の抜けた声に驚き、目を開いた泰子の前にはやはりかすみの姿が…。でも、今まで抱き合っていたかすみよりもずっと若い、恋人同士だったころのかすみがそこにいた。 「あ……れ?ここは?」 「あなたのお部屋ですよー。死んじゃう前の。」  見渡すと、そこは確かに学生のころ一人暮らししていたワンルームだった。いったいどうなってる? 「え。時間が巻き戻ったの?」 「ざんねーん!違いますよ。さっきまで見てたのは夢でしたぁー」 「は?夢オチとか笑えないんですけど。つまんない漫画かっ!」 「でも、ただの夢じゃないんですよ。あなたの要望に応えた現実のような夢。夢のような現実。」 「あーもう、わけわかんない。でも、もういいや。かすみの気持ち、やっとわかった気がするよ。私、今まで本当のかすみと向き合えていなかったのかもね。きっと、かすみの子供に生まれて幸せになれそうな気がするわ。かすみは誰よりも愛してくれると思う。死神…ちゃん。ちゃんとミスしないでかすみの子供に生まれ変わるの、約束してくれる?」 「ええ。保証しますよ。」 「それと、記憶もちゃんと消すこと!」 「もちろん大丈夫ですよ。でもね、記憶っていうのは手のひらからこぼれ落ちる砂のようなもの。すべて流れてしまったようでも、ほんの少し残ってしまう部分もあるんです。それはきっと、あなたとかすみさんとの親子の絆を強くしてくれると思います。」 「そっか。わかった。じゃあ、今度こそ行こうか?」 「はーい。ではでは失礼してー。」  死神は泰子の頭に軽く触れ、体の内からつまみ出すように魂を抜き取った。ふわりと浮く泰子の魂は、色こそ青く消えそうな透明に近かったが、その姿は確かに泰子のものであった。  自分の体を上から眺めながら、少しぼんやりとする。 「ちょっと不思議な光景でしょー?じゃあ、行きましょうかぁ。」 「あれ?その鎌でざくってやるんじゃないの?」 「ああ、それは生に執着する人の魂の緒を、無理やり断ち切る時だけですよ?あなたは自分の運命に納得して、自然に亡くなりましたから、ほら、魂と体は繋がってないでしょ?」 「ほんとだ。なんか壮絶なシーンを想像して損したわ。」  ふわりふわりと上昇し、景色はもう地上の星々を見渡せるほどのところにいた。 「あんたさ、失敗ばっかりって言ってたけど、ほんとはなかなかのやり手なんじゃないの?」 「えへへ。これでも成績はいつもトップクラスなんですよ。」 「そっか。さすがっていうか、私のほうが結局うまく納得させられちゃったね。なんかさ…、あんた、天使みたいだね。」 「あれ?気付きました?私たちは仕事の内容によっては天使って呼ばれることもある…、札を返せば同じ存在なんですよ。」  その瞬間の死神の微笑みは、まさに天使そのものだった。ふわりふわりと、今しがた人生を全うした女の子の魂と、それを伴う死神の姿は雲の上に消えていった。  雲の上から女の子の来世での口癖が、もう聴こえてきそうだ。 「お母さん、愛してる。」           完
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